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季節時計

b0037269_22523966.jpgぼくのなかには季節を感知する時計があるようです。ふだん意識しているつもりはないのですが、まもなく春というころには、稲が植えられる前の田んぼや畦道(あぜみち)でレンゲや土筆を摘んでいる夢を見る。山の斜面でワラビを採ったり、竹薮でタケノコを掘っている夢を見ることもあります。

強い日差しが緑の葉を照らしはじめるころには、クヌギの林に行って夢中で(夢中なんだけど)クワガタを採っている夢を見ます。まもなく山桜やウルシの葉が紅く色づきはじめようかというころには、母と山でキノコ狩りをしている夢を見る。というか、ぼくはそういう夢を見ることで、山や田んぼへ行かなくても、まもなくそういう時期になることを毎年のように知る。

そういう夢を見ているときは、この上ない至福の瞬間です。筋金入りの田舎者ですから、幼いころの季節季節の無性に楽しかった思い出が消えることなく心の片隅に残っているのでしょうね。たぶんこの夢はぼくが生きている限りはくりかえしくりかえし現われ出てきて、ぼくを癒してくれるつもりなのでしょう。やさしい夢。今年の冬は例年になく厳しかったように思いますが、まもなくレンゲや土筆が夢に出てくるはずです。待ち遠しい、待ち遠しい。

by enzian | 2006-01-31 23:30 | ※山河追想 | Trackback | Comments(40)

守らなければならないこと

卒業論文の試問が終わりました。卒業論文というのは、4年間の学生生活で学んできたことを研究成果として発表するもので、ぼくの大学では、400字詰め原稿用紙にして50枚程度のものを書いてもらうことになっています。

一口に50枚といっても、作文ではなくて論文ですから、学生たちは、大げさに言えば死力を尽くしてこの課題に取り組むことになります。そういうわけで、卒論が書き終わるまでの制作過程はおのずと学生ひとりひとりの人間ドラマを映し出すことになるわけで、ぼくはそれをじっと見ている、というか、そのなかに巻き込まれている。

もしそのドラマを文章にすれば、涙あり笑いあり、怨恨あり愛ありの、どれほど共感を呼ぶ記事になるだろうか、と思うこともあります。でも、そんなこと、できるわけがないし、心底したいとも思わない。守らなければならないこと(学生の権利)があるからです。学校のことはなんでも書かれるのに、家庭のことを書かれないのはなぜですか?と身近な人たちから聞かれることがよくあります。悲しくも、答えようのない質問です。

by enzian | 2006-01-28 23:47 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(45)

そこに座らせてもらい!

電車のなか。二人連れのそれなりの年齢の女性。片方の女性(女性A)が、空いたスペースを自分用にキープしつつ、なおかつぼくの隣にわずかに空いたスペース(かなり詰めないと座れない)を指差して、もう一人の女性(女性B)に座るよう誘導する。「あんたも、そこへ座らせてもらい!」割り切れない気持ちになりながらも、もちろん、ぼくは詰める。やがて席がまばらになり、女性Aが女性Bの隣にくる。座るやいなや、家の嫁の悪口を一方的にまくしたてはじめる。たぶん、こういう人に限って、家のなかではお嫁さんとの対話のない人なのだろう。相互的なコミュニケーション能力を欠いている人なのかもしれない。

by enzian | 2006-01-23 21:21 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(11)

小ネタ集2

他人に自分を見る
風邪予防にマスクをかけている。吐息で眼鏡が曇って前が見えない。不便なものだ。駅の待合い室で、やはり眼鏡の曇った、マスク姿の男性と向かい合わせた。曇り具合が気になってジロジロ(なんせ眼を凝らさないと見えない)見ていたら、先方もこちらを見ているらしく、眼というか “曇りガラス” が合ってしまい、お互いニヤリとした。自分では見えにくい自分の姿を他人に見るのは、なにやら照れくさいものらしい。

謎の液体
興味深いオジサンが前に座っている。分厚い歴史小説を一心不乱に読んでいるのだが、なぜか栞が馬券なのだ。それで、ときどきバッグから容器を取り出して謎の液体をちびりちびりと飲んでいる。液体(透明)の正体が気になってしかたない。分厚い小説から推測すべきか、栞から推測すべきか迷ったが、バカバカしくなってやめた。そもそも、その二者択一の選択肢自体が誤りなのだ。

