カテゴリ:※彼方への私信( 10 )

からから。

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まだ窓の外が暗いぐらいの時間。南の窓から誰かが入ってきたような気配がした。それはすぐにぼくの枕元に移動して、頭の上で「パン」というかわいた音を鳴らした。なんだなんだ?と思ったが、まぁなんとなくわかる気もして、そのまま眠った。

四十九日の法要を終えて、父の骨を墓におさめた。麻袋のなかの父は「からから」と、半ば金属のような、半ば石のような音を立てた。夕べはいろいろ考えていて、お世話になったことをたくさん思い出したよ。ありがとう。さようなら。

by enzian | 2016-02-28 22:33 | ※彼方への私信

知的な謙虚さ

「学問をして、いったいなんになるのか?」あなたがそう問う理由はわかるような気がします。きらびやかに効力を示すことのできる学問分野はありますが、ぼくが勉強していることなんて、なんの役に立つの?と問われれば、いまここで明らかな証拠を見せることなんて、できないですもの。ひとの役に立とうと、ひとのためになにかをしようと懸命なひとたちをよそ目にして、こちらのやるべきことをするのにいっぱいで、役立たずの世間知らずで申し訳ないことです、と頭を下げるしかありません。

こういう書き方は、自分や自分の持ち物をあからさまには賞賛しない(おちゃらけた自画自賛はしますよ)ぼくの質(たち)によるものでもあるのですが、ひとつだけでも、学問をした結果として出てくるものとして書いておきたいと思うことはあります。知的な謙虚さということです。自分のことを棚に上げていえば、学者は、自分だけが真理の体得者であるかのような態度をとることを稚拙なものとして嫌います。なぜなら、なにかを明らかにするということは、それを取り巻く膨大な数の不分明に気づくことだからです。以下は、ニュートンが自分の生涯を振り返って語った言葉です。

I was like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me. (私は砂浜で遊んでいる少年のようであった。ときおりいつもよりなめらかな小石やかわいらしい貝殻を見つけることに夢中になっているが、真理の大海原は究められないまま私の前に広がっているのだ。)

謙虚さというと消極的なようにも聞こえますが、この謙虚さは一転して知的な敢然(かんぜん)さともなって断固として自分と他人を守るものともなります。幸い、ぼくはそういうことを体現するひとたちに会うことができました。

by enzian | 2015-05-09 11:24 | ※彼方への私信 | Trackback | Comments(2)

たった一度しか

会ったことのない方でも、その方がお亡くなりになったと聞くことで、この世界から星がひとつ消えたような気持ちになるひとがおられることに気づいた。柔らかな笑顔を覚えている。それならいっそ出会わなかったらよかった、とは思うまい。記憶は残る。むしろ、星の数ほども多い人の群れをかきわけて、たった一度でも会えたことが幸せであったのだ。

We show our feeling for our friends' suffering, not with laments,
but with thoughtful concern. (Epicurus)

by enzian | 2009-04-13 23:28 | ※彼方への私信 | Trackback | Comments(2)

道程

ライプニッツの講読が最初の出会いでした。授業に出られなくても翻訳をしていないわけではない――それを告げるために、あなたは私を訪れたのでした。それからの簡単ではなかった道程(みちのり)をいま感慨深く思い出します。しかし思えば、物心ついたときからあなたはそのような道をとぼとぼと、ひとりぼっちで歩いてきたのでした。誰に知られることもなく。

これからのあなたの道程を思います。暗黒の天空にちりばめられた、小さくあっても強くきらめく星の光が、あなたの行く道を照らしますように。

by enzian | 2007-06-30 07:34 | ※彼方への私信

感覚器官

封筒を開けば、“Die Sinnesorgane”(感覚器官) と題されたドイツ語文献のコピーが出てきた。ネコのイラストが載っている。その瞬間、雷に打たれたように、数年前の授業の記憶が蘇った。覚えていたのだな‥‥コピーにはこうある。

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by enzian | 2007-01-19 23:16 | ※彼方への私信 | Trackback | Comments(0)

生きている実感

ある御仁からの問いについて、ここで考えることにする。その御仁は言ったのだ。「自分にはなにごともやりがいがあるとは思えないし、自分には生きている実感がない」と。

まず、あることが「やりがいがある」と言われるためには、そこには「抵抗」がありながらも、最終的には成就する見込みが必要になる。抵抗は致命的なものであってはならない。次に、成就することによって「利益」が得られるようなものであらねばならない。言い方をかえれば、なんらかの欲求が満たされねばらならない。自己顕示欲を満たすという意味からすれば、その成就は、「自分」でなければ成し遂げられないといった性質のものであればなおよい。このようなやりがいのあることにかかわっているとき、生きているかいがあると言われるのであって、自分が生きている実感も伴うのだろう。

