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食べればわかる?

どこかの会社の社長(?)が就職希望者を食事に連れていって、ひそかに食事の仕方を見てその人の資質を判断しているという話を聞いて、頭のいい人だなぁと感心したことがある。食事というのは、人の生(なま)の欲望がはっきり剥き出しになる場面だから、剥き出しになる欲望を統制して相手に気づかせないようにする方法がテーブルマナーにもなっている。

ぼく自身は、こまごましたテーブルマナーにはあまり興味がない。もちろん、相手を不快にしないようそれなりの配慮はするけれども、自分の欲望の発露とそれにたいする相手の監視の視線を気にするあまり人と食事できない人が多いことを見るにつけて、むしろ、もう少し肩の力を抜いて美味しいものなんだから楽しく食べようよ、などという思いの方が強くなってしまう。

ただ、これだけは見るに堪えないと思うことがある。食べ残しだ。食べ残すというのは、満腹になってどうしても残してしまった、ということではなく、器に盛られたものをきれいにさらえる(方言かな?)習慣のない人が、来る皿来る皿に食べ物を残したまま店員に下げさせて、最後の御飯ものにいたっては大量の御飯粒を器に残したまま、あぁ満腹なり、といった顔をしているような光景のことだ。ぼくはこういうだらしない人を見ると、きれいにさらえない動物と会食しているような気分になってしまうのだけど、そういう思い込みは動物に失礼なのだろう。

by enzian | 2007-06-30 12:39 | ※好きな人・嫌いな人 | Trackback | Comments(43)

道程

ライプニッツの講読が最初の出会いでした。授業に出られなくても翻訳をしていないわけではない――それを告げるために、あなたは私を訪れたのでした。それからの簡単ではなかった道程(みちのり)をいま感慨深く思い出します。しかし思えば、物心ついたときからあなたはそのような道をとぼとぼと、ひとりぼっちで歩いてきたのでした。誰に知られることもなく。

これからのあなたの道程を思います。暗黒の天空にちりばめられた、小さくあっても強くきらめく星の光が、あなたの行く道を照らしますように。

by enzian | 2007-06-30 07:34 | ※彼方への私信

怒るのはイヤなのだ。

このごろ、けっこう授業で怒っているような気がする。叱っているつもりなのだけど、やっぱり怒っている。「ずっと寝ているんだったら、外のもっと寝やすいところで寝た方がいいんじゃない?今日は出欠をとらないんだから、どうぞ(心置きなく出て行ってください)」なんて、ずいぶんイヤミなことを言っている。怒っているのだから、きっと顔は般若のようになっているのだろう。

誰しもそうだろうけど、怒るのは好きじゃない。キライだ。キライなのは相手を傷つけるからだ、と立派なことを言いたいけど、ホントのことを言えば、怒るのは相手以上に自分を傷つけるからイヤなのだ。怒られた傷は相手に残るのだろうけど、それはぼくにはわらからない。ぼくにわかるのは、怒ったという傷がこちらの心にいつまでも居座り続けて方々で小競り合いを起こしているという事実だけだ。それがイヤなのだ。怒らないですむ授業があると、ほっとする。

by enzian | 2007-06-24 08:45 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(22)

homo viator

院生だったころ、いくつも大学院を渡り歩いてきたという人がいて、入学して間もないというのに、この大学院が他の大学院よりもいかに劣っているかを悪口雑言の限りを尽くして周囲に説明していたことがあった。あぁこの人はこうやってまたこの大学院をすぐやめて、違う大学院に入り、同じことを言うのだろうな、そしてそういうことを生涯くりかえしてゆく人なのだろうなぁなどと思っていたら、3ヶ月も経たないうちに、その人は去っていった。

“homo viator” (旅する人、旅人としての人)という印象深い言葉がある。古いキリスト教の言葉で、人の在り方を、信仰をもたない者から信仰をもつ者への生涯をかけての移行のプロセスとして表現している。信仰心をもたないぼくにはこの言葉は縁のないはずなのだが、なぜか頭のどこかに引っかかって忘れられないのは、もともと旅(旅行ではない)が好きだということもあるが、ぼくの「自分」というものの捉え方にかかわっている。

ぼくは、個人的な人格(自分と言っていいかな)が一瞬一瞬の自覚によって非日常的な体験として与えられるという考え方はとらない。そのような人格は、むしろ、それなりにエネルギーを傾けた日常生活のうちに、やがて向かおうとする彼方からちらりちらりと見えてくる独自の使命(理想像としての自分、と言っていいのか?スティーブ)への生涯をかけた接近のプロセスのうちに “形成されつつあるもの” だと思っている。そしてこのようなプロセスは冒頭のようなものとは違う、と頑なに信じている。どう違うのか知らんけど。

by enzian | 2007-06-09 12:26 | ※その他 | Trackback | Comments(26)

小さなもの

研究室でアリを飼っている。アリ飼育用のセットを学生が買ってきたのだ。容器に入れられて巣作りの様子をじろじろ見られるアリには迷惑な話だが、これがけっこう愛らしいもので、朝な夕なに、ひまさえあればちらちらと様子をうかがいながらキーボードを打っている。

アリは捕ってきた。ムダかな‥‥と思いつつ、アリを捕りに行こうか?と声をかければ、意外にも乗り気でついてきた。一度は構内で、二度目は賀茂川の河川敷で草むらに分け行って学生たちと捕ってきたのだ。いい歳のおやじと学生たちがピンク色の容器片手にぎゃーぎゃー言いつつアリを追いかけ回すのは、さぞや不可思議な光景だったにちがいない。

思えばぼくは、畦道を歩きながら一緒にささやかな草花を見つめたり、里山に分け入って一緒に小さな虫たちを捕ったりできる人を長い間、探してきたのかもしれない。気づかないままに。

by enzian | 2007-06-03 13:26 | ※キャンパスで | Trackback(1) | Comments(23)