カテゴリ:※海を見に行く( 13 )

菅浦(7)

b0037269_14131956.jpg佐吉を出て、湖畔のベンチに座ることにした。老人が舟を操って、ちょっと深いところで網を入れている。なにが獲れるのだろうか。鮒や鯉だろうか。

ちょうど羽虫(はむし)が羽化する時期のようで、浅場のいたるところで鮎が跳ね、それまで蒼い鏡面のようだった湖面には、にわかに銀色のざわめきが立っている。最終バスの時間が近づいて、どこからかコロッケを揚げる匂いが漂ってきた。昼間いたブラックバスの釣り人たちはもういない。

この石のベンチに座って星を見上げられればよいだろう。視線のまっすぐ先には対岸があって、大津にまで連なっているはずなのだが、それはあまりにも遠く霞みの彼方に横たわっている。菅浦に来てやっと埋まったと安堵した想いのかけらだったが、けっきょく新しいかけらをまた生み出したのだった。次は空気の澄んだ冬に来よう。瞬く星空が美しいにちがいない。

駅舎のツバメの巣には両親が戻ってきていて、6羽がぎゅうぎゅう詰めの団子になって眠っている。永原からしばらく、湖西線の車両はがらがらの貸し切り状態だった。 (了)

by enzian | 2010-07-19 14:14 | ※海を見に行く | Comments(0)

菅浦(6)

b0037269_21554828.jpg参道から外れ、舗装されていない道を歩く。やけにアゲハチョウが多いと思えば、山椒が生え、いたるところに夏ミカンがなっている。山椒や柑橘類などのクセの強い葉は、臭角を武器とする “モスラ” たちの餌になるのだ。そういえば、『続・釣れなくなくてもよかったのに日記』(以下、『日記』)で福島昌山人さんが菅浦の夏ミカンのことを書いていた。おじいさんが働く畑の仕切りには、由美かおるのホーロー看板が立っている。

細い路地裏に出ると、看板が掛かっている。「割烹佐吉」――諦めかけていたものがそこにあった。ひとに聞かれれば美しい湖水を見に来たと言うだろうが、心の片隅ではこの店を願っていた。『日記』に書かれた菅浦は、どこまで餌が落ちて行っても見え続けている透明な湖水のありかであり、釣り終わったあとの佐吉での暖かい会話のありかなのだ。それらを求めてぼくはここへ来た。

「佐吉」に入ってビールを飲んだ。師匠の近況を報告しておいた。
「佐吉」の若兄ィちゃんがモロコの南蛮漬けと、あめだきを出してくれた。
モロコはおいしいけれど、クセがないのである。川魚が好きなぼくにはたよりない気がする。そりゃ、一般受けはして、よく売れると思うけど、ぼくはハイジャコやボテのあの苦味がいいのである。
 ボテは食べられないというけど、ハラワタを出して、あめだきにするといい苦味があって本当においしいのです。
 ここの若兄ィちゃんとしゃべっていても、まったくすれていない。純朴な感じがする。
「来年来てください。嫁がくることになってます」
「そう、嫁さんが」
「ハイ」青年は嬉しそうな顔をした。
 なんだかぼくも嬉しくなってきた。(『日記』37-38頁)

佐吉で川魚をいただいた。山椒をきかせた鯉の味噌汁が美味しい。ご主人が出てこられて、「いかがですか?」と尋ねられた。「若兄ィちゃん」であった。穏やかな語り口の、人なつっこそうな方だった。今日ここまで来た理由や福島さんのことを話せばよいものを、二次元の文字世界での住人に三次元で出会ったとたん胸がいっぱいになって、「美味しいです」とだけしか答えられなくなった。しばらくして「嫁さん」も出てこられた。

菅浦ならと淡い期待を抱いたが、湖南と変わらず菅浦も外来魚にあふれ、菅浦港はルアーマンたちの釣り堀状態であった。ブラックバスやブルーギルに駆逐されて湖南ではすっかり姿を見なくなった在来のモロコやハイジャコ(オイカワ)はここでも少なくなっているのだろう。とはいえ、福島さんと、車で送ってくれたおっちゃんの言っていたことはウソではない気がした。

by enzian | 2010-07-18 22:11 | ※海を見に行く | Comments(0)

菅浦(5)

b0037269_21222723.jpg菅浦の東西入口には四足門が残っている。これは江戸時代の末までは地域の東西南北の端に置かれていたもので、菅浦は一種の自治集落として隠れ里への出入を統制していたという。