時計と掘ゴタツ
時計がない(おまけにチャイムも聞こえない)部屋と親しまれてきた個研に時計を置くことにした。何度も会議をすっぽかしてしまったからだ。はたしてこれで落ち着いて話せるようになるのかどうか‥‥。個研に掘ゴタツを置いて、ミカンを食べながら、だべるのが夢。猫(ミーかタマ)がいれば、なおよい。

時計と掘ゴタツ~その後
個研に時計を置いたことを惜しむ声が相次いだ。一方、嬉しいことにミカンと猫の提供者が現れた。これで、あとは個研の床にツルハシで穴を掘りさえすれば、長年の夢が叶うのだ。だが惜しむらくは、掘り終えた時点で大学を首になる。

by enzian | 2006-01-21 11:33 | ※その他 | Trackback | Comments(37)

小ネタ集1

とりあえず否定する人
ときどき、こういう人に出くわす。

A「○○ということですよね?」
B「(間髪入れず)いやそうじゃなく、○○ということです。」
A「だったら、○○じゃないですか?」

A「ところで、△△は□□なんですよね?」
B「(間髪入れず)いえ、むしろ□□です。」
A「だったら、やはり□□なんじゃないですか!?」

こういう空回りがえんえんと続く。
自分を認めて欲しいという思いが、人一倍強い人なのかもしれない。

季節外れの桜
季節外れの桜がちらほら咲いている夢をみた。どうしてこんな季節外れに咲いているのだろう?と疑問に思いつつも、それが夢かもしれないとは露ほども考えていない。えてしてそういうものなのかもしれないな‥‥。美しい花を撮ろうとしたら目が覚めた。

「見ること」と「会うこと」
非公開の墓地に訪れる際のコツは、「お墓を見せて下さい」ではなく、「お墓をお参りさせて下さい」とお願いすることだと書いてあるのを読んで、当たり前といえば当たり前だけど、なるほどなと思った。そういえば、若かりしころ、とあるエライ方の奥さんに会ったことを「見た」と口を滑らせてしまって、やんわり叱られたことがある。「見ること」と「会うこと」のあいだにはなにがあるのだろうか。

by enzian | 2006-01-13 22:02 | ※その他 | Trackback | Comments(44)

“伸びしろ” の教育

どうもぼくは期待しすぎるのかもしれない。人の長所を頭にインプットして、相手が学生の場合などはそれが年々確実に伸びてゆくものだと思い込んでいる。それだけならまだいいが、その “伸びしろ” を大きくとり過ぎていて、期待される学生に荷が重いと感じさせてしまう。期待するこちらとしても、期待するほど伸びないのを見て、青息吐息の日々を過ごすことになる。

植物園へ学生を引率して行って、かなりの高齢の方々とそのつきそいの人たちのグループに出くわしたことがある。杖をついたおじいさんが学生になにやら話しかけている。気のよい学生が「ふんふん」と聞いているが、ほとんどなにを言ってるのかわからない。付き添いの人が車椅子のおばあさんに話しかけている。「○○さん、お花がきれいでしょ?」うつろな表情のおばあさんはピクリとも動かない。

おじいさんやおばあさんに “伸びしろ” はあったのだろうか?鍛えられたプロにしかわからない微妙な変化や成長があったのかもしれない。そうではなく、衰える速度が落ちることこそが変化なのかもしれない。いや、なにか違うものに「なる」ことがなければ尊重できないという態度こそ傲慢で、変化や成長がなくても、その人がそのままその人で「ある」ということだけで十分に尊重すべきなのかもしれない。この辺りの事情を学生との関係のなかで整理するのは、むずかしい。

by enzian | 2006-01-08 19:04 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(41)

プチプチをプチプチしたくなるのは、なぜか?

注文していた本が届きました。プチプチで包んでありましたので、読む前に、ひとしきりプチプチしてしまいました。それにしても、プチプチ(エアーキャップ)をプチプチしたくなるのは、なぜなんでしょうか?

