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熾火(おきび)

物事のはじまりは、ときに華やかだ。たくさんの人たちが寄り集まってくる。みんなが夢中になって、口々に蝶よ花よとほめそやす。花火が打ち上げられて、いろんな話題が飛び交う。夜店が立ち並ぶことだってある。でも、いつか花火大会は終わって、誰もいなくなってしまう。夏も終わる。

わっと群がって、押しかけて、潮が引くようにいなくなる人たち。でも、そんな人たちを尻目に、かまどに残った炭の熾火のようにいつまでも冷めないでいる人がいる。激しく燃え上がって天を焦がすことこそなく、派手にはじけ飛び広がることもないが、たしかな熱を保ち、人を暖め続ける人たちだ。継続的ボランティア。こういう人にはかなわない、と思う。

阪神大震災から13年。

by enzian | 2008-01-17 05:46 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

なにもしない、ということ

b0037269_23361686.jpg12月に風邪をひいて、2日ほど寝込んだことがあった。こじらせないよう安静につとめたのだけど、そのとき改めて思ったのは、テレビを見ず、本を読まず、人とも話さず、なにもしないでいるのは意外につらい、ということだった。

ぼくらはいつもたくさんのことをしているのだろうけど、きっとそのほとんどは習い性(生まれながらの性質のようになった習慣)になっていて、ふだんは意識していない。でも、いざ、そういう習い性にストップをかけるとなるとけっこうエネルギーがいる作業で、これは例えば、緩い坂道をゆっくり落ちてくる鉄球を止めることを考えてみればよい。「なにもしないでいる」ということは、「なにもしていない」のではなく、「なにもしないでいるようにしている」ということなのだ。

なにもする気がしないとか、なにも考える気がしない、という状態を、いまさらながらだけど、しっかり考えてみないといけないな、と思った。ただ、それだけなんだけどね。

by enzian | 2008-01-14 22:57 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

冬も好き。

b0037269_23332247.jpg季節はいつが好きですか?と聞かれれば、春です、と小さいころは答えることにしていた。そのうち、いつごろからか、秋か春かどちらが好きなのかわからないぐらいになってきた。もちろん、夏は好きだ。夏休みがある夏がきらいなわけなど、ない。

それが、このごろは困ったことに冬も好きになってきてしまった。祖母の晩年は冬が苦手だった。祖母がインフルエンザにかからないか、来る日も来る日も冷や冷やしていた。4月の声を聞いてインフルエンザが終息するころになると、いつも、ほっと胸をなでおろした。

祖母がいなくなってからは、冬の心配の種がなくなった。歳をとったせいか、寒い朝に起きるのも苦にならない。老いて、よいこともあるのだな。たまの雪もいい。お餅や鍋物はなおいい。でも、なにをさしおいても、身を切るような冬の夜の星空。これが絶品。

by enzian | 2008-01-12 22:09 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

気品

深い学識をもった人が易しく語ろうとすることからくる重厚な文体を見た。膨大な読書量と長い内省の時間と豊かな経験が織りなしたものが、それを覆い隠そうとする強い意志を屈服させて滲み出してきている。総じて、気品とはそのようなものではあるまいか。

by enzian | 2008-01-04 23:55 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

小さな出来事

授業の合間にぼくは窓の外を見下ろしていた。窓からは大学の中庭がよく見える。中庭には大きなクスノキが一本立っていて、それを避けるように、人が二手に分かれて学舎から学舎へと移動してゆく。クスノキの根元に小さなノートの切れ端のようなゴミが落ちていた。見慣れた職員さんが歩いてくる。ぼくは見ていた。いや、拾いはしないだろう‥‥

彼はゴミを拾い、くずかごに入れて、何事もなかったようにすたすた去っていった。ぼくなら、拾わない。あの程度のゴミなら。落ちていたのが学生証やミカン箱や千円札なら拾っただろうが、あのゴミなら拾わない。気づかないうちに、ぼくは拾うべきものと拾わないですませられるものを区別しているのだ。われながら自分をあさましいと思った。

今年は、ノートの切れ端を拾えるような人になろう。

by enzian | 2008-01-02 16:37 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)