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水の美味しさ

墓参りに行った。小学生のころの通学路を通れば、下校途中に水を飲ませてもらった公民館が今もある。じりじりと日差しが照りつける夏の日、2キロの道のりは小学生にはけっこうしんどかった。登下校中の飲み食いは禁じられていたが、家に着くまでがまんできなくて、公民館にどたどたと上がり込む。「おばちゃん、水、もらうで!」。奥の方からいつもの声がする。「はい、どうぞー」。乾燥し切った悪ガキたちは蛇口に口を付け、ごくごくと水を飲む――

あの水はどうしてあんなに美味しかったのだろうか。ただ生ぬるいだけの水だったのに‥‥。乾いたのどに水ほど美味いものはないと思うけど、きっとそれだけじゃない。それはちょうど、悪ガキたちが、拾った10円玉を警察に持ち込んでなにやら書類を書いてもらって悦に入っていた時期でもあった。なんの変哲もない水の味付けは、冒険と、人に許されることであったのかもしれない。おばちゃん、元気にしておられるだろうか。

by enzian | 2007-03-25 22:13 | ※山河追想 | Trackback | Comments(16)

なんの役にも立たないことをしてはいけないのか?

なんでもいいから人のためになりたい、と言う人がいる。自分の体を使って人のためになろうとする人もいるし、人が必要とする物(モノ。目に見えないものも含む)をつくって人のためになろうとするもいる。そういう人たちを見ていると、こっちまでやさしい気持ちになれるし、やっぱり人間っていいなぁと思えたりする。そんなことにナンクセをつけるほど、バカじゃない。

でも。だからといって、なんの役にも立たないことだからやっちゃいけない、なんてことにはならない。自分がすごくおもしろいと思ってやっていることをふと考えてみたら世の中の役には立ちそうにないから‥‥、なんて変に自信をなくしたり、まして、それを理由にしてやめてしまう必要なんかない。大きな目的があるのはいいことだし、目的に向かっていちばんいい手段を考えるのは大切なことだ。だけど、そういう目的と手段のつながりから外れたものだから捨てないといけない、理由づけがうまくいかないから控えなくちゃいけない、なんて思わない。

ある本のキャッチフレーズにはこう書かれていた。「受験の役には立ちませんが、人生の役には必ず立ちます――」。この先の受験の役に立たなくても、ひょっとすると人生の役に立たなくても‥‥要はなにか別の大いなる未来の目的のためにはからっきし役立ちそうになくても、それが今 “おもしろい” と思えるならやっていい。ただし、その結果として人を悲しませることがなるべく少なくて済むような工夫はいる。そういう意味で、先の見通しは必要なのだと思う。

by enzian | 2007-03-18 11:54 | ※その他 | Trackback | Comments(22)

大人になると聞こえなくなるもの

ぼくの住んでいるのは山間の住宅地で、やたらめったら蚊が多い。どのくらい多いかというと、1シーズンで “キンカン” の大瓶2本を使い切ってしまうほど多いのだ(わかりにくい具体例だな)。そんなわけで、毎年のようにブ~ンというあの羽音に悩まされていると言いたいところなのだけど、じつはここで暮らしはじめてから、あの音をとんと聞かなくなった。ぼくはそのことをずいぶん??に思っていて、理由をあれこれ考えていた。

1.実家にいたころに、夜、ブ~ンという声とともに飛んできて刺したのはイエ蚊の類で、こちらで刺すのはヤブ蚊。ヤブ蚊の声は小さくて聞こえない。
2.蚊の声自体は変わらないけど、なにかと騒がしい生活になったから聞こえにくくなった。
3.蚊の羽音であってもなんとか聞いてやろうとする熱意がなくなった(やや意味不明)。
4.ますます人間的な円熟味を増してきて、細かいことには動じなくなった。
5.ぼくの耳が悪くなった。

