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『化外の花』(けがいのはな)(太田順一)

b0037269_17491047.jpg久しぶりに本を紹介します。以前の記事で少し触れたことがありますが、太田順一『化外の花』(けがいのはな)、写真集です。いつも一般受けする本は紹介しないのですが、この写真集は相当に変わっていて、極めつけです。なんせ、「化外」(法的な権力の及ばない地域)というくらいですから、“アウトロー” だと自己主張しているような “花の写真集” なのです。ただし、甘ったれた軟弱なアウトローではありません。骨太のアウトローなのです。

誰も買わないだろう写真集(失礼!)ですが、ぼくがたまらなく惹かれるのは、この写真集がぼくの偏見を完膚なきまでに打ちのめしたからです。ぼくにとっては、殺風景とは、人に見捨てられた、それゆえに可能性のない場所であり、生命感のない場所です。写真集の主たる舞台は大阪湾岸埋立地の重工業地帯(かつて小野十三郎が「葦の原」と呼んだ地域です)の一角。まさにぼくが殺風景を感じる場所。太田は、そのような人間に見捨てられた場所でたんたんと咲き続ける花を撮り、花を通じて、殺風景であることと生命がないことには関係がなく、人間の統制があるかどうかと花が咲くことには関係がないこと、いやそればかりか、ときに歪んだ統制は生命にとって重荷になる場合があることを知らせるのです。

太田にはハンセン病療養所を撮った写真集があります。かつてハンセン病療養所の人々が置かれた立場と、重工業地帯の一角に咲く花、そこに「化外」という共通性を見ているのです。太田は言います。「自分もまた〈化外の民〉でありたいと願っています。」

by enzian | 2005-05-29 18:04 | ※好きな本 | Trackback | Comments(58)

殺風景の意味

大嫌いな風景がある。埋立地につくられた工場地帯だ。いや、工場地帯も嫌いだが、もっと嫌いなのは、工場地帯の一角に取り残されたような荒地だ。そんな荒地が広がっているような風景、見たくもない。

そんな荒地に有刺鉄線が張り巡らされていて、セイタカアワダチソウとかが立ち枯れていて、遠くにはガスタンクが見えていて、隅っこのところに粗大ゴミとか、缶ジュースの空き缶なんかが捨てられていたりなんかしたら、もう最悪。気分が悪くなるかもしれない。

人間が作り上げた土地にして、すでに人間に見捨てられたような理不尽な光景。生命感のない風景。たまらなく苦手だ。

by enzian | 2005-05-28 21:11 | ※自然のなかで | Trackback | Comments(14)

悲しいということ

言葉遊びです。

【悲しいということ】
あるべき(理想の)状態と、現在(現実)の状態とのあいだに距離があって、その距離がつめられそうにないこと。

by enzian | 2005-05-27 22:51 | ※その他 | Trackback | Comments(22)

ほっちょんかけたか

今日は朝から書斎にこもり、デスクワーク三昧だった。仕事をしているあいだ、ホトトギスが鳴き続けていた。「ホッチョンカケタカ、ホッチョンカケタカ」(「トウキョウトッキョキョカキョク」と聞こえる人もいるらしい)。ホトトギスは渡り鳥で、はるばる中国の南部の方から飛んできたのだ。ごくろうさん。飛んでくる時期はだいたいこのぐらいの時期で毎年一定している。ホトトギスは「時鳥」とも書く、季節を告げる鳥でもあるのだ。「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」。

ホトトギスはカッコウ科の鳥で、カッコウ同様に托卵(たくらん)をする。ほかの鳥の巣に勝手に卵を産みつけて、雛を育ててもらうというやりかただ。以前、カッコウの托卵のビデオを見たことがあるのだけど、それはそれはものすごい内容だった。カッコウの雛が孵化前のほかの卵をお尻で押して巣から落とすことをご存知の方はおられるだろう。でも、たまたまほかの雛とほぼ同時に孵化した場合はどうするのか?なんと、雛同士が、孵化して数分もたたないうちに巣からの落とし合いをはじめるのだ。

