<   2007年 02月 ( 6 )   > この月の画像一覧

驚くこころ

バスを降り、自宅への道を急ぐ。空を見上げれば、今日もオリオン座が見え、赤い星を頂点の一つとする「冬の大三角」が見える。やれやれと一息つきながら、やっぱりすごいなぁとつぶやいてしまう。特に星座に詳しいわけでもないのに、オリオン座にこだわるには理由がある。

それはそれは昔、太陽より大きなものなどないと思っていた。地球の大きささえわからないのに、それよりもはるかに大きいという。まったく、こんなすごいもの他にあるわけない――そう思って、 疑いもしなかった。

ある日、母に買ってもらった星の図鑑を開いた。米粒のような地球が書いてある。米粒のそばにはミカンほどの太陽もある。やっぱり太陽はすごい。それにしても、ページの上の方にあるこの目障りな “線” はなんなのだ???見れば、 “線” の下には書いてある。赤色超巨星ベテルギウス(太陽の700倍~1000倍)‥‥!!!! 後にも先にも、これほど驚いたことはない。

by enzian | 2007-02-21 23:06 | ※自然のなかで | Trackback | Comments(18)

人に道を尋ねない

いつもなら早く着きすぎて時間つぶしに困るほどなのに、珍しくせっぱつまって、目的地への道を人に尋ねてしまう。道を聞いたなんて、もう何年ぶりのことだろうか‥‥と、ため息をつく。人に道を尋ねるのがめっぽうキライなのだ。そのくせ、道を尋ねられるのはキライじゃない、というか、どちらかと言えば好きだったりする。○○への道を聞かれたりなんかしたら、どう答えるのがいちばんわかりやすいだろうか?‥‥あっ、あそこに止まった車はぼくに道を聞こうとしているのだろうか?ドキドキ‥‥などと、要らぬ妄想をしながら街を歩いていたりする。

どういうつもりでイヤなのか、はよくわからないけど、人にものを頼むのがキライなのも同じ理由なのかもしれない。人と仕事を手分けして、いくばくかの負担をお願いして‥‥なんてことをする暇があるぐらいなら、さっさと一人っきりで走り出している。そして、たいてい後悔する。

by enzian | 2007-02-17 18:01 | ※街を歩く | Trackback(1) | Comments(29)

超短距離走

何度か記事にしていることですが、いつも、人との距離感はむずかしいと思います。それは自分自身の問題でもありますし、仕事上でいやというほど直面する難問でもあります。人にはそれぞれ安心できる、人との距離感がありますから、“ほどほどの距離”といったスタンダードがあるのかどうかわかりませんが、目立って長距離の人、目立って短距離の――というか、ゼロ、ときに相手にめり込んで距離が “マイナス” にさえなっている――人がいることは、ご承知の通りです。

ほうっておけばいいのですが、ほうってはおけない境遇を選んだ身の上。わずかな経験から言うと、長距離な人をほどほどの距離に近づけることは比較的容易だと思いますが、距離がゼロないしマイナスの――トラックを逆走しそうな?――超短距離な人を遠ざけるのは、至難の技だと思うのです。家族も学校も捨て去ってアウトオブローな男に向かって全力疾走する女子学生(vice versa)を “説得” できたことは、ただの一度さえありません。それは自分の仕事の範疇を超えていることだと知りつつも、やはり下手に説得しようとして敵視されることもしばしばなのです。

by enzian | 2007-02-12 11:10 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(12)

湯船ナルシスト的妄想

あとはすこしずつ暖かくなってゆくのを待つだけのこの時期は、ちょうどよいぐらいの湯船に浸かっているような、なんともいえん、ええ気分なもんです。なにがそんなにええ気分なのかと、湯船に浸かりながら(?)考えたら、わかりましたな。なになに?身軽になれるから?うんにゃ(いいえ)。きれいな花が咲き乱れるから?うんにゃ。生き物たちが元気いっぱいになるから?うんにゃ。そんなこと関係おまへん。湯船ナルシスト的に言えば、つらい冬を耐え抜いた自分が誇らしくて、愛おしいからなのですな。そんなにつらくなくても、冬は冬なのです。

