<   2006年 05月 ( 7 )   > この月の画像一覧

どこかズレている。

街を歩いていると、こんなもの本当に必要なのだろうか??と考え込むものがある。ハンドドライヤーもそのひとつだ。洗面所で手を乾かす際に使うものだが、これを使って「濡れた手が、あ~さっぱり乾いた」などと思ったことはない。強い風でいちおう大きな水滴は飛ぶが、手が濡れたままであることには変わりない。毎回、使ってみることにするが、それは乾かすためというより、「どこがドライヤーやねん!」とツッコミを入れて、バカにならない税金を注ぎ込まれた無用の長物に小市民的な憂さ?を晴らすためだ。ペーパータオルよりは資源の無駄遣いをしないようにも思えるが、使用電力を考えれば、古紙を使ったペーパータオルの方がましなのかもしれない。もちろん、あれこれ考えるより、自前のハンカチを使えばそれですむことなのだ。

新聞を読んでいたら、ホテルや博物館や図書館など、音が気になる場所での需要を伸ばそうと、各メーカーがハンドドライヤーの静音化に取り組んでいるという記事があった。メーカーには、“静音化” の前に “有効化” に取り組んだ方がいいという気はないのだろうか? もちろん、そんなことをすれば、自分たちの過去の失敗を認めることになる。

そんなこんなで、それまで設置されていたものは、またどこからか資金を注ぎ込まれて新しく “静音化モデル” にとって代わってゆくのだろう。タオルがペーパータオルに、ペーパータオルがハンドドライヤーにとって代わったように。そして大切なことを忘れて、ぼくらは濡れたままの手できっとこう言うのだ。「ハンドドライヤー、前のものより静かになってよかったね。」

by enzian | 2006-05-28 16:46 | ※街を歩く | Trackback | Comments(53)

赤いシロツメクサ

b0037269_22223738.jpgシロツメクサはお気に入りの花でした。緑の葉とのコントラストが美しいし、ミツバチもたくさんやってくる。なにより、春を彩る花でしたから。

赤い花を咲かせるアカツメクサがあることは知っていましたが、見たことはありませんでした。どこに生えているかさえわからなかったのです。それでも、いつか会えるはずだと確信していました。

待ちわびて、ある日、アカツメクサを見つけました。でも、それは求めていたアカツメクサではなかった。背はシロツメクサよりも高く、茎は枝分かれしていました。ぼくが探し求めていたのは、“赤いシロツメクサ” だったのです。

シロツメクサやら

by enzian | 2006-05-25 22:29 | ※自然のなかで | Trackback(1) | Comments(35)

「わかりません」

あまり好きな言葉ではなく、できるだけ避けるようにしているのですが、老若男女、いろんな方に「わかりますか?」と問いかけます。答えは「わかります」か「わかりません」かのどちらかですね。でも、「わかりません」には、たくさんのニュアンスがあります。例えば。

1.「ソクラテスは紀元前何年に死んだのですか?」といった、質問の意味はわかるのだけど答えることができない、という「ノーマル型」。ごく普通のパターンですね。質問の内容によっては、答えられない人が照れくさそうにしたり、あっけらかんとしていることも多い。

2.「ソクラテスが生きていたことにはどういう意味があったのですか?」といった、「わかりますか?」という質問の「意味」がわからない「哲学型(?)」。考える人ですね(質問者が拙い場合もある)。答えられない人が困惑した顔をしているのが特徴です。こういう人には、美しい答えはいいから、どういう経路で答えが出なくて困っているのか、を説明してもらいます。

3.高校生に多いのは、「抵抗型」。質問の意味がわかっていても答える気がないか、そもそも質問を聞こうとする気のないパターンで、答えられない(答えない)人の視線は時に宙を舞います。この場合、「わかりません」は、「うざいんだよ!」の尊敬語であることも多い。解決すべき問題は、教科書以外のところにあるんでしょうね。

by enzian | 2006-05-21 17:47 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(34)

縁(よすが)となるもの

馴染みの遊園地が次々と閉園している。宝塚ファミリーランドがなくなり、あやめ池遊園地がなくなり、枚方パーク(ひらパー)の菊人形の展示が取りやめになってしょんぼりしていたのだが、奈良ドリームランドまでもが今年で閉園すると聞いて、がっかりしてしまった。

どうしようもなく落ち込んでしまうのは、それらが思い出の場所だからだ。ある日あるとき、たしかに奈良ドリームランドの芝生ではとある家族が楽しげにお弁当を食べていたし、ある日あるとき、たしかに枚方パークの大菊人形展には花が好きだったとある女性の笑顔があった。ある日あるとき、あやめ池遊園地にはとある少年のときめきがあったのかもしれない。遊園地が、家族とのわずかな楽しい思い出の、甘酸っぱい思い出の縁(思い出させるきっかけ)となっているのだ。

