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君の幸いを願う

とてもうれしい電話があった。20年間、待ちわびた電話だった。人並みの天与に恵まれなかった君。周囲の無理解が過酷な運命に拍車をかけた。その責任の大半はぼくにある。運命をうらむことなく、決して弱い者を捨て置かなかった心やさしい君。今のぼくの幸せは実に君の犠牲のうえに成り立っている。だが、ぼくの幸せを君に分けることはできない。今度こそ自分自身の幸せを君が噛み締めることができるよう、ただ心の底から君の幸いを願う。

by enzian | 2004-06-27 23:59 | ※彼方への私信 | Trackback | Comments(0)

やさしい雨音

雨音を聞いていると、ふしぎと心が落ち着く。行楽をふいにする雨は嫌いなのに、雨音は嫌いではない。雨音を聞いていたら、忘れていた両親のことを思い出した。

少年には、家庭に諍いがなかった日の記憶はない。来る日も来る日も、すさまじいののしり合いの声が昼夜を問わず近所に響き渡っていた。恥ずかしくても、悲しくても、大人の諍いを止める術はなかった。誰もがやっかいな一家とのかかわり合いを避けていた。頼る人もいない。少年にできるのは、激しい雨音が罵声をかき消してくれるのを願うことだけだった。

雨がトタン屋根を強く打ち付ける日。やさしい雨音を聞きながら、人知れず泣きはらした目で、少年はようやく浅い眠りにつくことができた。

by enzian | 2004-06-26 23:59 | ※山河追想 | Trackback | Comments(0)

野田又夫氏

もう少し前のことになるが、京都大学の名誉教授であった哲学者、野田又夫氏が逝った。かつて感銘を受けた野田氏の言葉を一つ。 
「現実の内在的批判によってのみ真実はみとめうる、ということがソクラテスの生死をささえた。こういう仕方で求められる限りにおいてのみ、求める真実と善とは、現実をはなれた夢想たらざることを得るのである。そしてこのことについては、むかしもいまも、根本において変りはないと思われる。
 もちろんわれわれ自身、現在の状況において、真実と善とを、ソクラテスやプラトンの示したような規模において求めようとするとき、われわれみずからの新たな工夫と新たな勇気とを必要とする。かれらの後二千数百年の歴史の示す事実は、かれらの信じたところ教えたところの実現へとわれらを励まし勇気づける事実のみではない。むしろそのことの困難を、いなほとんどその不可能すらも思わせる幾多の事実を、人類は経験した、といわねばならないであろう。むしろ絶望することの方が正直だといいたくなることもあるであろう。
 しかしながら、だからといって、すべてに絶望して人間を見限り、理論を見限ることは、多くの場合かえって安易なのである。人間のことをよく知らぬ者が、えてして人間ぎらいとなる。たとえば、たやすく人を信じる者が、いったん裏切られるとまたたやすく人間ぎらいとなる。同様にして理論的吟味の苦労を知らぬ者が、たやすく理論ぎらいとなる。こういう人間ぎらいや理論ぎらいは、現実の問題の困難を深く知った結果であるというよりは、未熟のせいに過ぎないであろう。」(「人生と真実」より)
難しいと思う人は、最後の段落だけでも目を通して欲しい。特に若い学生に。

by enzian | 2004-06-24 23:59 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(2)

暴風雨警報下の学校にて

暴風警報のなか大学へ行く。休講のにおいを鋭く嗅ぎ分けるのが学生の本能、だが明らかに休講でもやってくる希少なのもいる。希少な学生との、とりとめない会話。
「小さい頃、台風と聞くと、わくわくしなかった?」
「しましたねぇ。」
「どうしてだと思う?」
「非日常だからでしょう。」
「人間は非日常を求めているということ?」
「そうなりますね。」

by enzian | 2004-06-21 23:59 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)

岐路

三条大橋で気になる三人を見る。西側には、毛布をすっぽりかぶった年老いた物乞い。空き缶に誘い金50円。橋の中央には、まだ年若い雲水。一心に経を読んでいる。東側には、「なんで屋」という新しい商売を始めた青年。日常生活の疑問をお題として並べ、客に選ばせて説明するらしい。一題、300円也。混じり合わない三様の道。自分が立ち尽くした岐路を思い出した。

by enzian | 2004-06-12 23:59 | ※街を歩く | Trackback | Comments(2)