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雪ふりつむ。

「太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
二郎をねむらせ、二郎の屋根に雪ふりつむ。」

                    (三好達治「雪」)

by enzian | 2016-01-16 08:51 | ※その他

積み重さなるもの

やっぱり明日は敗戦事例を増やすのかな。
世の中には、頑張ったからあきらめようとすっぱり断念できることと、
いかにしてもあきらめられない、振り切れないことがあると思う。

by enzian | 2016-01-11 22:45 | ※その他

リフレイン

とっくに縁を切ったと思っていたコミュニティとの関係を考えないといけない。
彼はそれでいいと言うが、ほんとうにそれでよいのだろうか。
おれがいたんじゃお嫁に行けぬ、というフレーズがなぜかずっとリフレインしている。

by enzian | 2016-01-04 10:29 | ※その他

年賀状あれこれ―達人のこと―

今年も年賀状が届く。ちゃんとしたひとたちは年賀状もちゃんとしている。当方はいいかげんなもので、年末にごく少数の方に、内容も粗末なものを書きはしたが、なんだかんだと言い訳して投函したのが29日だったから、先方にはまだ着いていないだろう。恩師からの年賀状も元旦に着いていたので、こんなことではいかんと元旦から反省した。

年賀状のなかには、毎年、想像を絶する誤字脱字、誤用をいくつもしてくるひとがいて、失礼だとわかっているのだけど、今年も半時間ほど笑ってしまった。決して当人は計算しているわけではないのだろうが、つねひごろ学生の添削をしていてひとがどのような誤字脱字をするかあるていど心得ているはずのこちらの想像を毎年毎年、軽く飛び越えてくるので、ぼくはこのひとが相当の達人であろうと踏んでいる。今年も、わずか数行の文面のなかに4つもの誤字、誤用があった。そしてどの間違いにも悪意がなくて、いやむしろ、お茶目でさえあるのだ。

それがどのくらいお茶目かを説明したいけど、そのまま説明するとばれてしまって、来年からは楽しめなくなってしまうので、雰囲気だけ伝えると、例えばこのブログの文章であれば「年賀状あれこれ」というタイトルだが、その “達人" は、相当上品な毛筆体のフォントを使いながら、1行目から「年賀状あれころ」と軽くやってのけてしまうぐらいの達人なのだ。そして続く2行目、3行目にもこれにまさるとも劣らない第二波・第三波の笑いを用意している。そして、最後の行が「平成二十八年 賀正(「元旦」のつもりらしい)」であるのを見たときには、お腹がよじれて、のたうち回った。

by enzian | 2016-01-02 19:05 | ※その他

カネタタキ

空を見上げたら、昼間の空の青さと夕暮れどきの赤がせめぎ合う、青と赤のグラデーションが見えた。薄暗くなった足下には下草が生えている。少し前まではうるさいほどに鳴き盛っていたコオロギやマツムシの姿はない。ほかの秋虫がいない静寂のなか、ただ、寒さによく耐えるカネタタキだけが鳴いている。彼らはときにはクリスマスのイルミネーションが明滅するなか、12月になっても鳴いていることがある。

隙を見つけては人家に侵入しようとするカネタタキは、今年も我が家の風呂場で捕獲され、そっと庭に放たれたのであった。そして、そやつは見事、二度目の侵入も果たしたのであった。これほどまでに人なつこい虫はほかに知らない。人はただ無性に人を求めるときがあるが、カネタタキはなぜ人家を求めるのだろうか。ぼくはこの虫に、ことのほかやさしい気がする。

by enzian | 2015-10-16 23:35 | ※その他

好ましくないちゃんぽん

すっかり体調を壊してしまった。高熱が続いて、ようやく収まったと思ったら、めまいがして立ち上がれない。一度でさえもすくっと立ち上がれない。これまでほとんどめまいを経験したことのなかったぼくは、めまいの威力におののくばかりなのである。

9月の半ばから体調を壊して思ったのは、自分の心と体の関係は小さいころから変わっていないということ。幼いころよりは高熱の際の “うなされ” はましになったような気がするけど、相変わらず軽度ではあっても、熱が出ているあいだは意味不明な内容でうなされ続けた。