普通、カッコウが托卵する卵の数はひとつの巣にひとつなのだが、あるとき、ヨシキリ(鳥の名前)の巣にカッコウの卵が四つも産みつけられたことがあった(これは観察されたものとしては最多記録だと言っていた)。これがまたすごかった。まず、ほぼ同時に孵化した二匹のカッコウの雛は残るヨシキリとカッコウの卵をさっさと落としてしまい、それが済むやいなや、二匹で生と死を賭したオシクラマンジュウをはじめたのだ。大熱戦のあと、一匹は大逆転勝ちでもう一匹を木の下に落とした。

落とされた雛は木の下で死に絶え、勝負に勝った一匹はなにごともなかったようにヨシキリに餌をねだり、ヨシキリもなにごともなかったのように餌をせっせと運んでいた。当たり前だけど、そこには感傷もなにもなく、ただ生き残ろうとする本能だけがあった。

by enzian | 2005-05-26 20:33 | ※自然のなかで | Trackback | Comments(4)

電車で殴り合う古希、二人

電車での話。前の席で二人の老人が大喧嘩をはじめる。70歳を過ぎた老人たち。一方は杖を振りかざし、もう一方は怪獣のようなどなり声で、「表へ出ろ」(「電車を出ろ」のつもりらしい)などと言っている。尋常の光景ではない。二人分の席で、どちらかが半分以上の面積を占めてしまったらしい。そんな些細なことを互いに咎め合い、殴り合っている。

しょんぼりした。若者の喧嘩なら、しょんぼりすることもなかっただろう。ぼくには、歳をとること=人間的に成長すること(まるくなること)という偏見があるのだ。若者が殴り合いをするように、古希を過ぎた二人が殴り合いをしても、別におかしいことでもなんでもないのだ。経験値が上がれば自動的にレベルアップするゲームのようにはいかないのだから。

by enzian | 2005-05-25 21:32 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(45)

高校のみなさんへ

5月12日に授業をした高校から生徒たちの感想が届いた。高校の先生が送ってくださったものだ。ありがたい。教師は誰しもそうだと思うけど、こういうものを読ませてもらうときが一番の至福の瞬間なのだ(辛口の感想ばかりなら地獄の瞬間になる)。

あまりに辛口なものは省いてくださったのかもしれないが、好意的なものが多い。多くの感想は次のような言葉ではじまる。「哲学と聞いて、なにやらむずかそうと思っていたけど‥‥」。重いテーマだったけど、身近なものであることが伝わったようで安心する。「救われた」というのもある。「むずかしくてわからなかった」というのもある。ぼく自身が最も反省しているのは、生徒に意見を求める時間が少なかったことだ。もっと生徒の意見を聞かなければならなかったし、聞きたかった。

生徒のみなさん、授業中も、授業が終わってからも、みなさんの意見をゆっくり聞く時間がありませんでした。もっと詳しく聞いてみたいこと、疑問に思ったことなどがあれば、なんなりとメールで聞いてください。10月には、違うクラスですが、「美とはなにか?」というテーマで授業しますので、そのときにお会いできるかもしれません。手紙も読みました、ありがとう。

by enzian | 2005-05-22 17:42 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(24)

「人体の不思議展」終わる

京都で開催されていた「人体の不思議展」が終わる。ヤレヤレ、ホッと一息なのだ。この展示は、数年前から関西でも行われてたもので、昨年までは大阪どまりだったと思うのだけど、今年はついに京都で開催されることになって、あせっていたのである。

なぜあせっていたのか?何年か前からやたらとこの展示にぼくを連れて行こうとする学生どもがいたからなのだ。「行こう」とか「連れてけ」とか言われるたびに(キャツらは入場料を支払ってくれるパトロンを探している)、曖昧な返事をしながらひたすら避けてきたのだ。

だが、この際、はっきり言おう。人間の輪切りとか、血管だけを取り出したものとか、骨だとか‥‥そんなグロテスクなもの、お金をもらっても見たくないのだ。おっかないのだ。そんなものを見るくらいなら、ものすごいウルトラオバケ屋敷に一日中監禁された方がましなのだ。

何を好き好んで見に行きたがるのか、ぼくにはわからない。でも、この展示、意外にも盛況だそうなのである。どこぞの記事には、ウソかマコトか観客の大半は女性だとあった。真偽の不確かな、女性に受けるという理由を考えようとは思わないけど(考えてもわからない)、自分がなにゆえこれほどまでに怖がるのか、不思議ではある。骨にしても内蔵にしても血管にしても、いつも自分が持ち歩いていて、お世話になっている方々なのに、それが他人のものとなるとどうしてそこまで怖くなってしまうのか‥‥また時間があったら考えてみよう。

by enzian | 2005-05-20 19:00 | ※その他 | Trackback | Comments(60)

