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“人間肯定の哲学”

前の記事で今年の記事も終わりにしようと思っていたのですが、なんとなくしまりが悪い気がしますので、一年のネット生活を振り返っておくことにします。ちょうど夏川りみも歌い終わりましたので(紅白は「涙そうそう」しか聞かない)。

開設したのが昨年の12月でしたから、ホームページは今月でちょうど1年になります。何の知識もなしにはじめたものですが、わからないなりによくガンバッタなぁと思っています。キノコやら八重山とかについては、それなりに書きたいと思っていたものが書けたと思います。「中学生の哲学」などは、もっともっと書かないといけないのですが、サボってしまいました。「卒業論文の書き方」も中途半端ですね。仕事っぽくなってしまうと、とたんにやらなくなるんですよね。悪いクセです。

ブログは、はじめたのが今年の10月からですから、まだ3ヶ月ぐらいです。それまではホームページにエッセイを書き溜めていたのですが、それらもまとめてブログに放り込みました。誰が考えたか知らないけど、なんともラクチンなものです。

ホームページとブログを通じて、いろいろな人とメールのやりとりをしたり、コメントのやりとり(というより、ぼくの場合は書いてもらってばかりですね。ゴメンナサイ)するようになりました。
たぶん、多くの人がこれを目的にしてホームページやブログを開設するのでしょうけど、やはり、これはとても楽しいことでした。当初の目的は、できるだけたくさんの、自分の哲学的才能を知らない(そういう意味で恵まれていない)中高生に見てもらって、その才能に気づいてもらう、ということに限定していたのですが、このごろは、当初の目的を忘れるまでになってきております。これはこれでいかんのですが。

ブログの記事内容については、ちょっと皮肉っぽい物の見方が多すぎたと反省しています。根がとても良い子ですから、こういう場では、悪い子ぶってしまうんですよね、といった冗談ばかり言っているとますます嫌われるので、冗談はこれくらいにして、新年からは、「クワバラな人」の逆コンセプトの新春新企画として、シリーズ、こんな人であれば思わず50センチ近寄ってウェルカムしてしまう(??)、「ウェルカムな人」(仮題)シリーズを謹んではじめることにいたします。何回シリーズになるか、知りません(ちなみに、「クワバラな人」シリーズもまだ継続しております)。心やさしいテツガクシャによる “人間肯定の哲学”です。乞うご期待!

やっぱり、最後までバカなことしか書きませんでしたね。では、みなさん、よいお年を。

by enzian | 2004-12-31 22:01 | Trackback | Comments(21)

みんな、叱られたいの?

テレビを見ていると、みんな叱られたいのかなぁと思うときがある。昼はアナウンサーが何やらぞんざいなしゃべり方で電話の相手を叱っている。彼のファンなのだろうか、会場の中高年女性は、顔をしかめるでもなく、フンフンうなずいている。

夜になると決まって特番があって、流行の占い師が、芸能人に何やら、お小言を言っている。日頃は勢いのある芸能人も、そのときばかりは、しおらしくご託宣(おことば)に聞き入っている。

それなりの年齢の大人が、お世辞にも上品とは言えない仕方で公共の場で叱られる。なぜ耐えられるのか、不思議ではある。誰しも少しぐらいはマゾヒストの気がある、と言えばそれまでだけど‥‥。

完璧であると言われるよりは、それなりの欠陥があると言われる方が、あとあと生きてゆくには気が楽なのかな。失敗しても言い訳がきくし。それとも、それなりの年齢になって、もう他人から叱られることもない人にとっては、ちょこっと叱られるがここちよい刺激なのかもしれない。

by enzian | 2004-12-31 12:31 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)

中学生の哲学

「小さな哲学」というブログで記事を書きはじめてから、「お前の言う哲学とはそもそも何なのだ? どこにも説明してないじゃないか?」という内容のメールをよくいただくようになりました。ご指摘の通り、どこにもはっきりとは説明しておりません。「大きな哲学」じゃなくて「小さな哲学」にするよ、としか言っていないわけです。ここで再確認しておきたいと思います。保存版ですよ。

