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無人島の魅力

ぼくは “島” が好きなようだ。須川邦彦の『無人島に生きる十六人』を読んで確信した。島に惹かれる理由はわからなかったけど、解説で椎名誠が「島には不思議なナニモノカが存在している」と書いていて、納得した。たぶん、自分の知らない、自分とはちがう「不思議なナニモノカ」を知ることで自分を確認しようとしてるんだろ。

少し付け足したい気もする。島であればどこでもいいわけではないからだ。できるだけ小さくて、人が生きてゆけるギリギリぐらいの無人島がベスト。『無人島に生きる十六人』の「本部島」もそんな島だった。漂着した人がありったけの知恵を絞り出してやっと死なずにすむかどうかの無人島。ギリギリの環境を夢見ているのだ。なぜかは知らないけど。

by enzian | 2005-04-30 18:43 | ※自然のなかで | Trackback | Comments(20)

自殺を認めたくない理由

大切な人を失うということ、とりわけ突如として大切な人を失うということ。それは遺された者に死の理由を探すように仕向けるものなのかもしれない。あのときああしていれば、あのときああしなければ‥‥

死の理由を、死の責任を、遺された者たちは自らの過失のうちに探し出そうとするのだろう。その意味で、(誤解をいとわず言えば)死の原因がすべて第三者の過失にあると確信できる遺族、第三者を憎悪できる遺族は、ある意味で幸せな人たちなのかもしれない。

遺された者たちをとめどなく責めさいなみ続ける残酷な行為――そのような行為を行う権利は誰にもない。ぼくが(同意のない)自殺を認めたくない理由も、ここにある。

by enzian | 2005-04-28 21:27 | ※その他 | Trackback | Comments(24)

下品なインタビュー

電車事故があった。マスコミは遺族の玄関先までなだれ込み、インターホン越しにインタビューを試みる。「心痛お察し致します。ところで‥‥」。遺族の玄関先へ、悲しみに暮れる心の奥底へ‥‥“足を運ぶ取材” の意味を履きちがえているのではないか?

by enzian | 2005-04-27 22:30 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(23)

雷雨のあとに

今日は夕立があった。雷雨だった。雷の音を聞いたのは久しぶりのような気がする。雷は「稲妻」って言うけど、雷のあとには植物がものすごい勢いで成長するのだ。キノコもそう。雷の後には、ふだんの二倍ぐらいの速さで成長するような気がする。

明日、森のなかはキノコのお祭り騒ぎになっているだろう。アミガサタケは確実に生えているだろうし、ほかの季節外れのキノコも生えているかもしれない。朝早く起きて、学校に行く前に見に行くのだ。楽しみ。

by enzian | 2005-04-26 22:48 | ※自然のなかで | Trackback | Comments(20)

もぎ取って食べること

b0037269_16541673.jpg近くの公園に行く。グミがたわわに実っている。子どものころが懐かしくなって、ひとつ取って口に運ぶ。けっこう甘くておいしい。

グミを食べるぼくをヒヨドリと子どもたちが見ている。餌場から追い出されたヒヨドリは早く食べたくて仕方ないのだろう。子どもたちは、おじさんが何をしているのか理解できず、遠巻きに見ている。あやしいこと、いやしいことをしている人がいる、とでも言いたげな目つきだ。この実が食べられるものであることをあえて教えたいとも思わない。お腹が痛くなっても、責任をとれるのは自分だけなのだ。

“自然に生(な)っているものをもぎ取って食べること” と “生きること” の距離。ヒヨドリにとっては一定であるものが、人間にとっては徐々に離れつつあるのだろう。

by enzian | 2005-04-24 17:29 | ※自然のなかで | Trackback | Comments(42)

心はどこにあるのか?

