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すっきりとぎっくり

坐ろうとしたときにグキリときた。こんな言葉、使いたくもないが、ぎっくり腰なのである。せんじつ、とある大学の方が、いかにもぎっくり腰でさくさくとは歩けませんという風な身のこなしでエレベーターに入ってきたときに思わず笑ってしまい、詫びをいれたばかり。こんな失礼なことをしてしまったら、いずれバチが当たって、自分もなってしまうのではないかと、ひやひやしていたらこれなのである。パソコンの前から一歩も動けやしない。

こういう場合、バチが当たったわけではなく、バチが当たっては困ると意識しているものだから、失礼→ぎっくり腰という天罰、という因果関係を創作してしまうというふうに考えられるのだろうが、自罰と考えるのもおもしろい。失礼な自分を許しておくぐらいなら、自分もぎっくり腰になった方がまだ気持ちとしてはすっきりする。ならば、不自然な坐り方をしてぎっくりしてしまえ、というわけだ。天とは自分なのである。

by enzian | 2011-10-29 21:24 | ※その他 | Comments(0)

見なかったことにして

バスを降りると盛んに雨が降っている。いらっとしながら折りたたみの傘を開けようとすると、暗いバス停に若い女性がひとり立っていた。傘をもっていないらしい。バス停からさほど遠くないところに住んでいる女性とわかる。顔を見たことがある。傘に入れてあげようかと思うが、すぐに打ち消す。相手が少年や男性であれば声をかけられただろうが、しょせん、相手は決して声をかけることはできない存在なのだ。かければ相手にも迷惑だろうし、こちらにもどんな災いがふりかかるかしれない。そんな小さなこともできないとは。なにも見なかったことにして、ひとり傘をさして家路に急ぐ。男と女、つまらぬものだ。

by enzian | 2011-10-24 21:35 | ※その他 | Comments(0)

エチケット

つねひごろ、どうしてひとはあいも変わらないのかと不満ばかりもっているが、たった半年で、すっかり別のものになったり、きれいにもとに戻っていたりするのを目の当たりにすると、なんとまぁひととはフレキシブルなものかと、ころっと考えを変えたくなる。もちろん、こちらとしても、この種についてはこのような環境においてあのような変化をとげるだろう、あの種についてはあのような環境であるからこのように変化するであろうといった “変化の想定” をしているわけで、そういう意味では、想定の範囲内からでるものはなかった。

変わらないこともあった。ぼくの相変わらずの怖がられっぷりである。「怖い、怖い」とうるさくてかなわないのである。怖いなら近づかねばよかろうに、耳元での大合唱なのである。まぁ世の中にはお化け屋敷とかモンスターハウスに近づこうとする少数の物好きがいるのだから、こういうことになるのかもしれない。もちろん、自分のことを弁えているぼくは、自分を怖がっているとわかったひとにはもうそれっきり一切近づかない。そんな、怖くて泣いている子どもをさらに怖がらせるようなまね、やなこった。せめて三分の一人前の社会人として、いたずらに近づかないでいてあげることがエチケットだと思っている。

by enzian | 2011-10-19 22:09 | ※その他 | Comments(0)

ぴりぴり、ひりひり

とある四川料理店にいったときのはなし。その店の麻婆豆腐は唐辛子や花椒がしっかり使ってあり、かなり本格的に辛く(辣)て、痺れるような味(痲)付けで、この手の料理を食べ慣れているぼくからしても限界の香辛料の効き具合だと思ったのだが、店主によれば「若い方はこれでは足りないとおっしゃる方が多い」ということであった。

こういう料理には汗を出すこと、汗を出したあとの爽快感を楽しむという意味があるのだと思うが、汗を出すために必要な一定量を超えてぴりぴりやひりひり自体を求めているのだとしたら、それは一瞬であっても、生命を維持するための食事に自分への圧迫感とか抵抗感をくわえていることだろうから、(同じことは炭酸飲料水でいったことがあるけど)興味深いことだ。これが自虐の意味ではないかなどという邪推は、怖いのでしないでおく。

by enzian | 2011-10-13 22:26 | ※その他 | Comments(0)

ぴょん吉、その後

なんにんかのひとにぴょん吉のその後を聞かれたので、書く。こんな話、読んでいるひとがいるとは思わなんだ。引越の日、部屋のものをすべて出してしまうというので、心配していたのは知らぬうちに彼を踏みつぶしてしまわないか、ということだった。朝、段ボール箱をガムテープで閉じていたら、うまくぴょん吉が飛び出してきた。このときばかりはなんとしても捕まえねばならぬと、大捕物をして、見事、御用にした。