まず、ぼくの考える「哲学」は、「当たり前のことに立ち止まり、しつこく、できるだけ正確に考えなおすこと」です。では、「小さい」というのはどういうことでしょうか?それは、できれば中学生にも理解できるぐらいの、ということなのですが、具体的には、

1.できるだけ身近な話題で(本当のことを言えば、身近でなければ、哲学のテーマになりません。たとえ高遠なことでも、その人にとっては身近だから、テーマになるのです)、

2.できるだけ、おおげさな言葉づかい(いわゆるビッグタームと言われるもの。外国語もできるだけ避けたい)はせず、

3.できるだけ、たいそうな哲学者の名前はあげない、

4.できるだけ、お説教くさくない(自分が「先生」で、自分の記事を読む方々が「生徒」というかたちをとらない)、

哲学ということにつきます。もちろん、このような「小さな哲学」ではなく、「大きな哲学」を望む方がおられることも知っています。それについては、ぼくはここでは「小さな哲学」を選んだ、としかお答えのしようがありません。小さな哲学にすると、哲学のレベルが下がると思う方がおられるかもしれませんが、まったくそんなことはありません。

by enzian | 2004-12-30 12:09 | ※まずお読み下さい | Trackback | Comments(18)

静かなキャンパス

仕事じまい。人も疎らなキャンパスはシーンと静まり返っている。いつもは邪険にされているキジバトも、ゆったりとクスノキの実をついばんでいる。凛とした空気がいい。

哲学系キノコオタクは、これがチャンスとばかりに、構内の樹木に異変はないか(つまり、キノコが生えていないか)、携帯用の顕微鏡を携えて巡回を行う。めぼしいものはなかった。残念。植物園へ行こう。

次に来るのは、卒論提出締切の前日。戦争状態だ。キノコどころではない。

by enzian | 2004-12-29 12:17 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(4)

たすきの思い出

京都は駅伝の季節。この時期になると思い出す。

13歳のとき、出家を決意したことがある。死はいつも身近にあったが、自分から死のうとする勇気はなかった。世の中との関係が断ち切れれば、それでいいと思っていた。禅僧になるか、仏教系の新興宗教に入って修行をはじめるか、悩みに悩んだあげく、後者を選んだ。

決行の日。自宅を後にして、電車を乗り継いだ。横断歩道をはさんで、正面に目指す場所がある。渡り切れば、それでお別れ。信号が赤になり、立ち止まった。見ると、横断歩道の向こう側に、竹ぼうきで道を掃いている人たちがいる。みな、満面に笑みをたたえて、うれしそうにたすきをかけている。たすきには書いてある。「奉仕活動 実施中」。そのとき、なぜか憑き物が落ちて、不意にわれに返った。

by enzian | 2004-12-28 12:41 | ※山河追想 | Trackback | Comments(11)

犯罪者の顔写真が好き

犯罪者の顔写真を見るのが好きだ。放っておけばいつまでも見ている。ぼくには若干の霊能力があるので、捜査に協力しようとしているのだ‥‥というのは真っ赤なウソで、「なるほど、こいつなら人を殺しそうだ。この目は普通じゃないもんな」などと一人納得している。昔の友人に似ているのを見つけて、「そう言えば、あいつは人をだますのがうまかった」などと思い出してもいる。

少なくても自分には似ていない。これが何より大切なことだ。違う世界の人たちであることを確認して、自分が善人であると安心しているのだろう。

by enzian | 2004-12-27 18:21 | ※街を歩く | Trackback | Comments(8)

遅刻常習者の深層

はっきり言って、時間に遅れる人がキライだ。基本的に信用しない(ただし、自分にはとてもやさしいので、ちょこちょこ遅刻する自分は信用している)。その理由については、前に「クワバラな人」で書いたことがあるので、もう書かない。