山と湖に挟まれ細長く伸びた集落には数カ所の寺院があり、一つを除いて無僧寺になっている。中世以来の長い歴史があるとはいえ、百戸足らずの小集落にこれだけ多くの諸宗派の寺院が残っているのだ。それは人から懸隔して生きることの難しさによるものなのだろうか。それとも、救われたいという共通の思いをもつにしても、その救われ方については妥協を許せないという、最期の希望の反映なのだろうか。

西側の四足門を入ってすぐの山肌には、この地に隠れ住んでいた淳仁天皇を祀ったという須賀神社がある。参道の長い石段を登ると、琵琶湖と竹生島が見下ろせる。日陰には、薄い青紫に橙色をあしらったようなシャガの花が咲いている。好きな花だ。須賀神社の本殿近くは土足厳禁になっていて、靴を脱ぐ気もないので、そこで引き返す。

その昔、実家は神道とも仏教ともつかぬ宗教に入っており、月に一度、滋賀か京都の支部にお参りに行くのが恒例行事になっていた。教祖(代理)の長い話を聞く “苦行” が終わって、琵琶湖畔か鴨川沿いを歩くことが、その際の唯一の救いだった。一度、恒例行事で事件を起こしたことがある。一畳ほどの神聖な空間に誤って一歩足を踏み入れたのだ。そのとたん、大人たちは蜂の巣を突いた騒ぎになり、少年は罵倒され、衆人環視のなか、正座のまま顔を畳にこすりつけて謝罪の言葉を言い続けさせられた。子どものプライドは引き裂かれた。そのとき、ぼくは一つの誓いを立てたのだ。

by enzian | 2010-07-13 08:06 | ※海を見に行く | Trackback | Comments(21)

菅浦(4)

b0037269_891179.jpg「地元のもんも使わんもんやから、バスもすっと行ってしまいよるんです」。2時間に1本のバスでは、それをあてにして生活することもできまい。安くもないJRに乗って、めったに来ないバスを継いで隠れ里まで行く観光客もほとんどいないだろう。こうして、細々と運行されている路線バスもいずれは廃止されるのだろうか。

「ここらへんのもんはみなひとがようて、さびしいもんやさけぇ、ひとが来たら、誰彼となく話しかけよるんですわ」。それは、田舎で育った自分がもつ田舎の人間の定義ではなかった。ぼくにとって田舎者とは、表面は慇懃でも裏では陰湿な行動で自分の地域以外の、いや自分の家族以外の人間を秘かに “他所者” として区別し、決して近づけようとはしない、一定地域に暮らす人間たちの謂(い)いなのだ。

しかしそうした考えが誤りであることをこの男性が示しているように思える。疑うのはたやすいが、ぼくであれば「歩いて帰ります」と言われて、「それでも送りましょう」とは言わなかった。「そうですか」とすぐ引き下がっただろう。それを許さないこのひとの力強さはどこから出てくるのだろうか。それは自信なのだろうか。勇気なのだろうか。それとも別のものなのだろうか。いずれにせよ、そのようなものを自分は持ち合わせていない。限定された空間に住む者ではなく、住む場所を問わず排他的な精神しかもたぬ小心者こそが “田舎者” なのではないか。

菅浦にいたる道には山肌が迫っている。「私の若いころ、まだこの道はなくて、この奥のもんは小学校へ行くときには1時間歩き、入り江で手漕ぎ舟に乗って、また歩きました。それは不便なもんでした」。降りしきる雪のなかを歩き続ける小さな子どもの姿が浮かんだ。冬は雪で埋まる多雪の地で、小集落に通じる道が自衛隊員の手によってようやく整備されたのは1965年のことであったという。それまでよそよそしかった「自衛隊」という言葉がにわかに明るく温かくなってきて、はじめて身に親しい言葉になったような気がした。

by enzian | 2010-07-03 23:59 | ※海を見に行く | Trackback | Comments(12)

菅浦(3)

b0037269_22592185.gif大浦で菅浦行きのバスを待つ。バス停から少し離れた待合室でぼんやりしていたら、マイクロバスのような車がノンストップで通り過ぎた。まさかと思って時計を見たら、バスの出発時間だった。

なぜ待合室を見てくれなかったのかと、まっすぐ正面だけを向いて走り去った運転手を苦々しく思ったが、後の祭りだった。次のバスは2時間後、たとえそれに乗っても、もう菅浦を歩く時間はないだろう。