おまけ。

by enzian | 2007-02-10 13:38 | ※自然のなかで | Trackback | Comments(19)

ジレンマ

近所の山の雑木林にふらふらと分け入ると、そこここに秘密基地の残骸がある。近所の子どもたちが作ったのだろう。散乱するノコギリやら板切れやらを見ていたら、一気に子どものころにタイムスリップして、なにやら甘美な気持ちになった。甘美さとは、家や親からの独立心を満たしたというような手放しの歓喜ではない。世のタブーを密かに破った後のような、後ろめたさがどこかにへばりついて離れないような複雑な喜びなのだ。

親も知らないような空間でわずかな仲間と秘密を共にするのが、秘密基地のよさなのだろう。そういう意味では、ブログや mixi は、もはや子どもではない大人の仮想空間上の秘密基地なのかもしれない。だが秘密とはむずかしい。誰かに知ってもらいたい、共有してもらいたいものでありながらも、すっかり知られてしまえば、それはもう秘密ではないからだ。雑木林の秘密基地はもぬけの殻となっていたが、ぼくはブログを何年続けることができるだろうか。

by enzian | 2007-02-07 23:11 | ※その他 | Trackback | Comments(16)

『学問の道標』(柏祐賢)

b0037269_12442754.jpg以下は、他のブログで書いた記事の転用です。このブログの趣旨とは合わない本ですが、絶版状態になっているのを残念に思っている本なので(しばらく本を紹介していないこともあって、汗)、こちらにも載せておきます。

柏祐賢『学問の道標―学究者におくる』(未来社、1984年)です。学生諸君のなかには研究者を志す人もいるでしょう。本書は、文系の研究者を目指す人の心構えを説くために書かれた――そして、読む者の心を動かしうる――数少ない書のひとつです。著者は京都学派、とりわけその方法論としては、哲学者であった高坂正顕の影響を強く受けています。

学問とは一体なんであり、学問を志す研究者はいかなる人格を養わねばならないのか――20年以上前のものですが、著者の考え方を時代遅れと感じる者があるなら、それは、時代の趨勢に流されることのない学問の本質をいまだ知らない者だと言わざるをえないでしょう。すでに絶版となり、入手の非常に困難な書物ではありますが、研究者を目指す人であれば、一度は目を通してもらいたいものです。

著者の「はしがき」を締めくくる言葉を記しておきましょう。
 
「これから、この学問研究の厳しい道にわけ入ろうとする諸君に、ここで強く申したい。すなわち、この道の何であるかを十分にわきまえ、これこそ、自らの真に進むに値する道であると自覚し、もってまっしぐらにつっ走ってもらいたい。学問の道は、自らの生涯をかけ、燃え尽きるにふさわしい一本道である。」

こちらに、土偶さんによる、けっこうなブックレビューがありますので、ご参照ください。

柏祐賢氏がお亡くなりになりました。その謦咳に接する機会に恵まれた者ではありませんが、この書より得た学恩に感謝いたします(2007.3.17追記)。


b0037269_22354768.jpg『学問の道標』の増補版(柏久編著『「生きる」ための往生―李登輝台湾前総統恩師柏祐賢の遺言』)が、柏祐賢氏の追悼本として再版されました。その「あとがき」によると、このブログ記事もまた、再版のきっかけとなったとなった、とのことです。

思えば『学問の道標』と最初に出会ったのは、私がまだ20代の院生であったころ、京都の小さな古書店においてでした。すぐに一読し、柏祐賢氏については詳しいことはなに一つ知らぬまま、いつか自分が研究者になることがあれば、この書を学生たちに紹介したい、と望んだことをよく覚えています。

いま、ブログの記事を介するというかたちで、この書が広く若い読者に読まれることの一助となれたということでしたら、これに勝る悦びはありません(2007.7.14追記)。

by enzian | 2007-02-07 13:00 | ※好きな本 | Trackback | Comments(7)