あなどりがたし、「さわやか3組」

小学校3・4年生向けの番組、「さわやか3組」を見た。次のような内容。

写生大会。先生の目の届く範囲にいるように、という約束を破った3人の男の子が叱られる。

同じ日。子どもだけで渡ることを禁止されている橋の近くでたくさんの荷物をかかえて座り込む老人がいた。息子の好物の魚をたくさん買いすぎたらしい。(叱られた3人の男の子を含む)6人の子どもたちは老人の荷物をもつことにした。3人の女の子は橋のたもとまで荷物を運んで、帰る。男の子の1人は橋の途中まで荷物を運んで、やはり帰る。残った男の子2人が橋を渡ったところにある老人の家まで荷物を運ぶ。老人の家からは息子が出てきて、小学生に荷物を運ばせるという “非常識” な老人を叱る。

男の子2人の(?)家では、(写生大会のことは知らない)親が心配して、橋の途中で引き返した男の子の家に連絡し、2人が老人といっしょに橋を渡ったことを知る。老人はいつも魚をたくさん買い込むことで有名な人だった。夕方、2人が帰った家。怒った父親は机をたたいて2人を叱りつける。2人は謝る、「ごめんなさい」。

次の日、渡ってはならなかった橋を見つめる男の子たち。「ぼくたちがやったことは、いいことだけど悪いことなんだ」。さわやかな笑顔で少年たちは走り出す――

番組を通じて、誰も、老人と子どもたちをほめようとする人はいなかった。国や社会全体が抱える問題を考えるとき、「悪いことだけどいいことなんだ」と言わせるような番組作りがむずかしいのはわかるけど、「ぼくたちがやったことは、いいことだけど悪いことなんだ」と言って「さわやか」に笑える子どもたちには違和感をもった。ふつう、一人ぐらいふくれっつらになるだろうし、それはそれでよいのだと思う。

by enzian | 2005-05-19 20:11 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(20)

バレてたのか‥‥

教師 「昨日は1時間目に授業をしてね。それから、15分の食事時間をはさんで、12時間、学生と話し続けた。8時間を過ぎたあたりからトランス状態になってたみたいで、その後はあんまり記憶がないんだ。でも、問題発言をしたらしくて、2人から『発言が不適切』というメールをもらった。精根尽き果てて、残ったのは抗議のメール2本だけ。夕べは、枕に涙して寝たんだよ(笑)。」

学生A 「そんなにしゃべって、ストレスはたまらないんですか?」

教師  「たまらないよ。学生相手ならね。」

学生A 「どうしてですか?」

教師  「ぼくも愚痴を聞いてもらってるからだよ。今さっき言ったのがまさに愚痴だろ。」

学生B 「‥‥(笑ってうなずいている)」

なーんだ、ばれてたのか‥‥

by enzian | 2005-05-18 21:30 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(18)

たまには雨に濡れるのもいい

もうすぐ傘と合羽の季節。合羽はめんどうだし、傘はさしてもけっきょく濡れる。雨を防ぐものとしてはせいぜいこの二つしかないのだ。これだけ長い人間の歴史のなかで、なぜ雨を防ぐもっと画期的なものが開発されてこなかったのだろうか。月まで行く技術さえある人間が‥‥

先日、雨降るなか、とある高校に出かけた。授業開始まで懇意の先生と雑談を交わす。
「昨年まいりましたときは快晴でしたが、今日はあいにくの天気です。」
「雨の日にお越しになるのも、またいいものです。」
「そうですね。」

授業が終わり、玄関口で見送りの先生に別れを告げ、校舎を後にする。雨に濡れた美しい新緑を左右に見ながら、正門に行き着くまでにはしばらくの距離がある。正門をくぐる際、まさかとは思ったが、念のために振り返ってみた。やはり同じところに立ったまま見送っておられた。

雨はまだ少し残っていた。カバンに押し込んだ傘は出さずに、駅までの道を濡れてゆくことにした。気分がよいときは、雨に濡れるのもまたよいものなのだ。雨に濡れることを心底嫌っているわけではない、少しの雨ならば。

by enzian | 2005-05-15 14:17 | ※その他 | Trackback | Comments(22)