プチプチをプチプチしたくなるのは人間に共通する本能なのでしょうか、それとも習慣なのでしょうか?例えば、日本人だけでなくインド人とかスウェーデン人もプチプチをプチプチしてしまうのでしょうか?ひそかに、「全世界プチプチ選手権」なるものが催されていて、すでに何連覇もしているセネガル人とかがいたりするのでしょうか?あるいは、親がプチプチしているのを見たことのない幼児もまたひとりでにプチプチしたりするのでしょうか?3歳の子どものそばにプチプチを置いてちょっと目を離したりなんかすると、すっかりプチプチし終わっていて、「もうこの子ったら、ママのプチプチをプチプチしたりして!」なんてことが起こったりするのでしょうか?

よくわかりませんが、習慣だと言ってしまうとブログ的にはおもしろくもなんともないので、プチプチをプチプチしてしまうのが本能であるとして、話を進めましょう。では、プチプチをプチプチしたくなる理由をいつものように四の五の、考えてみます。

1.音がいい。
「プチプチ」という音が小気味よいというのはありそうな話です。「ドッカーン」というのは怖いですが、小さな「プチッ」とか「パチ」とか「パン」というのは音として一種の快感であるような気がします。プチプチをいくらつぶしてもプチプチという音がしないで、なんの “反応” もないなら、プチプチはおもしろくもなんともないはずです。爆竹やクラッカーがもてはやされる心理と同じなのでしょうか。

2.やわやわがいい。
プチプチの醍醐味には、聴覚によるものだけでなく、触覚によるものもあると思われます。プチプチはヤワヤワです。あのヤワヤワでちょっと指から逃げようとするようなフニンフニン捉えどころがないのがよいのではないのでしょうか?プチプチがもっとかっちりとした強固なものでしたら、プチプチとしての魅力を半減してしまう気がします。ぼくにはよくわからない話ではありますが、なんだかんだ言ってやんわりするりと逃げる異性を追いかけるのが楽しいような心理と言ってよいのでしょうか?(ピー、イエローカード1枚!)

3.小さい半円がいい。
小さい半円形のものというのは、どうしても、それをひねりつぶしたくなるというか、一発くれてやりたくなるような心理がある気がします。例えば、パックマンに出てくる敵キャラとか、モグラタタキのモグラを思い出していただくとわかりやすいかもしれません。やつらのヘッドはツルツルの半円形です。あれがたとえば、☆型のヘッドだったら、あんなにもにくたらしげに叩くことはできないような気がします。半円形であっても、大きすぎてはいけません。小さな半円形のヘッドをもった円柱形というのは、人間の頭を彷彿(ほうふつ)させるものなのかもしれません。小僧さんの頭はそのようなものですが(憎らしいというのは「僧」の字なんですね)、「このコゾー!」なんて人が言うときには、たぶん、そやつのどたまに一発くれてやりたいときなのだと思います(ピー、2枚目!)。サザエさんにいつも叱られるカツオの頭は、やはりこの手の頭でないといけません。

4.同じものが並んでいるのがいい。
上述の3は視覚にかかわるプチプチの理由ですが、これ以外にも、同じ形のものがたくさん並んでいるというのも、プチプチしたい本能を加速するように思います。モグラタタキには穴がたくさん並んでいて、そのどこからモグラが出てくるかわかりません。同じものがたくさん並んでいて、しかもその並んでいる(並びうる)もののヘッドが半円であるということ、それがやはり大切であるように思います。トウモロコシを一粒も残さず食べる心理でしょうか?(ゼンゼン違うね、キャハ)。同じものがたくさん並んでいるものを残らずなんとかするということには、一人残らず他者を征服したいという支配欲がからんでいるのやもしれません。

はい、いろいろ考えてまいりましたが、こんな問題にいつまでもかまっていられるほど、ぼくはヒマではないので、これぐらいにしておきます。ちょっと禍々しい雰囲気もしてきましたしね。なになに?これだけ考えられれば十分にヒマだって?ワハハ。

by enzian | 2006-01-06 21:54 | ※その他 | Trackback | Comments(34)