携帯はあるが、タクシーを呼んで行こうとするほどでもない。いつものあきらめの早さが出てきて、すっかり心は駅の方に向かってしまっている。さきほどの川沿いの道をとぼとぼ歩いて帰る自分の姿が浮かんだ。あぁ、もう少し粘り強ければ立派なひとになれたかもしれないのに。他人が去っていくことを、いやそれよりも、自分が去っていくことを簡単には許しはしなかっただろうに‥‥他人事のように残念に思っていた。

心を決めたとき、道を挟んで待合室の向かいにある家から一人の女性がまっすぐに歩いてきた。二階で洗濯物を干していた女性だ。「バス行ってしまいましたね。菅浦に行かれるのでしょう?」「はい。でも、気ままな旅ですので、歩いて帰ります」。返答を聞き終わらないうちに女性は玄関に向き、言った。「お父さん!菅浦へ送ってあげて」。玄関から男性が歩いてきていた。「せっかく来られたのに。そこに車があります」。

二人には、「けっこうです」と言わせないきっぱりとした迫力があった。二人の心は同じ目的地へとまっすぐ、力強く向かっているようで、そこにはぼくの弱い心を差し挟む隙間はなかった。ぼくは珍しく、知らない方の厚意に甘えることにした。

by enzian | 2010-06-26 23:08 | ※海を見に行く | Trackback | Comments(5)

菅浦(2)

b0037269_1932583.jpg川に沿って大浦まで南下する。大浦はさらに東の塩津や飯浦と並んで琵琶湖のなかでももっとも奥まった北方に位置する内湾のひとつ。

大浦からの眺めのなかで琵琶湖ははるか南に延びているが、何十キロも先の対岸はさすがにかすんでいる。対岸にあたるのは彦根市か近江八幡市あたりか。それよりも南、大津市でぼくは生まれた。ぼくのなかには琵琶湖の水があって、ときどき水辺に誘い出そうとする。母は近江の人だった。

大津などの南湖(琵琶湖の南側)とはちがって、ここ大浦の水は透き通っている。透き通った水を見るのは好きだ。透き通った水に手を浸すことはもっと好きだ。体温が高くて、とくに手のひらの体温の高いぼくは、いつも指先で冷たいものを探している。体温が高いといったら、体温が高いひとは心が冷たいのです、と返されたことがある。自分の胸に手を当ててみれば、なるほど、いつも指先より冷たく感じる。

少し離れたところに防波堤が見える。釣人もいる。福井の青い海とそっくりで心が躍った。透明な水の浅瀬で鮎の群れが行き交う。ひとを怖がらないのかと思って近づくと、あわててという風ではないが、じょじょに距離をとっていき、やがて群れは影も形もなくなっている。しまったと思っても、その後、近づいて来ることはない。

by enzian | 2010-06-12 18:46 | ※海を見に行く | Comments(0)

菅浦(1)

b0037269_1310454.jpg湖西線の永原駅はそれなりに大きな駅だが、休日だというのにいっしょに降りる人もいない。

それは人気のないコンクリート製の要塞といった体(てい)のもので、駅の出口ではツバメの雛たちがヒィーヒィー鳴いている。透き通った黒水晶のような目と黄色いくちばしに抗(あらが)うこともできないのか、親たちがかいがいしく餌を運んでくる。自分が作り出したものに抗えなくなるとはさも不思議なことだが、自分に支配されることは動物にとっても一種の悦びなのかもしれない。

駅前にはほどよい水量の川が流れている。橋から下を見ている老人がいる。投網(とあみ)を打っているのだ。水にはときおり “ぐねり” ながら泳いでいる魚がいる。鮎に特徴的な泳ぎ方。淡海(おうみ、琵琶湖)に流れ込む小河川の多くと同様、この川にも鮎が遡上しているのである。投網には、黄味がかった銀色の魚がきらきら輝く。幼いころ、鮎は捕まえられない魚だった。泳ぎが速く手づかみでは捕らえられないマス科の小魚も、自分の速さで投網の網目に深々と首を突っ込んでしまう。投網の前では一網打尽なのだ。

やや泥深くてやたらと美しいというわけでもないが、川は田園の風景に溶け込んでいる。鮎だけではなくナマズやウナギも行き来するのだろう。ところどころモンドリ(魚を捕る仕掛け)が仕掛けられている。目を凝らして見るが、赤黒いアメリカザリガニが見えるだけで、お目当ての魚は入っていない。葦が繁り、菖蒲が咲いている。カワニナがたくさんいる。もうすぐ、このほとりではたくさんのホタルが飛び交うのだろう。

by enzian | 2010-06-05 13:49 | ※海を見に行く | Trackback | Comments(8)