きっと4だろうと内心は思いつつ、けっきょく答えはわからないままだったのだけど、先日、イギリスでMosquito(モスキート)という蚊の羽音発生装置(開発者がイグノーベル賞を受賞)を使って街角でたむろする若者たちを “撃退” しようとする試みがなされているというネット上の記事を見て、(゚Д゚)!!ハゥとなった。モスキートの出す高周波数は10代から20代前半の若者には耐え難い不快音なのだが、20代後半を過ぎると聞こえにくくなるらしい。ここ(BBC Radio Swindon featureをクリック)にその音があるので、聞こえるかどうか、興味のある方はお試しあれ(前半部分にキーンキーンという音が入っているらしい。それ以外の音もまじっている)。ぼくには、それ以外の音しか聞こえなかった‥‥

街角のモスキートの効果のほどは知らないけど、若者の方もしたたかで、大人には聞こえないことを逆手にとって、モスキートの音を携帯の着信音にして学校で使っているらしい。着信音ならまだしも、それでカンニングでもされようものなら、若い教員でも30代前半の日本の大学ではやっかいだ。細かなことには動じないさしものぼくでも、バウリンガル(これもイグノーベル賞だった)ならぬ、蚊の羽音翻訳機 “ブ~ンリンガル” を握りしめて試験監督をやらざるをえなくなる。

by enzian | 2007-03-15 18:47 | ※その他 | Trackback | Comments(32)

水晶は生きている

b0037269_109055.jpg実家の玄関脇には粗末なバケツが置いてあって、いつもきれいな水で満たされていた。バケツには○○○山で採ってきた水晶が入っている。

友人のOが遊びにきたときは、なにをするよりまずバケツを覗き込んで、言ったものだ。「まだ水晶生きとるけ?」山で採ってきた水晶には透明なものと白く濁ったものがあったが、水晶はきれいな水から出来ており、生きているうちは透明だが死ぬと白く濁るのだ、と二人は信じていた。

水晶が死なないように、せっせとぼくは水を替えていた。Oはともかく、すでにぼくには水晶が石英の結晶(度の高いもの)であるという知識があったから、子ども心にそういう知識とバケツの水替えがどうやって両立していたのか、今ではうまく説明できない。

バケツの水晶は実家を出るときに小箱に入れ替えてもってきた。ときどき、はっとなにかを思い出し、無性に会いたくなってガサガサと家捜しをする。家にあることは確かなのだが、どうしても見つからない。でもいいのだ。どこかに仕舞われているなら、それでいい。

by enzian | 2007-03-13 22:51 | ※山河追想 | Trackback | Comments(8)

怒り続ける力

テレビを見ていたら、今日も老人が烈火のごとく怒っている。怒りは収まるどころか、炎は勢いを増しているようだ。番組のゲストは、もうよいお歳なのだから、それぐらいで許してあげたらいいのに‥‥などと言っているが、もともと老人の肩をもっていたぼくは、そのコメントを聞いてますます、それいけ、やれいけ、と無責任に老人を応援する。

だいたい、これほど怒り続けられる、というのがすばらしい。そもそも怒るというのはエネルギーのいる作業なのだけど、“怒り続ける”というのは莫大な燃料のいる仕事なのだ。エネルギッシュでよいではないか。

それに、ゲストのような考えの人は多いのだろうけど、どうして、よい歳なら怒ってはいけないのか、わからない。燃料が尽きた後の反動が困るから‥‥という配慮からならわかるけど、どうもゲストの言い方は、いつまでも怒り続けるのはすでに一家をなしたこの国の老人としては大人げない、とでも言いたげな風だった。ゲストもぼくも本当の事情は知らないわけだけど、老人も好き好んで怒っているわけでもないだろう。あれほど怒らざるをえないのだから、きっと自分が自分であるために必要な部分を傷つけられた、と思っているに違いない。

そんなとてつもない怒りを、どうして大人しく我慢したり、冷やして固めたり、取り除いたり、さっさと水に流してきれいさっぱり忘れ去ったりしなければならないのだ。わかったような顔をした他人にそんな風にせよ、と説得される筋合いもない。自己の存亡を賭けた闘いの真っ最中に、他人がみっともないと思うかどうかを気にする余裕などない。怒り続けることもときに大切だとぼくは思っている。自分自身を傷つけない限りで。

難易度:中の上

by enzian | 2007-03-05 19:26 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(45)