歴史上の哲学者はほとんど男性ですけど、哲学をするのに男女の差はありません。でも、特定の問いにかんして男女で答えに偏りが生じる場合がわずかながらあると思っています。そのわずかな問いのひとつが、「心はどこにあるのか?」です。なんの補足説明もせずに、突然、この問いに答えてもらうと、だいたい次のような回答がでてきます。

1.頭(脳)
2.心臓
3.体全体
4.どこにもない(問い自体がおかしい)

3は、頭(脳)にも心臓にも限られず、体全体ということです。4はちょっと生意気なやつで、心は “ここ” とか “そこ” とかいう位置を占めないものだから、この問い自体が間違っているという答えです。

男性の答えは圧倒的に1です。3と4もわずかながらいますが、2はまずいない。ところが女性の場合、3と4がわずかにいることは男性と同じなのですが、2が多く、1は2に及ばないのです。なぜそうなるのか、はわかりませんけどね。

by enzian | 2005-04-22 20:20 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(39)

テレビ場面の小窓に映るタレントの一考察

テレビを観ている。やっぱり録画したもの。スタジオでロケVTRを観るだけのタレントたちは無視無視。早送り~ピュー♪沖縄の自然のロケだけがみたいのだ。ロケVTRの出来はいいのだけど、画面に “小窓” をつけてタレントの顔を映し出すのはやめてもらえないものか。なんとかシスターと沖縄の自然につながりはないだろう。

ぼくみたいにスタジオ場面を早送りする録画野郎がいるのを見込んで、ロケVTRにまで小窓をつけているのだろうか。タレントとのあいだに、“画面露出最低限度○分” とかいう契約が交わされているのかもしれない。あっ!ひょっとすると、ゴージャスな人工(造)美(?)と並べることで、自然美を際立たせようとしているのかもしれない。

by enzian | 2005-04-21 19:42 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(23)

原風景

「原風景」という言葉があります。ひとりひとりがもっている、記憶のなかにある特に印象的な風景のことです。その人を奥の方からささえている、悪く言えば、コントロールしている風景なのでしょう。

ぼくの場合は、幼いときに遊んでいた田んぼの畦道(あぜみち)周辺。早春の頃、稲が植わっていない田んぼにはレンゲが咲き、畦道にはタンポポやらツクシ(スギナ)やらの野草が芽吹いていました。草の匂いのなか、ひとりしゃがみ込んで見つめている‥‥

先日、ぼくの記事を読んでいるという人と話す機会がありました。どういうわけか半怒りなのです。「ともかくわかりにくい」そうです。文章の意味と、それを書いているぼくがどんな人物なのか? 原風景が物語るように、ベースは素朴な人なのですよ。ベースはね。

by enzian | 2005-04-20 20:41 | ※山河追想 | Trackback | Comments(35)

水に手を浸す

きれいな水に手を浸すのが好き。

by enzian | 2005-04-18 21:41 | ※その他 | Trackback | Comments(40)

売り場で恍惚の表情

一度に何人もの人が恍惚の表情をしているところなど、めったに見られるものではない。そのめったに見られない光景がいつ行っても見られる、ぼくのお気に入りの穴場が、マッサージチェアの売り場だ。ぼくの知ってる百貨店では、並べられた3台のチェアにいつもおっちゃんないしおばちゃんが乗っかっていて、おしげも恥ずかしげもなく、とろけるような恍惚の表情で寝入っている。

“恍惚の人たち” の顔ぶれは、あるていど一定している。近所のおっちゃん、おばちゃんグループが、開店時間から閉店時間まで、入れ替わり立ち代わり寝っころがっているのだろう。ひょっとすると、開店時には、あの正月のなんとか神社の一番乗り競争みたいに、ものすごいダッシュをしてチェアを奪い合いするおっちゃんとおばちゃんの熾烈な抗争が見られるのかもしれない。リアル椅子取りゲームですな。

それにしても、あのチェアは売り物のはずで、売り物の上に乗っかって快感をむさぼるとは、恍惚の人たちはどういう神経をしているのだろうか。自分が恍惚の表情をしていることでほかの買い物客が怖がって近づけないかもしれない、という想像力は働かないのだろうか?快楽の前では理性の想像力など無力なのだろう。

もっと不思議なのは、そうした占有行為を店員がとがめる様子もないということだ。恍惚の人たちなどわれ関せずという感じで店員は仕事をパタパタと続けている。売り物に傷や汚れをつけられても気にならないのだろうか?それとも、メーカーもこういう可能性を見越して販売店に “試供品” をわたしているのかな。ぼくみたいに、恍惚の人たちを見に来る変な人もいるんだし、百貨店としては願ったり、かなったりか。

by enzian | 2005-04-17 16:46 | ※街を歩く | Trackback | Comments(24)