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偽装工作

昔、担任の先生が生徒のひとりひとりに贈る言葉を書いてくれことがあった。ぼくには「努力家であれ、いつまでも」と書かれた。その文章のことは覚えていて、いまでもときどき思い出す。努力家なのだろうかと考えることがあるのだ。たしかに、持ち前の鈍くささゆえに、なんであれ人並みであるかのように “偽装" するには他人の2倍も3倍も時間がかかるわけだから、なにかと時間をかけていることはあるかもしれない(ちなみに、偽装さえせずに放置していることの方が多い)。しかし、ぼくはそういう時間消費を「努力」とはいわない。「努力」という言葉はもっと別の意味で使う。わが場合は、できるだけひとさまの足手まといにならないように自分を保護しているだけなのだ。いずれにせよ、この持ち前を持ち変えることはできない。今後も、自分を護り続けなければならない。

by enzian | 2015-04-26 12:09 | ※その他 | Trackback | Comments(2)

坂願望

電車でサラリーマンたちが「暗峠(くらがりとうげ)がスゴイ」と話していた。暗峠というのは奈良と大阪の境にある峠で、その坂の急勾配で知られる。先日も、NHKの「チャリダー」で坂バカ(急勾配の坂がなにより好きな自転車乗り)が登っていて、このところ「いつか坂バカになりたい」とばかり妄想しているぼくは、よだれを垂らしながら(垂らさなくてもいいのだけど)観ていたのだった。あぁいいないいな、ぼくもいつか大学の仕事がいまほどは忙しくなくなくなって、しかももし大学を首になっていなかったら、チャリダー(自転車乗り)になって、坂バカになって、どこぞに走っていくのだ。とっぴょうしもないようなことを書けば、その昔、ぼくは禅僧になりたくてなりたくてしかたなかったのだけど、それと坂バカ願望とはなんか似ている気がする。

by enzian | 2015-04-19 22:48 | ※その他 | Trackback | Comments(4)

動物園

「動物園ではまずどの動物を見ますか?」と聞かれて、うまく答えられなかった。苦し紛れに「キリン」と答えたのだが、しっくりこない。幼少時代は親に連れられて、少年時代は遠足で、青年時代は意中のひとと、壮年になってからは子どもを連れて‥‥それぞれのひとはそれぞれの理由で動物園に行くのかもしれないけど、いま、ぼくのなかには冒頭の問いへのうまい答えはない気がする。人はなぜ動物園に行くのだろう。

「これまで動物園的なところでみて印象に残っている動物はなんですか?」と聞かれたら、愛らしさでは太地町のくじら博物館にいたシャチのナミが浮かぶ。残念ながら、その後、ナミは別の水族館に引き取られて、死んでしまった。太地町はなぜナミを売ってしまったのか‥‥とくやしい思いがしたものだ。恐ろしさでは、上野動物園にいた一匹の巨大なヒグマ。プーさんなんてもんじゃない。吉村の『羆嵐(くまあらし)』を思い出して、身の毛がよだった。

by enzian | 2015-04-12 22:16 | ※その他 | Trackback | Comments(7)

自分と握手するということ

4月を前に何人かと握手をした。恥ずかしがり屋の自分が握手を求めることなんてありそうもないことだから、わけあって相手から求められたのだけど、握手することの大切さを感じた。うまく言えないが、言葉ではないなにかが伝わった気がした。握手するというのは手の内に凶器を隠していないということを示すための儀式的なものなのだろうと思っていたのだが、どうもそうばかりではないような気がした。ともかく、握手してよかった。ただ残念だったことは、そのうちの何人かは、お別れの握手だったこと‥‥いや、お別れにはせずにまた会おう。

昨日は新入生用の行事で、とある寺に詣でた。「合掌」と言われて、とまどった学生も多かっただろう。そういうぼくもかつて同じ行事のなかで相当にとまどった。とまどっていたときに後ろから話しかけてきたのがいて、そやつはぼくの親友になったのだった。合掌にはいまでもとまどったままでいるが、よくよく考えてみれば、手を合わせるというのは自分と握手することなのではないか。だとすれば、この場合の “自分と握手する" というのはどういうことなのだろう。

by enzian | 2015-04-05 18:11 | ※その他 | Trackback | Comments(4)

エネルギー量

岡本太郎の記録フィルムを観ていた。なんとも恐ろしいエネルギー量のひとだな、というのが印象。いつも思うのだけど、ひとが一生に使える精神のエネルギー量は乾電池のように一定なのだろうか、それとも太陽の光(厳密に言えば際限はあるんだろうけど)のように際限ないものなのだろうか。際限ないのであればほどほどで休む必要はないし、一定であれば使いすぎずにセーブしながらやっていかねばならない。