もっと変わっていないと思ったのは、あまりにも不快な思いをすると、それに近接する経験をグレーに染めてしまうということ。幼いころ鶏肉を食べていて気分が悪くなってそれ以来、鶏肉が食べられないなのだけど、よく似たことが起こってしまった。体調を壊したのは長崎でだったが、長崎という街自体がグレーになった。長崎で研究しようとしたキリスト教の殉教もキリスト教自体も、そればかりか、長崎の街で見かけたカステラもちゃんぽんも皿うどんもグレーになった。そう、なんでもかんでも長崎関係はまぜこぜのちゃんぽんになって、いまは思い出すのもイヤなものになってしまっているのだ。こんなことで皿うどんが嫌いになったらどないしてくれんねん、熱。

とはいっても、ぼくは昔から、経験する前は嫌いだったこともいったん経験すると徐々に好きになるタイプだから、この不条理な長崎十把一絡げ嫌いの気持ちも相殺される日がくるのかもしれない。このごろはどこでも行くようになってどこでも好きになってきた傾向があって、体力も怪しくなってきていたから、この先を健康に生きていくためには、ちょうどよいバランスなのかもしれない。

by enzian | 2015-09-23 15:31 | ※その他

やるべきか、やらざるべきか。

やるべきかやらざるべきか悩んでいることがある。なにもしなければあることが損なわれることはわかっていて、同時に、これまでの痛い経験でどんなに骨を折ってみても無駄に終わることもわかっている。この事例は、ぼくのここ何年かのなかでとくに記憶に残る敗戦事例として残っているものと瓜二つなのだ。

ぼくはこれまで、自分の信念に沿うようなことでやるかやらないかの二択を迷ったときには必ずやってきていて、その判断を一度も後悔したことがないというのを誇りにしてきたのだけど、折り悪く、今年はその誇りが危うくなってきていたりする。まぁ、そんなこと言っても、やるけどね。

by enzian | 2015-09-23 15:06 | ※その他

ぽたぽた経験希望

先日、久しぶりに青空の下、額からぽたぽたと汗が落ちるような経験をして、おぉこれは高校のクラブのときにいつも感じていたやつだと、すがすがしくてなつかしい気分になった。「じわっ」とか「じゅる」とか「だらだら」といった粘着質を感じさせるものではない。あくまで「ぽたぽた」なのだ。先日のオープンキャンパスは気温が39度になっていて、学生スタッフはさぞ大変だったろう。ぼくは涼しいところに座っていただけだったけど、外にいた同僚は体調を壊していたのだった。

ともかく、今年はお盆休みがとれそうだから、何度か外に出て汗をぽたぽたしたい。ちょうどよいことに、若いころはあれほど頑なで、高校野球の敗戦風景をいつも小バカにしていた涙腺もほどよく緩くなってきたので、できればすがすがしい感動もして、涙もぽたぽたしたい。なになに無理だって?そういうこと、言うなよ。

by enzian | 2015-08-09 09:02 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

食べ物への礼儀

好むと好まざるとにかかわらず、歳を重ねるごとにひとと食事をすることが増えてきた。もちろん、いっしょに食べて楽しい会話ができればいいのだけど、できれば二度目の会食は免除願いたいと思うタイプ、二種。ひとつは、きっちり料理をさらえるという習慣がなくて、来る皿、来る皿に料理を残すひと。もうひとつは、なにを食べても決して「美味しい」と言わないひと。どちらも、いったいどういう育ち方をしてきたのだろうと真剣に考えてしまう。満腹だったり食べられない料理なら仕方ないがそうでないならきれいに食べること、そして、美味しくいただいたのなら「美味しかった」と告げることが、食べ物への礼儀だと思っている。

by enzian | 2015-06-07 21:24 | ※その他 | Trackback | Comments(6)

サツマイモたち

アスパラとジャガイモを食って、こんな美味いジャガイモは食ったことがない、美味い、美味いと呻(うめ)いていたら、その土地のひとは言いましたな。「いまは(冬越しして)貯蔵したジャガイモの最後の時期なので美味しいのです」。そうかアスパラは採り立てのうまさであるにしても、このジャガイモの甘さは長期保存によるものなのだ。思考を薄く覆っていたものが一枚するりとはがれて落ちて、地面でしゅわりと消えた気がした。バカだなおれは、いままでこんなことも知らなかったのだ。

以前、たった一度だけ家庭菜園でサツマイモをつくって、採り立てをゆでて食べて、その味のなさにがっかりして、二度とサツマイモなんか作るものかと思ったことがあった。いまから思えば問題なのはこちらにあって、あのときのサツマイモたちに悪いことをしたと、しみじみ申し訳ない気持ちになる。

by enzian | 2015-05-17 11:50 | ※その他 | Trackback | Comments(4)