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「守ってあげられなくて、ごめん。」

不条理な事件で人の命が奪われるたびに、この言葉が繰り返される。だが、たとえ細心の注意を払おうと、か弱い命を守り切れるという保障など、どこにもないのだ。人との関係のなかでしか人が生きられず、しかも人を傷つける可能性が人のなかに秘められている限り。

それでも、言わずにおれない気持ちはわかる。自分だけが死なずに生き永らえていること、生きているのがあなたではなくこの私であること、そのこと自体が、死者にたいする圧倒的なアドバンテージだからだ。生きていればそれなりに辛いことがあり、あるいは一寸先は闇と言ってよいのかもしれない。だがそれにしても、生者には何事かが起こる可能性がある。一方、死者には一切の可能性がない。死者には一寸先さえないのだ。この、死者に対する “優越感” が、生き残った者を蝕む呵責の源になる。

未だ死なずにいる自らを際限なく責め立て、貶め続ける呵責の念は、他方で、記憶のなかの死者を美化し、崇拝の対象とする。膨れ上がった呵責の念が自分自身を破壊することのないよう、彼岸や盂蘭盆会はあるのだろう。そういえば、今年は誰も夢枕に出てこない。それでよいのかもしれない。

by enzian | 2006-08-13 20:50 | ※その他 | Trackback | Comments(28)

苦労なんか、買いたくない。

「若いときの苦労は買ってでもしろというでしょ?」という “アドバイス” が聞こえる。冗談で言ってるのだろう?そうに違いない!と思って、隣で学生に話しかけている顔を覗き込めば、真顔だった。

ぼくは「若いときの苦労は買ってでもしろ」という言葉が好きではない。そんな無責任な言葉、お金をもらったって人に言おうとは思わない。そんなことをのうのうと言ってのけられるのはきっと苦労をしたことのない人だ、と思い込んでいる。たしかに、若いときに苦労をした人の何割かが長い葛藤を経た後に人格者になることはあるが、自分の生存を脅かすような、骨髄に達するような苦労を続けた人のやはり何割かは曲がる。そして、そうした曲がりを矯(た)めることは容易ではない。「角を矯めて牛を殺す」とは、些細な欠点を直そうとしてかえって全体を台無しにしてしまうの意味だが、角がどのような形であるのか、は牛自身にとって、牛が生きてゆくために、些細なことではない。

ここで言う「苦労」というのは、たとえば自分から望んでなにごとかにチャレンジする際に出くわす “壁” のようなものではない。そういう “壁” は本来、当人にとっては苦労でもなんでもないからだ。では苦労とはなんなのか?と聞く人がいるかもしれないが、はたから見れば些細なことであっても、当人が苦労だと思ったとき、それはもう十分に苦労なのだ。苦労はいつも主観的(自分的)なもので、客観的なものではない。

by enzian | 2006-08-08 12:23 | ※その他 | Trackback(1) | Comments(63)

metamorphosis

夏ということもあって(すぐ秋だけど)、スキン、というか写真を変えることにしました。珍しく横文字を使ったりして、テーマは “metamorphosis”。代わり映えのしない人間だと自覚しているせいか、けっこう好きな言葉です。この字を見れば、幼いころに野山で蓄えた圧倒的なイメージがたちまち甦ってきて、神妙な面持ちになります。ほんとうは蝶が蛹から羽化するようなところを撮りたかったのですが、自然相手に思う通りにはゆかないものです。

なかには虫嫌いの方もいて、「ギャー!」とかなんとか叫んで、すぐさま「戻る」ボタンを押したまま二度とはお越しいただけない、というようなこともあるやもしれませんが、それはそれでよいのです。ぼくは小学生のころから卑劣な手段(どんな手段なんだ?)で女子(生徒)を「ギャー!」と言わせては ^▽^)ウケケケ~とこの上もなく喜んで、そして教室の隅でひそかに泣いていたような男なのです(意味不明)。やはり、代わり映えしないのです。

お礼。

by enzian | 2006-08-05 16:33 | ※その他 | Trackback | Comments(28)

お猪口な人

人には器というものがあります。お猪口に一升瓶の水をどくどく注ごうとするのが土台無理な話で、注ごうとする人がいけないのです。――そんなこんなで、このところ「忙しい」が口癖になっていますが、「忙しい」を連発するような人はまぁ仕事ができひんもんなのです。ぼくは自他ともに認める仕事のでけへん人なので、迷うことなく連発しますけどね。「イソガシイヨ、イソガシイヨ、ママ、タスケテ」。

本当に仕事ができる人は、殺人的スケジュールをいかにエレガントに捌くのかを考えるのが趣味であるかのように、けっこう嬉々として仕事をしているものです。“複雑なもののなかにエレガントな法則を見つけたい症候群” に罹っているのが学者だとすると、仕事ができるのは学者肌の人なのかもしれません。“スケジュール管理オタク” と言った方がいいかもしれないですけどね。学者と言っても、オタクと言っても、認知度の差ぐらいで、似たようなもんです。

できる人には勝手に四方八方から仕事が集まってくるわけですが、自分からスケジュールをぎゅうぎゅう詰め込まないと満足できない人もいるようです。スケジュールに空白があるのが怖い人ですね。スケジュールを詰めることが強迫観念になっているのでしょうか。自分のことを考える暇があるのが怖いだけなのかもしれませんが。ぼくは学者肌でもスケジュール管理オタクでも空白が怖い人でもないので、夏休みはゆっくりしたいのです。

by enzian | 2006-08-03 00:11 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(22)