忘れたくないと願っても、楽しい記憶は日々薄れてやがて儚く消えてしまう。その儚さゆえに、人は楽しかった記憶の縁となるものにすがるのだろう。写真とはそういうものだし、遊園地もまたそういうものだ。遊園地にはあらゆる方向から張り巡らされた無数の見えない糸がからみついて、糸車のようになっている。その一本一本は一人一人につながっていて、それをたどって時に人々は誰かとの楽しかった幼い記憶を蘇らそうとするのだ。遊園地がなくなるとは、そのような縁が突然に断ち切られることでもある。

by enzian | 2006-05-14 22:02 | ※山河追想 | Trackback | Comments(35)

眼に沁みる香り

電車で楽しく本を読んでいたら、眼に沁みるような強烈な香りを漂わせた人が隣に座る。人工的な苦手なタイプの香りだ。とても耐えられそうにないので、次の駅で降りるふりをして隣の車両に移動する。ぼくは上品な人だから(ツッコミましょうね)、「失礼ですが、気分の悪くなるような香りを漂わせておられるので、席をかわっていただけますか?」などとは口が裂けても言えないのだ。それでも口惜しかったので、移動しながら、はっきり「臭い!」とは言えないにしても、どうしたらよかったのか、次善の策をあれこれ考えた。

(解決策1)「香りのバカ~」とかなんとか叫びながら、
夕陽(海も可)に向かって走ってゆく。
(問題点)周囲から痴話げんかと勘違いされる。しかも、夕陽などない。

(解決策2)扇子で扇いで香りを返す。
(問題点)手がだるくなる。

(解決策3)おもむろに酸素を吸いはじめる。
(問題点)体調が悪いと思われる。

(解決策4)おもむろにマスクを取り出す。
(問題点)たんなる風邪か花粉症と思われる。

(解決策5)鼻をつまむ、もしくは鼻にテイッシュを詰め込む。
(問題点)売り物の美貌\(-_-)ピシッ をそこなう。

(解決策6)いっそのこと呼吸をやめる。
(問題点)死んでしまう。

(解決策7)好みの香りの御香を焚いて中和する。
(問題点)即効性がない。

(解決策8)テントを張って、なかに引きこもる。
(問題点)変な人だと思われる。

(解決策9)「日本人はこれでなくっちゃ!」とかなんとか言いつつ、
七輪でマツタケを焼きはじめる。
(問題点)なんの解決策にもならないし、意味もわからない。

くたびれたので、寝ます。
ぐうぐう(-_-)zzz

by enzian | 2006-05-11 23:05 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(33)

海獣たちとの触れ合い

三重県にある「二見シーパラダイス」に行ったのだ。ここは「ふれあい水族館」という名前で、海獣たちとの触れ合いを売りにしている。思えば、この歳になるまで海獣たちと触れ合ったことなどない。そこで、“海獣たちとの触れ合い”――これを今年のGWの目玉にしたというわけなのだ。

More

by enzian | 2006-05-05 23:10 | ※リュック背負って | Trackback(1) | Comments(44)

雷と臍(へそ)

ふふふん♪と楽しく近所をお散歩していたら、閃光一瞬、辺りがフラッシュを何百個も焚いたように明るくなって、同時に耳をつんざく轟音が空気をぴりぴりと揺らし、地響きがした。まったくなんの前触れもなしに雷がすぐそばに落ちたのだ。雷を怖がるタイプではなかったが、この突然の落雷には肝を冷やし、しばらく地面に低く伏せたまま動けなくなった。さすがに、クワバラクワバラと、なにものかに祈った。

「地震、雷、火事、親父」という言葉があるが、親父はともかく地震も雷も火事も怖い。祖母はとても雷を怖がっていて、孫が出歩く際には必ず雷除けのお守りをもたせていた。雷が鳴りはじめると、離れから「電線を通って雷が入って来よるから、早う、テレビのコンセントを抜き」と決まって言いに来たものだ。「はいはい」と言いつつ、荒唐無稽(こうとうむけい)の迷信とばかりに一笑に付していたが、後に雷にパソコンをやられて、なんでもかんでも疑ってかかるのはよろしくない、と痛く反省する破目とあいなった。

雷は雷さまとして擬人化されて、臍を狙うと言い伝えられてきた。まさか人間のかたちをした雷さまが雲の上でどんどんと太鼓を叩いているとは誰も思わないだろうが、雷と臍には関係があるのだろうか。雷が鳴って雨が降ると気温が下がるから臍の出るような服装をしてはならぬということだろうと思っていたが、今回の事件で違う理由もある気がした。臍が出るというのは背筋を伸ばして頭を高くしている姿勢で、雷の鳴っているときには危険この上ないのだ。

昔の子どもたちが臍の出るような服装をしていたのかどうかは知らないが、近頃の若い女性の服装には、雷さんたちもさぞやお喜びのことだろう。ひょっとすると、雷さんとは、ぎらぎらした男性の比喩なのかもしれない。

by enzian | 2006-05-02 21:36 | ※自然のなかで | Trackback | Comments(39)