<   2006年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

腹いせに裏山で遊ぶ、の巻

裏山で遊んだ。

More

by enzian | 2006-07-08 21:00 | ※自然のなかで | Trackback | Comments(64)

絶叫マシーン

バス停のそばには小学校があって、そこから流れてくる雑多な音を聞くのが好きだ。音楽の時間にはピアノの伴奏と元気な歌声が聞こえてくる。目一杯口を開けて歌っている子どもたちの顔が目に浮かぶようだ。休み時間は学校中がギャーギャーと歓声に包まれたようになっていて、人とはこんなにも大きな声を出せるのだなぁと感慨に耽っている。

以前、人前で泣くのはどんどんむずかしくなっているのでは?というようなことを書いたけど、大きな声を出せる場所も少なくなっているのかもしれない。どこに行こうと人がいて、どこに行こうと人の匂いがする人工物が横たわっている。そんなところで大声を張り上げるのは、よほど周りが見えない人でもなければむずかしいのだろう。そういう意味では、臆面もなく大声を出せる絶叫マシーンやお化け屋敷は、いまどきのオアシスなのかもしれない。大学がレジャーランド化していると言われて久しいけど、いっそのこと、大学に絶叫マシンやお化け屋敷を作るのも、おもしろいのかもしれない。

by enzian | 2006-07-07 23:32 | ※街を歩く | Trackback | Comments(21)

クチナシの香り

どうして今日はこんなに甘い香りがするのだろう?誰かが個研に香りを運んで来たにちがいない。誰だろうか?仕事を続けながらぼんやりと香りの “犯人” を探していた。あの先生だろうか?それとも、あの学生だろうか?‥‥あの学生ならありそうなことだ‥‥。ひとしきり考えてから、はっと思い出した。朝、バス停のそばに咲いていたクチナシの花びらを一枚、胸ポケットに入れていたのだった。それをすっかり忘れていた。ぼくには、こういうことがよくある。

by enzian | 2006-07-05 23:27 | ※その他 | Trackback | Comments(26)

蛇雑考

(1)
郷里でいたいけな小学生をやっていた頃は、登下校の道すがら、道のアスファルトには車にひかれてぺったんこになったヘビが何匹もひろがっていたものですが、郷里を離れ(といっても、隣町ですが)、いまの家に移ってから一度も見たことがないのです。ひまさえあれば山をほっつき歩いているのですが、出会えませんね。財布に入れておけば小金が貯まるという “抜け殻” さえ見たことがありませんから、いないのでしょう。ヘビ(=龍)は水神の化身であると云われますが、小川や湧水のない、水気のあまりない山地であることがヘビには棲みにくい環境になっているのかもしれません。

ヘビを嫌う人は多いですね。「蛇蝎のように‥‥」という言葉がありますし、『創世記』でエバをそそのかして知恵の木の実を食べさせたのはヘビでした。ヘビとはサタンの象徴なのでしょう。星の王子さまを故郷の星に帰し(てあげ)たのも黄色いヘビでしたね。あの長さがいけないのでしょうか?ぼくは、長いものに巻かれるのを殊の外嫌うタイプですけど、長ければイヤというわけではなく、むしろヘビはどちらかというと好きな方です。ミミズやゴカイの体形は好きですし、アナゴやウナギに至っては、その体形にうっとりすることはもちろん、ご存知のようにアナゴ天ぷら道5段の腕前ですから、捌くのも食べるのも好きなのです。

(2)
ヘビはどのくらいの長さになるものなのでしょうか?アミメニシキヘビとアナコンダ(オオアナコンダ)という二種類が最大級の大蛇の双璧で、捕獲されたものとしては、ともに10メートルから11メートルが限度とされてきたのですが、先日、インドネシアのジャワ島で14メートル85センチのアミメニシキヘビが捕獲されたと聞いて、大蛇フェチは思わず椅子から崩れ落ちそうになりました。もし本当だとしたら、破格の大きさです(が、どうもガセネタのようです)。

捕獲されていない大蛇の報告には枚挙に遑がありません。すさまじいのは南米のアマゾン川流域からのもので、長さ数十メートル、胴回りはドラム缶ほどもある巨大な大蛇(「ジャイアント・ボア」と呼ばれる)が船をひっくりかえしそうになったとか、マシンガン数千発を費やしてやっとのことで仕留めたが猛烈な暑さで腐敗して街にもってくることはできなかったとかいろいろありますが、額面通り受け取るわけにはいきませんね。ちょっとばかり有名なものとしては、イギリスの陸軍大佐であったパーシー・フォーセット(「インディ・ジョーンズ」のモデル)という人がアマゾン川支流で出会った19メートルほどのアナコンダの報告があります。フォーセットはこのアナコンダのスケッチを著書に載せていますが、話半分としても、それなりの大蛇を見たことは確かなようです。