遅刻常習犯が簡単に改まるとも思わない。毎年、1年生の1時間目の授業を担当しているけど、この授業の遅刻常習犯は、少しぐらい注意しても、ビクともしない。注意して2週間はしおらしくしているけど、3週目辺りにはケロッとなって、元の木阿弥となる。そして決まってその学生は、4年間を通じての遅刻常習犯となる。かつては各家庭の仕事だった “しつけ”(「ゴミはゴミ箱に入れましょう」とか「借りたものは返しましょう」とかね)も任されている教師としては、指導力不足、情けない限り、ゴメンナサイとなる。

でも、前に「クワバラな人」を書いていたときには頭になかった “遅刻常習者の深層” についても、考えるようになった。

一つは、時間の計算ができないタイプがいること。これは学生に教えられたのだけど、普通の人なら目的地を決めて、そこに行くための交通手段を考え、乗り換えの時間をプラスして‥‥というふうに計算するんだけど、この種の計算がからっきしできないタイプがいるかもしれないと思うようになった。そういう人は、いつも目的地に目的の時間よりも異様に早く着くか、異様に遅く着くかのどちらか、なのだ。心の能力の問題に名前をつけたがるのが好きなアメリカ人学者あたりは、こんなのにも名称をつけているかもしれない。“Timing Disability” とかね。

もう一つは、目的地と目的時間というのは、一部の人にとっては “脅迫的なもの” になるかもしれないということ。ほどほどに几帳面な人にとっては、時間を守ることが一種の満足感になるんだけど、「どんなことがあっても、この場所にこの時間に行くのです!」という命令が恐ろしくて、恐怖のあまり、そこから逃げ出さざるをえない人、それに耳をふさがざるをえない人も、いるだろう。

もちろん、行きたいと思っていてもどうしても家を出られないという人、(授業の場合)なんとか家を出て早くから教室の前まで来ていても教室に入れない人、がいることも知ってますよ。

by enzian | 2004-12-26 13:06 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(11)

クリスマスカップルの考察

クリスマス。イブでなくても、やっぱり街はカップルだらけだ。あまりにヒマなので、禁を破って、上から下までじろじろ見る。気づいた点。

1.ふだん目にするカップルより、密着している。なぜ?

2.ふだん目にするカップルより、おしゃれをしている。当たり前か?

3.ファッションセンスが似通っている。ニットの帽子をかぶった彼氏には、ニットの帽子をかぶった彼女。衿に毛皮がついた彼氏には、衿に毛皮がついた彼女。あらぬところにピアスがついた彼氏には、あらぬところにピアスがついた彼女。「ハ~イ、これからシャッフルしますから、正しいカップルを当ててください」と言われても、当てられそうだ。

似ている二人だからカップルになったのか、カップルになったから似通ったのか。それは、永遠の謎。

by enzian | 2004-12-25 22:25 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(4)

占い師の変化形態

熱にうなされて、サキシマハブ(毒ヘビの一種です)の夢を見る。本物など一度も見たことはないのに、得体の知れない物体をなぜだかサキシマハブだと確信して怖がっている。キノコの夢にハブの夢‥‥。トンデモ夢判断に分析させたら、どうせ、ろくでもないことを言われるに決まっている。

それにしても、日本人は占いが好きだよね。オウム真理教の問題以来、オカルトをできるだけ自粛しようという空気がしばらくマスコミにはあったはずなんだけど、この頃はすっかり占いの花盛り。血液型とか、(六星)占星術とか、スピリチュアル(心霊という意味)とか‥‥。IQテストなんかも、似たようなものかもね。おもしろいと思うのは、占い師がだんだん売れてくるにつれて、いろいろと変化してゆくところ。