走馬燈

b0037269_23295647.jpg美へのセンスはほとんどない。特に人間の表面に現れる美へのセンスはまったくもちあわせていない。色にも詳しいわけではないが、こだわっている色はある。水色だ。青と白の絵の具を混ぜるのが訳もなく楽しくて、保育園のころ、描く絵はすべて、この色で塗りつぶした。

青と白の絵の具をひたすら混ぜて、保育園児は理想の色を探していたのだろう。それは、保育園の庭の端のフェンスまでどころか、何千キロの彼方でも自由に行き来できるようになったいまでも変わらない。まだ編み合わされていない余白を縫い合わせようとするかのように、そのような色を索(もと)めて、ときどきふらふらと波照間島のニシハマに行く。そこには、えもいわれぬきめ細かな白砂があり、白と青のコントラストがある。触覚と視覚を満たすものがある。手指をすり抜ける砂の感触を感じながら、ひがないちにち水色の空と海を見ている。

ニシハマの水色は美しいが、それが理想の水色なのかと聞かれれば、口ごもってしまう。すっきりと晴れわった日のニシハマを知らないからだ。雨男の悲しい性。ニシハマではないが、一度だけ、 “理想の水色” を見たことがある。いつのことか、仏間には縁側から日が射していた。音も立てず、なにを動力にしているのかわからない水色の走馬燈が回っていた。あまりにも美しい水色でいやになった。

by enzian | 2010-04-24 16:19 | ※海を見に行く | Trackback | Comments(22)

西桟橋

b0037269_21381929.jpg竹富島には西桟橋と呼ばれる桟橋がある。桟橋が突き出る砂浜にはとてつもなく走るのが速いカニがいて、行けばしばらくカニとたわむれる。桟橋のそばでは青いスズメダイやヤガラ(矢柄)が泳いでいる。ヤガラは小さな魚を食べに来ているのだ。

沖から小さな船を操って、真っ黒に日焼けしたおじいが戻ってくる。桟橋の向こうには西表島が見える。昔は毎日このような船で西表島に渡って農作をして帰ってきたという。隆起珊瑚礁でできた竹富島では十分な稲作ができなかったのだろう。

夕方になると、昼間は水牛車を引いていた水牛たちが水浴びにやってくる。さすがに水が怖くないらしく、角と目と鼻だけを出して、水中でゆらゆらしている。やがて目を閉じて眠りはじめる水牛たちを桟橋に腰掛けて見ている。水牛が帰り、若い女性がひとり。ぼくの後ろを通り過ぎて、桟橋の先端の方に行ってしまった。先端に座って本を読んでいる。そばに行ってなにか話しかけようかと思ったが、やめておいた。できれば大学生ぐらいのころにここに来てみたかった。でも来たら、ぼくはいまのぼくではなかったかもしれない。

by enzian | 2010-03-24 21:46 | ※海を見に行く | Trackback | Comments(0)

ナミのいる風景

b0037269_2394210.jpgシャチが5億円で譲渡されるという話を聞いて、はっとした。やはり和歌山の太地にあるくじら博物館が飼育しているシャチだった。

その博物館は長く行きたいと思っていて、昨年、ようやく行けたところなのだが、期待していた捕鯨史関係の資料やクジラの標本よりも、どちらかといえば、自然プール(海に仕切りをつけたもの)で飼育されていたシャチやらイルカやらその他の小型クジラが興味深かった(「イルカ」は小型の歯クジラ類の総称)。

ぼくが昨年の水族館大好き哲学者選手権の近畿地区予選でベスト4にまで残ったことはもうくりかえさないが、水族館に詳しい者はおのずとイルカショーの審美眼をも磨くことになる。そういうわけで、多くのイルカショーを見て、そんじょそこらのイルカショーぐらいなら驚かないんだからね状態になっていたのだが、くじら博物館のイルカショーの飼育員とイルカたちとのムダのないキレのよい動き、シャチの迫力には久しぶりに目を奪われた。目がハートになって困った。個人的には、これまで見たショーのなかでいちばんだった。

ショーが終わって観客が去ったあと、雨降るなか、女性の飼育員とシャチ(「ナミ」)が遊んでいた。ナミは舌を出して飼育員さんに近づいてくる。ショーのときのように餌をもらえるわけではない。舌に触れて欲しいとねだっているのだ。飼育員さんはナミの口に手を入れて笑っている。ナミも全身でうれしいと言っている。それはショーよりも好きな風景だった。

by enzian | 2010-03-11 23:17 | ※海を見に行く | Comments(0)