Uさんのこと

今年も心待ちにしていた年賀状が届いた。韓国の有名な古刹で僧侶をしながら、大学で宗教学を教えておられるUさんからの年賀状だ。「わたし、○○さん(ぼくの名前)が韓国に来られたら、車でどこでも案内します」。Uさんが言った言葉を思い出した。気長にお待ちください、必ず遊びに行きますから‥‥心のなかでつぶやく。Uさんは、ぼくが助手のような仕事をしていたときの大学院生で、尼僧の留学生だった。アメリカでの留学を終え、引き続き日本で宗教学の研究を続けていた。

指導的立場にもかかわらず、むしろ人間として多くを学んだのはぼくの方だった。朝、研究室を開けると、くりくり頭のUさんがグレーの僧衣(?)に運動靴の姿で入って来る。Uさんはぼくよりずっと年上だったけど、かわいらしかった。冬はマフラーを巻いていて、なおいっそうかわいらしく見えた。謙虚で、さりげない思いやりがあって、なにより明るくて、周りにいる人を前向きな気持ちにする人だった。

助手と院生とでお花見に行ったことがある。食べ物を買うことになって、一瞬、幹事が口ごもった。Uさんが禅僧*であることを思い出したのだ。その一瞬を見逃さずにUさんは言った。「わたし、ハンバーガーでもなんでも食べます。アメリカでも食べてました。こだわりさえしなければ、いいのです」。聖職者のなかには、聖典の戒律の字句は暗記していても、人の心の機微がわからない人がままいることをぼくは知っていた。でも、この人は違うと思った。

*禅宗には食事制限など、厳しい戒律がある。

by enzian | 2006-01-03 22:53 | ※好きな人・嫌いな人 | Trackback | Comments(47)

しんしんと雪が降る

「しんしんと雪が降る」という表現が好きです。雪国の方からはお叱りを受けるでしょうが、静かに、少しずつなにかが降り積もってゆくというイメージが好きなのです。めったに雪が積もらないところで育ったからかもしれません。

音を吸収するからでしょうか、車がスピードを落とすからでしょうか、雪降る朝はふだんより静かな気がします。でもそれでよく眠れるかというとそうでもなく、雪降る朝は静かすぎて早く目覚めてしまいます。静かなものが騒がしくなっても、騒がしいものが静かになっても、“常ならぬ事態” と心は判断するのでしょうね。

by enzian | 2006-01-02 22:01 | ※その他 | Trackback | Comments(31)

抱負

今年は元旦から快晴です。
初日の出は見えたのでしょうか?
ぐーすか寝ておりましたので、わたくしにはわかりません。
今年もよろしくお願い申し上げるので、ありまふ。

さてさて、新しい年をはじめるにあたって、
ベタではありますが、今年の抱負をば。

☆誤字脱字をしない。

昨年は、誤字脱字だらけのレスやコメントをしました。
お見苦しかったかと思ひます。
メールもたくさんいただいたのですが、
やはり誤字脱字だらけの返信をしました。
わたくしの誤字脱字が全国へ旅立って行ったのです。
恥ずかしかった‥‥

☆ちゃんとコメントをする。

ご存知の通り、ひとさまのブログでは
ちゃんとコメントをしない人なのであります。
記事の趣旨を無視したじょうだんを言い続け、
^▽^)ケケケと逃走!するのが関の山だったのです。
これではいけません。

☆じょうだんを言わない。

諸悪の根源はじょうだんです。
じょうだんさえ言わなければ、
ぼくちん、わたくしは良い子なのです。
今年は直球で勝負します。
これで、ボケにツッコミがない!
と世間の冷たさを嘆く必要もなくなるのです。

☆友だちを探す。

知り合ったのはみな、声をかけてくださった方ばかりなのです。
自分から友だちを探そうという気がまったくないのです。
ひたすら巣をはって、なにかがかかるのをニヤニヤと待ち、
かかった!と気づくやいなやピューピューと糸を吐いてからめとる‥‥
性質の悪いクモのようなネット生活をしています。
自分から積極的に声をかけるのでありまふ。

☆写真を貼る。

味もそっけもない文章だけのブログです。
ヴィジュアル面、弱いにもほどがあるのです。
カメラも買ったことですし、
ものすごい写真を貼るのです。
驚かせちゃうんだからね、もー

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by enzian | 2006-01-01 11:02 | ※その他 | Trackback | Comments(65)