①まず、ゴージャスになる。売れればお金が入ってくるんだから、当たり前だよね。今もおられるかどうか知らないけど、京都の河原町四条というところには昔から一人の女性占い師がいて、ぼくが若かりし頃は、まだ垢抜けない格好だったんだけど、売れはじめると、だんだんリッチになっていった。メガネにゴージャスな鎖をつけたりとかね。ぼくはその “成長” がおもしろくて、近くに行ったときはいつも見に行って、キャッキャッ喜んでいた。

②肩書きを変える。最初はそのまま占い師なんだけど、そのうち「運命学研究家」とか「運命カウンセラー」とか、得体の知れない研究者・教育者もどきの肩書きを名乗りはじめる。その大学どこ?という大学の、ありえない名称の博士号をもっていた新興宗教の教祖は、「足裏判断」という独創性あふれる占いを考案したのにもかかわらず、惜しいことに鉄格子の向こうに消えてしまった。きっと今でも “最高” なんだろう。

③「先生」と呼ばれるようになる。②と関係しているのかもしれないけど、なぜだか「先生、先生」と呼ばれはじめて、まんざらでもない様子になって、徐々に上半身が下半身の進行方向とは逆に傾斜してくる。だいたい、「センセー、センセー」と呼ばれて違和感を感じないような人が、世の中で一番あやしいんだって。

④心霊家でない占い師の何割かが、突然、霊能力をもちはじめる。東京の、とある地名の母とか何とか言われた街角の占い師が、売れるにつれて、ついにマスコミに心霊スポットにまで駆り出されていた。マスコミからすれば、占い師も心霊家も同じようなものなのかな。それとも、その “母” の名刺に、「霊視も応相談」って書いてあるのかな。山中のロケで「この辺りに来るとなぜか寒くなってきた、鳥肌が立ってきた」とか何とか言っているのを見たときは、「薄着で山のなかに行くから、そんなことになるんだよ。バカだね」という母の言葉を思い出した。なるほど、そういう意味では肩書きに偽りなしというわけか。

まったく、クリスマスイブに書くネタじゃないね。しかも朝っぱらから。頭が痛くて、寝ていられないのだ。

by enzian | 2004-12-24 09:18 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(6)

『穴』(ルイス・サッカー)

b0037269_115886.jpg当方、病んでおりまする。ゲホッゲホッ。風邪をひいてしまいました。ウィルスの猛攻撃にタジタジしておりまする。しかしこのような苦しいときにこそ、人様のお役に立ちたいと願い、一人クリスマスを迎えるあなたのために、おすすめの一冊をご紹介いたしましょう。

きっとあなたはこう考えておられるに違いない。これだけの実力を秘めたこの私がクリスマス周辺の日々を一人ポッチで過ごすなんて、単に今年はツイてなかっただけなのだ。そうです。ツイていなかっただけなのです。そこで、どうでしょうか?ルイス・サッカー『穴』をお読みになっては?

主人公は少年、スタンリー・イェルナッツ四世。この少年、だてに四世というのがくっついてるわけではありません。ひいおじいさんも、おじいさんも、お父さんもみ~んなツイてない、先祖代々まったくツキから見離された家系に生まれてしまった、あわれな少年なのです。彼自身、「まずい時にまずいところに」いたという理由だけで、無罪の罪で砂漠の真ん中の少年院にぶち込まれ、来る日も来る日も、穴を掘る強制労働を続けさせられています。

しかしある日、スタンリーは思い立ちます。行動します。はたして、彼は四代にもわたるイェルナッツ家の “呪い” を断つことができるのでしょうか? アメリカの児童文学書ですから、テツガク的なひねりはないけれど、素直におもしろいですよ。なになに? 今からじゃクリスマスまでに手に入らないって? 病んだ当方、そこまでの責任は負いかねます、ゲホッ。

by enzian | 2004-12-23 17:29 | ※好きな本 | Trackback | Comments(4)