どこに逃がそうと迷ったが、けっきょく、ベランダに置くことにした。ベランダはお隣さんたちとつながっているから、人間の部屋が好きなぴょん吉はどこか彼の好きなところにいくだろう。その部屋主とぴょん吉の相性がどうなるのか、スリッパでパンパン叩かれたりしないだろうかなどと心配になるが、考えてどうにかできるものでもない。「お元気で」と、いつも人間との別れのときにもいう言葉とともに、ベランダに置いたのであった。

半年ぶりに京都の山奥の家に戻ったら、カネタタキが侵入していた。夜ごとカンカンと風流なことである。ぼくはぴょん吉のことは忘れて、このカネタタキをあたらしい友だちにすることにした。お前の友だちは節足動物ばかりなのか。

by enzian | 2011-10-09 22:39 | ※その他 | Comments(0)

ぴょん吉のこと。

ぴょん吉というのは、ぼくの部屋で生活をともにしているハエトリグモのことで、あるとき小さな小さなハエトリグモがいるのに気づいて、こんな餌もないであろうところに置いておくのはしのびないと部屋から出してやろうとしたのだが、なんどつかまえようとしても、あの身のこなしでぴょんぴょんと巧みに逃げるので、ついぞあきらめてしまった。ぼくはもうできるだけの努力をした。こんな哲学書と歴史書ばかりの砂漠のようなところで餌がなくて餓死したところで、それは君のせいであって、ぼくの責任ではない。

その後も、ぼくがパソコンの前で勉強をしていると、ときどきモニターの前を横切ったりするので、その度につかまえようとするが、けっきょくぴょんぴょんしてしまうのであった。それできっとひもじい思いをしているのだろうと心配していたのだが、あるとき、ぴょん吉が少しずつ大きくなっていることに気づいた。一週間前に見たときはもう完全に成長して大人サイズになっていた。やつは確実になにかを食べているのだ。なにを食べているのかわからなかったが、昨日、引越前の掃除をしていて、ちょっとわかった。ぼくの部屋には、どうも、ぼくとぴょん吉以外にも二種類の生物がいるらしいのだ 。コワイヨママ。

ひとつは紙魚(しみ)。どんなやつかご存じない方はネットでどうぞ。部屋には古本屋で買った古本がたくさんあるので、そういう経路で紛れ込んで生存しているらしい。もうひとつはダニ。タタミをよ~く見ると、ふんにゃかうごめく極小の生物がいて、(・_・?)となったのだが、ダニであった。こやつらはきっと、ぼくからぱらぱらと落ちる皮膚の破片とかを餌にして生きておるのだ。いつのまにか、東京でダニを養殖しておったのですな。ダニ大漁。ハエトリグモがはたしてダニを食べるのかどうかしらんけど、もしそうだとしたら、ぼくはこの東京生活で立派にぴょん吉を育てあげたことになる。

by enzian | 2011-09-25 23:05 | ※その他 | Comments(2)

偉いひとは偉いひとなりに

偉いひとは偉いひとらしく、もっと偉そうにしてもらわないと困る。ぼくは、偉いひとはその偉さに応じて偉そうにすることを当たり前だとまではいわないにしても、「そうなることは理解できます」ぐらいに考えているので、偉いひとはそれなりに偉そうにするものだろうと想定しながらひとと付き合う。ところが、明らかに偉いにもかかわらず、ちっとも偉そうにしないひとは困る。ちょっと油断をすると、ぼくよりも目線を下げているような油断も隙もない謙虚なひとには、内心、穏やかではない。偉くもないのに偉そうにしているひとや、尊敬すべきものをものっていないのに自分を敬えと迫ってくるようなものには1ミリたりとも傾かないが、こういう謙虚なひとのまえではぐらぐら揺れはじめて、かってにひれ伏す。

もちろん、ここでは「偉い」の意味が問題になるが、それは秘密なのである。

by enzian | 2011-09-24 23:40 | ※その他 | Comments(0)

はらり

卒業生と話していると、「あのときは言わなかったのですが、じつは○○だったのです」というフレーズをときどき聞くことがある。ひとりの人間からなにかがはらりとほどけて落ちてくる瞬間に立ち会えることの “役得” を噛みしめる瞬間でもあるし、ひとがなにかを言葉にすることのむずかしさを感じる瞬間でもある。