(3)
日本には大蛇の捕獲記録はあるのでしょうか?日本で一番大きくなる種類はアオダイショウかハブでしょうが、せいぜい2メートルちょっとぐらいが限度だろうとされています。何メートルから大蛇と呼ばれるのかは知りませんが、これぐらいでは大蛇とは言えないですね。とはいえ、大きなヘビの目撃談がないわけではありません。

「山で銀蝿の群れを見たら、近くにうわばみがいると思え」というのは杣人(そまびと)に伝わる警句ですが、うわばみ化したアオダイショウは生臭い異臭を放つと云われています。山本素石の記録(『渓流物語』所収)によれば、九頭竜川の支流地域で土木業者たちと格闘を演じた、銀蝿を無数に集らせた巨大なアオダイショウは3メートル半以上で、太さは一升瓶ほどだったということです。

アオダイショウ以外では、福井県と滋賀県との県境の工事現場に現れた真っ黒な大蛇について山本が書いています。かなり大きかったらしく、この蛇が出る度に労働者たちが怖がって工事がストップしてしまうので神官を呼んで祈祷し封じ込めたということで、事情を記した石碑が残っているようです。真っ黒のヘビといえば、カラスヘビ(シマヘビの黒化型)がまず考えられますが、小型のシマヘビがこの話のような大蛇になるとは思えない。ヤマカガシにも黒化型がありますが、やはり小型で、大蛇になるとは考えにくいのです。

(4)
ヤマカガシが大蛇になるとは考えにくいのですが、斐太猪之介の著作(『続々山がたり』)には、ヤマカガシが大型化したと思われる大蛇の目撃談が多数集められています。4メートル、十数メートル、30メートルというのまであって、驚かされます。

この書は大蛇フェチのぼくの愛読書のひとつで、ひまさえあれば紐解いて涎を垂らしながらドキドキと読んでいるのですが、入手が非常に困難ですから、全国280人ほどの大蛇フェチの方々に、奈良県の三之公谷での大蛇目撃談部分を抜き出しておきましょう(ちなみに、この大蛇はヤマカガシかどうか定かでない)。

 「周造さんは、シシやシカ猟も上手で、三之公から伊勢側へ越えた原生林を猟場にしていたが、ある年、不動谷の岩クラの下で、犬を入れた。犬は飛騨柴のガッチリした中形犬だったが、よく追い出す名犬だった。岩クラの方で犬が吠えた。杣道にいた周造さんは、シシかシカかと銃をかまえていたら、マリのように背中をまるめて飛んできた犬が、主人をおいてけ放りで逃げてしまった。さてはクマかと、ササやぶの斜面をみていると、ザワザワザワとやってきたのが、なんと深いササの葉の上に半メートルも首を出した大蛇であった。
 なにしろ、この辺りのクマザサは、人間の丈よりもずっと高い三メートルもあるものなので、長さの三分の一を立てたとしても十メートル余の大蛇だ。真赤な口を開けて迫ってきたので、その口を狙ってシカ弾を撃ち込んだ‥‥」(上掲書、34頁)

(5)
ヘビの冷たくてしっとりとした肌触りとか、種類によっては黒々とした鱗のてかり具合とかを気味悪がる人もいるでしょう。好きな人にとってはそれがたまらないのでしょうけどね。好きと嫌い、神と悪魔とを分かつ分水嶺とは、まことに微妙なものです。

昔、実家の一部を改修する際に、吉凶をみるために神官を呼んだことがあります。家に着いた神官は開口一番、吐き捨てるように言ったものです。「な~んもええところのない家やな」。図星でしたが、他人に言われることには抵抗がありました。「えらそうなことを言いやがって‥‥無責任にいいとか悪いとか言うだけなら、誰にでもできるわ」。のけぞってじゃべる老齢の神官に大人への不審の視線を注ぐ少年の思いを知ってか知らずか、神官はフォローともつかない言葉を続けました。「(金運をもたらす)白ヘビがおるけどな。ええこというたら、それだけや」。控え目の祖母が珍しく反応しました。「えぇまだおりまっか!」

