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たゆたゆと揺らぐ

b0037269_23561896.jpg何年か前までは、夏といえば必ず1回はキャンプに行って、バーベキューをしたものだ。バーベキューが終わって、もう焼くものもないのに、薪をくべていつまでも炎を見ているのが好きだった。1年ぶりに会って思い出話に花が咲いたメンバーも、いつしか話題も尽きて、やがてみな黙りこくったまま炎を見つめ続けるのだった。Aはいつも黙って薪をくべていた。炎に照らし出された奴の横顔をいまでもよく覚えている――居酒屋のテーブルに置かれた蝋燭の炎を見ていたら、そんなことを思い出した。「蝋燭があったら、せんせ、しゃべらへんようになるから、蝋燭、向こうに置こう」。すまぬ。

幼いころ、実家には “おくどはん” (京言葉で竈・かまどのこと)があり、炊飯器もあったのだが、そちらで作った方が美味しいということで毎日祖母がご飯を炊いていた。火をつけるのは祖母の役割だったが、ときには火のお守りをさせられた。薪をくべる。水分を含んだ薪はしばらく炎に抵抗するが、やがて観念したように切り口から水分をしたたらせて、とつぜんぼっという音を出して燃え上がるのだった。おくどはんの小さな焚き口から見える炎を見ているのが好きだった――「そうや、せんせ、しゃべらへんから、席かわったら、ええねん」。すまぬ。

たゆたゆと揺らぎ続ける蝋燭の炎はいくら見ていても飽きることがない。決して揺らがない確固としたものを求め求めて疲れたとき、人は炎に癒されるというのだろうか。Aはもういない。

その他、まとまらないことをつらつらと‥‥

by enzian | 2007-07-28 17:53 | ※その他 | Trackback | Comments(51)

たまにはべたべたな観光地にも行くのだ、の巻

今年のわたくしは違うのである。絶対に行かぬベロベロバーと拒絶していたTDLとUSJ(ちなみに、学生に教えてもらうまではUFJと言い張っていた)であったのに、ついにUSJへ行って無我夢中で遊んでしまうほどの意気込みなのである。そういうわけで、USJに引き続いて、学生たちと、べたべたの観光地、嵯峨野~嵐山を歩いてきたのである。助けてママ、助けて、ぐふっ、などと言っていても、けっこう遊んでいるのである。いいかげんに論文、書けよな。

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by enzian | 2007-07-22 23:25 | ※リュック背負って | Trackback | Comments(22)

ほとんどすべて思い込み。

石垣島の某名物おばぁが長生きの秘訣を聞かれて、若いころに、売られそうになっていた海亀を助けたことがあるからだ、と自信たっぷりに答えていた。それを見たぼくは「浦島太郎かっ!」というようなつっこみは入れず、むしろ、なるほどなぁと深くうなずいていたのであった。このおばぁにとっては、あの日あの時の善行がしっかり現在に至るサクセスストーリーの起点となっているわけだけど、えてして人の一生とは、こういうタイプの、ほとんど根拠のない無数の思い込み物語によって編み上げられた織物のようなものなのだろう。

そしてこのことは、言い方を変えれば、どんなささいな善行であっても、そこから、想像力たくましい人間は絢爛豪華な成功物語を織り上げることができる、ということでもある。ひょっとすると、人が善いことをすることの効用は、こういう、手前味噌的な物語の起点となりうるところにあるのかもしれない。「情けは人の為ならず」も、そういう意味なのか。

困ったこともある。ささいな善行が絢爛豪華な成功物語の起点になるなら、ささいな悪行もまたなんの根拠もない自虐的、阿鼻叫喚失敗物語の起点になるだろうからだ。そういうことだから、善いことはたとえ誰に知ってもらえなくてもした方がいいし、悪いことはたとえ誰にばれなくてもしてはいけない、ということなるのか?おばぁ。

by enzian | 2007-07-16 22:47 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(21)

最上の責め言葉

生まれて初めて、締め切り切れの原稿を督促する電話を受ける。「別に先生を責めているわけではないのですが‥‥」。いやむしろ、もっと責めて欲しいのだ。こちらが100パーセント悪いことはわかっているのだから。「‥‥言いにくいのですが、先生の原稿がないと出版ができませんので‥‥」。紳士的な言葉を使わないで欲しいのだ。一方的に約束を破ったのはこちらなのだから。

「たとえあなたがどのような方であろうと、私はあなたのすべてを受け入れます」という愛情に満ち満ちた言葉ほど、ときに残酷に響く責め言葉はないのかもしれない。神さまでさえ、ときには怒らなければならないのも、そういう事情によるのだろう。

by enzian | 2007-07-15 18:21 | ※キャンパスで

純白

b0037269_10195553.jpg朝まだき公園に白い花が咲いている。辺り一面に甘い香りを漂わせながら。黄味がかった白でも、透明がかった白でもない。わずかに青みがかった白。その青みがかった優雅な白さに、かつての歌謡曲は不幸の旋律をのせた。

小さな花びらを覗き込めば、甘い香りに誘われた無数の虫たちがうごめく。花は微小な虫たちの宇宙なのだ。優雅な花も、昼過ぎには虫食いだらけの姿になってしまうが、花にとってはそれが望みなのだろう。優雅でいて、なお優雅という言葉では表現できないものをそなえた純白の花。

ふと壁を見ると、このようなものが歩いていたのです。

by enzian | 2007-07-15 11:00 | ※自然のなかで

ジャポニカ学習帳

小学生のころ、大きな台風がやってくると聞くと、どきどきしたものだ。いっせいに雨戸を閉じたり、屋根瓦を点検したりする人たちを見て、なにやら頼もしいような感じがした。台風という非日常に胸をときめかしていたのかなぁと思っていたが、日頃はいがみ合ってどちらに向かっているかわからないバラバラの人たちがとつじょとして一つの方向に向けて力を合わせるということに、わずかな可能性を見ようとしていたのかもしれない。

あるブロガーさんが、街角を救急車が通り抜ける際に他の車たちが通行に協力する姿を見るのが好きだと書いていて、ぼくはそのセンスに共感したのだけど、そこには、台風の際のどきどき感と似たようなものが含まれている気もする。そういうタイプの美しさはたぶん崇高な種類の美に近いものなのだろうけど、ときには危険な美しさでもあることに注意しなければならない、とジャポニカ学習帳には書いておこう。7月14日、雨。

by enzian | 2007-07-14 10:06 | ※その他