さて、抵抗は不幸、利益は幸福の一種だと言ってよい。とすると、自分が不幸であることの意識と幸福であることの意識がほどよく配分されている状況が生きがいのある状態であり、生きている実感のある状態であることになる。ところで、普通の人の生涯、というか日々の生活は目まぐるしく切り替わる禍福の連続という形態をとるから、致命的な不幸とか、いかんともしがたい幸福につきまとわれている人以外は、やりがいや生きている実感を感じるはずである。

とすれば、やりがいや生きている実感が感じられない人の多くは、本来なら感じるはずの不幸や幸福を自分から感じないようにしている人だということになる。その理由が恐れによるものなのか、それ以外の理由によるものなのか、そもそもこの考察が正しいのかどうかさえわからない。

by enzian | 2006-06-01 21:59 | ※彼方への私信 | Trackback | Comments(0)

やさしい心の持主

夜、とある人からメールをもらう。自宅に入ってきたコウモリを出そうと奮闘しているという。どうやったら捕まえられるか?なんて聞いている。生き物に詳しいと思われているのだ。けっきょく、朝まで一睡もせずに奮闘して、やっと捕まえることができたらしい。「ようやくコウモリを外へ逃がしてあげることができました‥‥虫とり網があればもっと早く逃がしてあげられたのに、と思います」。気味悪くて追い出そうとしていたのではなかったのか‥‥。吉野弘の「夕焼け」の一節が思い浮かんだ。

  やさしい心の持主は 
  いつでもどこでも
  われにもあらず受難者となる。
  何故って
  やさしい心の持主は
  他人のつらさを自分のつらさのように
  感じるから。

受難者の代わりになることはできないが、せめて、そのやさしさを伝えてあげよう。

by enzian | 2005-08-18 00:15 | ※彼方への私信 | Trackback | Comments(12)

もしも願いが叶うなら

どんな願いでもひとつだけ叶えてもらえるなら、誰になにを頼もうか。
たぶん、頼む相手によって願いの深刻さも変わってくる。

「ハクション大魔王」(ふっる~)の魔王だったら、切実なことを頼む方がどうかしてる。
「魔王、バクバク食べてもぜったいにかぶれない完熟マンゴーを一盛ちょうだい。」

ドラえもんでも、重苦しいことは頼めそうにない。
「ねぇドラえも~ん、ぼくの書斎と波照間島のニシ浜(えもいわれぬ美しい砂浜で、
そこの砂はパウダーのようなにきめ細かい)をどこでもドアでつないでおくれよ。」

相手が「ドラゴンボール」のシェンロン(神龍)なら、それなりのことを頼めるか。
「おもしろおかしゅう暮らさせてください。」

シェンロンをもしのぐ権威は、ぼくにとっては、
「大魔王シャザーン」(知っている人なんているのかな?)に出てきたシャザーンかな。
いつも腕を組んでいて、なんでも「パパラパ~」って言って叶えてくれる。
なかなかニヒルでかっこよかったのだな。
シャザーンなら、なにを頼んでも聞き入れてくれそうだ。
「○○と、5秒でいいから会わせてください、そしてゴメンナサイと言わせてください。」

by enzian | 2005-07-08 20:37 | ※彼方への私信 | Trackback | Comments(36)

君の幸いを願う

とてもうれしい電話があった。20年間、待ちわびた電話だった。人並みの天与に恵まれなかった君。周囲の無理解が過酷な運命に拍車をかけた。その責任の大半はぼくにある。運命をうらむことなく、決して弱い者を捨て置かなかった心やさしい君。今のぼくの幸せは実に君の犠牲のうえに成り立っている。だが、ぼくの幸せを君に分けることはできない。今度こそ自分自身の幸せを君が噛み締めることができるよう、ただ心の底から君の幸いを願う。

by enzian | 2004-06-27 23:59 | ※彼方への私信 | Trackback | Comments(0)

窓から明石海峡

先日、兵庫県のとある高校へ出張授業に行った。長い伝統をもった高校らしい。多くはないが、熱心な生徒ばかりで驚いた。何より、生徒たちの自然な笑顔に驚いた。はにかんだ笑みを見せる者までいる。はにかんだ笑顔を見ると、なぜかうれしくなるのだ。

進路指導部の窓からは、美しい明石海峡が見下ろせた。生徒のみなさん、あなた方が感想として書いてくれたいろいろな問題、それも立派な哲学のテーマなのですよ。

by enzian | 2004-05-30 23:59 | ※彼方への私信 | Trackback | Comments(0)