無尽蔵で際限などないと思いたいのだが、4月から頑張りすぎて9月には人間関係で力尽きるような、そしてときにはそのまま退学しまうような学生の姿を目の当たりにして地団駄を踏んだりしていると、簡単には際限ないとは思えない。学業も大切だが、大学であれば、ひととして上手に生きていくためのエネルギー配分を学ぶこともできるだろう。人間関係のなかでのエネルギー配分というのは、きっと生まれながらにして身についているようなものではなくて、努力して身につけるしかない技術なのだ。そんな “技術習得過程" で疲れてしまったら、どこぞへ旅に出たり、しばらく休学するのもよい。

もうすぐ4月。また新しいはじまりがやってきて、また新しいひとたちと会うことになる。

by enzian | 2015-03-29 21:50 | ※その他 | Trackback | Comments(2)

元旦

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ご無沙汰をしております。昨年は元旦に一度投稿しただけでした。元気にしておるのですが、なかなかこちらに記事を書くまでにはいたりません。別のことをしております。なんの交友活動もせぬふつつか者ですが、今年もよろしくお願いいたします。

by enzian | 2015-01-01 21:14 | ※その他 | Trackback | Comments(6)

新年のご挨拶を。

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みなさま、お元気でいらっしゃいますでしょうか。昨年もぜんぜんでしたが、いちおう、ときどきはブログをのぞいております。元気でやっております。

今年もほとんど書けそうもないブログですが、よろしくお願いいたします。

by enzian | 2014-01-01 22:37 | ※その他 | Trackback | Comments(10)

暑中見舞い

ごぶさたしております。今年の夏も暑くなりそうですが、いかがお過ごしでしょうか。ぼくはといえば、かの地で毎日文章を書いておるのですが、そこはここからは遠くへだった場所のような気がします。べつのところで文章を書いていても、ときにはここで書けるだろうと思っていのですが、書けないものですね。時間がないのではなく、気分を切り替えることができないのです。じぶんが、一度に二つのことをできない不器用な人間であることを改めて感じています。といっても、不器用でいいと思っているのですが。

今日の京都は雨で、明日も雨が降るようです。きっと雨が降ったから、少しだけ、ここに戻ってきたのでしょう。みなさまには、夏の疲れが出ませんように。

by enzian | 2013-07-13 18:30 | ※その他 | Trackback | Comments(22)

梅雨時に生まれて。

b0037269_12293244.jpg「お前がなにかするときは雨やな。産んだとき、雨が降ってたやろか、どうやろう」――いつも母がつぶやいていた。そのさが?はいまも変わらないようで、ここぞというときには雲がたれこめる。台風が近づき、風が吹く。雪が降る。ときにひととなにかをするときもそんなぐあいだから、心のなかでは申しわけないと方々に謝っている。

今年も、たくさんの心をいただいた。当人でさえほとんど記憶の片隅に追いやっているような日に、毎年変わらず、忘れることなく温かな言葉を届けてくれる卒業生たちがいる。そのひとたちの学生時代のことを思いだしながら、なぜそんなことができるのかと考えていた。――たしかに、自分は雨の日にはじまったのかもしれない。母は雨の日を選んで産んでくれたのかな。

by enzian | 2012-06-16 12:37 | ※その他 | Comments(8)

のっぺらぼう

ぼくには昔から変なくせがあって、相手に人間の言葉がつうじないと感じたとき、そのひとがサルに見えるようになってくる。そういうひとがキキー、ウッキーと発話するのをじっと聞きながら、あぁおサルさんがしゃべっていると思っている。とりわけそういうおサルさんが自分の権利主張のみをこととするタイプの場合は、これまたどういうわけか、牙をむいたマントヒヒに見えてくる。もうこうなるとダメで、ぼくはヒヒとは距離をおく。

相手が別の言語を話すひとであれば、苦手な外国語であってもあいさつぐらいできるようにしようかとも思うけど、相手に人間の言葉がつうじないとなると、手のほどこしようがなくなる。これはもうコミュニケーションの問題なのではなく、生物学上の棲み分けの問題なのだと思うし、誰しも出くわす、けっこう切実な問題なのだと思う。

ここで考えるのはふたつのこと。ひとつは、自分が他人から見て、マントヒヒになっていないという保証はどこにもないこと。もうひとつは、ヒヒをじっと見つめているときの自分の表情はどんなものかということ。自分ではのっぺらぼうのようになっているのではと思えるのだが、のっぺらぼうは自分の顔を見ることができない。

by enzian | 2012-05-27 12:44 | ※その他 | Comments(0)