後で祖母が話してくれたところによると、祖母が嫁いで間もないころ、一度だけ白ヘビを見たことがあるということでした。祖母の姿を見ても、睨みつけて「ふーっと吹く」ばかりで、少しも逃げようとしなかったらしい。それ以来、もしいるのなら白ヘビを見たいものだと思っていましたが、見ないまま実家を後にしました。けっきょく白ヘビを見たのは神官と祖母だけでした。どのような人であれば、白ヘビを見ることができたというのでしょうか。

(6)
実家には用水路から水を引いた小さな池がありました。ドジョウとイボガエル(ツチガエル)とトノサマガエル、そしてヘイケボタルがいて、夏の夜は明滅するホタルが飛び交い、カエルが大合唱をしていたものです。カエルがいたことから、ヘビもたくさんやってきました。常連のアオダイショウが二匹。中三日でやってくるシマヘビ。まれにはヤマカガシも顔を見せました。

池に近づいて、ギュッとかキュッとかいう、なにかを握りつぶすときに出るような音を聞くと憂鬱になったものです。ヘビが飲み込もうとしているカエルが出す断末魔の叫びだからです。大きく開けたアオダイショウの口からカエルの形が見えています。カエルが哀れに思えて、ヘビをつついて吐き出させようとしたこともありました。せっかくの御馳走を人間のきまぐれで吐き出させられたアオダイショウは、こちらを睨みつけてしばらく池を去ろうとはしませんでした。ヘビが執念深いと云われるはこの辺りの事情によるのでしょう。

母はヘビを嫌いました。執念深いから、というのが理由でしたが、「あいつはじわじわ丸呑みにしよる。いやらしいから嫌いや」とも言いました。母が「いやらしい」をどういう意味で使っていたのかはよくわかりませんが、生きたものをそのままで呑み込む、というのにはあまりよい気分はしませんね。また、歯で噛まずに丸呑みするという食べ方には本能的な違和感を抱くものなのかもしれません。

(7)
咬むというのがいけないのでしょうか。毒のあるのまでいますし。強力な毒蛇が生息する地域の文化では人の命を左右するヘビを生命力の象徴と考えたり、神格化するような場合もありますが、一般に毒蛇は嫌われ者ですね。日本の毒蛇としてはマムシ(ニホンマムシ)、ヤマカガシ、ハブの類とかがいますけど、本州の人にとって「毒蛇」と言えばマムシでしょう。ツチノコを毒蛇だと言う人がいるかもしれませんが、ツチノコ検定1級のぼくがツチノコについて話しはじめると調子に乗ってあと3ヶ月は蜜柑が並びそうなので、やめておきます。

マムシは郷里では「クチナワ」と呼ばれていました。クチナワには「朽縄」という字をあててヘビ一般を指す場合が多いようですが、郷里では「口縄」の意味で使われているようでした。縄状であることよりも、口にある毒牙が強調されていたのです。「ハメ」とも呼びました。「ハメの目は光るから、ホタルとまちがえんよう、気をつけろ」と耳にタコができるほど聞かされたことを、この時期になると思い出します。ハメではなく「ハミ」と言う地方もあるようですが、たぶん、ハモ(鱧)と同様、食む(=咬む)に語源する言葉なのでしょう。

クチナワ、ハメとうるさく言われたわりにはマムシを怖いとは思っていませんでした。生きたマムシを見たことがなかったからです。アスファルトの上でぺったんこになっていたヘビの記憶を今になって紐解けば、銭型の紋々をしたマムシもわずかに混ざっていたかもしれませんが、しょせん、死んだマムシでした。珍しいもの好きの少年でしたから、なんとか出会いたいものだと思っていましたが、なかなか出会えなかった。すでにぼくが子どもの頃には、他のヘビならいくらでもいましたが、マムシはほとんどいなくなっていたのです。

生きたマムシに出会ったのはたった一度だけです。高校生の頃、もうすっかりそういうことをする歳でもなかったのですが、珍しくクワガタ捕りに行ったことがあります。クヌギを蹴ってもクワガタは落ちてこず、踵を返そうとしたときに、足元で赤っぽい30センチほどの蛇が動きました。銭型の紋々を見た瞬間、思わず両脚がガクガクと震えました。(了)

by enzian | 2006-07-02 17:39 | ※山河追想 | Trackback | Comments(35)