聞く耳をもっていますよ、大丈夫ですよ、などとアピールしても、なにかが熟さねば言葉は落ちてこない。なにかがはらりとほどけて言葉になる瞬間がいつになるのか、言葉の主にもわからないのだ。でも、時間のなかでいつか熟すと考えて待つ。

by enzian | 2011-09-18 23:58 | ※その他 | Comments(0)

合間

論文を書いていると、どれほど緻密に筋書きを思い描いていたつもりでも、いつか行き詰まってしまう。論文ごとき書けずとも死ぬわけでもあるまい、というひともいるかもしれないが、研究することを生業の何割かにしていて、それを自分のなけなしのアイデンティティだと思い込んでいるタイプの人間にとっては、少なくとも、行き詰まっているあいだは生きた心地がしない。なんとか池地獄でもがく亡者の心地さえして、ほとんど生存の危機に瀕している。

再三こんな目にあっているなら、泥沼に落ち込まない方法を考えればよいのだが、思いつかない。ほんとうのことをいうと、思いつこうとも思っていない。そういうわけで、いつも泥沼でびちゃびちゃやっている。もちろん、あるとき亡者の上にも、するすると光の世界から蜘蛛の糸が降りてくるのだが、いまいましいことに、パソコンの前でうんうんうなっているときには降りてこない。決まって降りてくるのは、就寝前の夢とうつつのあいだか、風呂場で頭をごしごし洗っているとき。考えているとも考えていないともいえない曖昧な合間。

by enzian | 2011-09-15 21:25 | ※その他 | Comments(0)

なにかが変わりはじめている。

このところ、たしかになにかが変わりはじめている。いちばん最初に気づいたのは毛深くなってきたことだ。もともとぼくは毛深くないタイプだと思うのだが、東京にきて、みるみる毛深くなってきた。ごわごわなのだ。毛深くなるというのはおもしろいもので、短かった体毛がだんだん長くなってきて、あれ(・_・?)と思っていると、その長い体毛がみるみる黒くなってくる。なになに、おれってこんなに毛深かったの?あれあれ?ということになっている。あと一ヶ月もしたら野生動物になってしまうのではないかと心配している。

つぎにおかしいと気づいたのは、ホクロがいたるところにできてきたことだ。東京に来るまえにはぜったいなかったホクロが腕といわず顔といわず、いたるところにできはじめた。京都にいたときは額にはホクロなんかなかったはずなのに、いま見ると三つもできていて、二等辺三角形を形作っている。そしてなおかしいことに、前にあったはずのホクロが消えている。ホクロが移動しているのかどうかわからないが、こんなことなら京都で全身写真を撮っておいて京都に戻ったときの写真と比べて楽しめばよかった。

眉間にしわがよってきたことに気づいたのは、ほぼ一週間ほどまえだった。珍しく洗面台で鏡を見たら、眉間に二本しわを寄せて、恐ろしげな顔をしたおっさんが立っている。いまのところ、このしわはなぜか朝には目立つが夜には目立たないという半日ものに留まっているが、いつフルタイムになるとも限らん。毛深くてもよいし、ホクロなどいっこうに気にならないが、このしわはおもしろくない。〈深層において般若*である〉というのはよいが、〈表面的に般若である〉というのは、わかりやすすぎてイヤだ。ひねりなくして哲学なし。

昨日気づいて、じつはいまも落ち込んでいることがある。とあるところで話をしたのだが、質疑応答のときに質問を忘れてしまったのだ。20代のころの、バカなりに頭が回転したぼくであったら、一度に数個の質問をされても余裕で答えた。ひとつを強く考えて答えながら、あとの数個に柔らかな思考をかぶせながら保持しておくことができた。それができなくなった。質問を受けて、ぼくはそのひとつの質問に二つの側面から答えようとして、ひとつめを答えている最中にもうひとつの側面を消してしまった。のみならず、その質問自体を忘れてしまった。たったひとつの質問の保持ができなくなった。老いたのだ。

野生動物風であってもかまわない。あからさまな般若になってもごまかしごまかし仕事はできるが、こういう保持ができないのは困る。教壇での講義ごときであればノートを見ればすむことだが、ひとと対話することができなくなるではないか。

*般若の面をさす。念のため。

by enzian | 2011-09-09 21:10 | ※その他 | Comments(0)