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見送るということ

b0037269_15391820.jpgホームには雨上がりの冷たい風が吹いていた。ぼくらを乗せた電車が発車するまでの何分間か、その人はドアの外で待っていた。やがてドアが閉まる。その人は手を振る。電車が動き出し、正面の窓から見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていた。

思うに、見送るとは、相手の背中がすっかり見えなくなるまで目をそらさず、その行く先に幸あれかしと願うことなのではないか。ときどき、そのようなことを考えさせてくれる人に逢うことがあるが、これはきっと幸せなことなのだ。

席に腰を下ろし、一息つく。動き出した列車の連結部分のドアはすべて開いている。もうぼくらの車両はホームから離れているが、まさか‥‥いや、もしやと思って、連結部分を越して、一つ後方の車両の窓越しにちらりとホームを見た。!! すでに小さくなってしまったその人は、相変わらずこちらに向かって手を振っていた。

最寄りの駅に着き、今度はぼくが見送る段になった。ドアが閉まり、4回だけ手を振る。もう少し振ろうかと思ったが、照れくさくなって、そそくさと改札へ急いだ。

by enzian | 2007-11-24 15:28 | ※街を歩く | Trackback | Comments(40)

縁側

実家には日のよく当たる縁側があって、祖母がそこで針仕事をしていた。たいてい猫がいて、仰向けになってだらしなく伸びていた。祖母は、糸の先を少し舐めて、針穴に通す。細い針穴に通せないときはぼくに頼む。それをぼくは待っていた。

祖母は右手と左手を小刻みに交互に動かしながら、端切れの布と布とを器用に縫い合わせてゆく。差し込む光に、ささくれた布の繊維一本一本が照らし出されていた。暖かかった。祖母が片眼しか見えていないと聞いたのは、ずっとずっと後のことだった。

じっと見つめるぼくを気にするそぶりもなく、祖母は次々と、家族の布団やら服やらを作り上げていった。ぼくは祖母の針仕事を見るのが好きだった。そこでぼくは多くを学んだのだ、といつか言ってみたい。

by enzian | 2007-11-18 09:55 | ※山河追想 | Trackback | Comments(22)

御縁

b0037269_23451818.jpg毎年たくさんの人と出会って、たくさんの人に別れを告げる。出会っては別れゆく多くの人たちのなかで、最も印象に残っているのは誰だろうかと考えたくなった。

はじめて担当したゼミの学生たちだろうか‥‥飛び抜けて優秀だったあの学生だろうか‥‥それとも、破天荒な行動でぼくを疲労困憊させたあの学生だろうか。たしかに、そうした学生たちは強い印象を残したけれども、最も強い印象を残した学生は、たぶん彼らではない。

ある年の春、まだ桜の残るころ、見覚えのない学生が個研をたずねてきたことがある。確かめてみれば、前年の推薦入試で面接をした学生なのだった。そのころまだぼくは若かったから、面接の際にも心にずかずか踏み込むような質問を繰り返したらしく、それが印象的で訪ねてきたのだという。「先生はものをはっきりおっしゃるでしょ?だから来たのです」。寺院出身の、他の学科の1年生だった。学生は尋常ならぬ熱意でしきりになにかを伝えようとするが、まったく要を得ない。要を得ないが、しばらく耳を傾けていたら、「すべては御縁(ごえん)によって成り立っている」と言いたいらしいことが、わかりはじめた。

「御縁」という言葉の使い方が独特だったので、「あなたは御縁ということでなにを意味しているのですか?」と問えば、とたんに黙りこくった。じっと答えを待っていたら、運悪くノックの音がして他の学生が入ってきた。答えを言わないまま出て行こうとする学生に、ぼくは言った。「また来てください」。日を置かず来るはずだ、来ないですむはずがない、とぼくは確信した。しかしそれ以降、その学生と会うことはなかった。

by enzian | 2007-11-09 23:48 | ※キャンパスで | Trackback(1) | Comments(39)

書くということ

b0037269_11432448.jpg書きたいと思うことはあるが、忙しさにかまけているうちに、強い思いもいつのまにか色あせてしまう。記事にしたいと思うことはあるが、はたしていまこんなことを書いてよいのだろうかと迷っているうちに、いつのまにか、なにごともなかったかのようにすっかり忘れてしまう。そういうとき、つくづく自分は忘れる生きものなのだなと思うし、それでよかった、と胸をなで下ろす。

書くとはどういうことなのだろうか。自分以外の人に自分の思いを伝えるというのはまずあるだろうけど、自分自身にとってはどういう意味があるのだろうか。ぼくは中程度のナルシストだから、自分が書いた文章(論文を除く)を読み返すのが好きだ。書いた文字はぼくが消そうとしないかぎり、書いたときそのままのかたちで残り続け、ぼくが訪れるのを待っている。

本は自分が読むのをじっと待っていてくれる、と書いたブロガーさんに共感したことがある。待っているのは書かれた文字であり、文章に包み込まれた自分の感情なのだと思う。書くことによってぼくは自分の思いを明らかにし、書かれた文字は、ぼくがその思いと折り合いをつけるまでの時間を与えてくれる。そうやって、ぼくは自分の感情を制御しようとする。

by enzian | 2007-11-03 11:48 | ※その他 | Trackback | Comments(32)