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トキメキ度85

b0037269_21552993.jpg論文を放り出して(ちがうんだよ、朝から6枚書いたんだよ~)、つくしを採りにゆく。ええ歳のおっさんがつくし採り?ぷぷっなんて笑われようが、そんなことはどうでもよい。ほどなく、つくしの園に到着。ドキンと心臓が脈打って、一瞬にしてトキメキ度85。

つくしのトキメキ度は高い。初期のオオイヌノフグリは60、ホトケノザ55、ワラビ70。あのレンゲでさえトキメキ度は80なのだから。なになに?もっと高いのはないのかって?春のものじゃないけど、アミタケというキノコがある。これの群生だったらトキメキ度はどうどうの95。春リンドウがトキメキメーターを振り切って計測不能であることなど、なにを今さらあんた、言うまでもない。

採りはじめる前から調理法が頭に浮かぶ。卵とじがよいだろう。ちょっと甘めの味付けで。野山の草花を見て、それが美しいか美しくないかではなく、まず食べられるかどうか、次にどうすれば美味しく食べられるのかというカテゴリーで瞬時に判断するのが生粋の(山系の)田舎者なのだ。我、田舎者たることをこよなく愛す。

つくしを採りながら、おばあちゃんがつくしを「つくぼん」と言っていたことを思い出した。今から思えば、それは「つくし坊」の意味だったのだろう。春の土手から顔を出すくりくり頭の少年。頭の部分がぱっくり割れたのは笑っているように見える。ネギの花は「ねぎぼん」だった。その昔、土手や畑にはいたるところに少年がいた。

by enzian | 2008-03-29 22:03 | ※自然のなかで | Trackback | Comments(0)

人間を‥‥

助手のようなことをやっていたころの後輩たちと飲んだ。その何人かは全国に散らばってしまっているのだけど、たまに遠方からやってくるのがいて、それを機会にして、うまく時間が合えば飲んだりする。助手のころと言えば、まったく未来の保証はなかったけど、ぼくが研究やら、後輩たちと遊ぶこと(教育とも言う)やらに一生懸命だったころだ(今もそうですよ)。

ブログを読んでくれている後輩が言う。「リスの写真もいいけど、人間を撮ってくださいよ~」。たぶん後輩は、ぼくの写真に芸術性を求めているのではなく(それはまったく無理な話だ)、ぼくがどんなふうに人間を切り取るか、どんなふうに人間を描写するのか、に興味をもっているのだろう。そう思うと、なぜか、ますますビールがうまくなってきた。

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by enzian | 2008-03-26 23:53 | ※その他 | Trackback | Comments(51)

自分でよかった。

b0037269_22542562.jpgとても重い病気になった人が、「病気になったのが自分でよかった」と発言していた。その言葉には動かされたのだけど、自分が同じことを言えるのか?と問われれば、わからない。風邪ぐらいなら、家族でなくて自分でよかったと思えるだろうが、非常に重く辛い病気であれば、相手が家族でも、自分でよかったと言える100パーセントの自信はない。

冒頭の人なら、「辛い病気だからこそ、家族でなくて自分でよかったのだ」と言うのだろうが、たぶん、ぼくは「自分でよかった」より、「なぜ自分が?」ということにこだわって生きている。

相手が誰であろうと「自分でよかった」と言えるような人、「なぜ自分が?」から「自分でよかった」への完全な転換ができている人とは、どんな人なのだろう。宗教であれば、そのような人は人であってすでに人でない、ということになるのだろうか。完全とか100パーセントとかにこだわる必要なんて、ないんだけど。

by enzian | 2008-03-25 22:45 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)

春の夕

b0037269_19481336.jpg人心地ついて周りを見回してみたら、もう学生たちは卒業していた。構内はひっそりとしている。

8年生、7年生、6年生‥‥。卒業させるべきかどうか、いっそ、卒業させない方が学生にとってはいいのかもしれない、と悩んだ。学生の幸せではなく、学生を卒業させた自分の満足感を望んでいるのではないか、と思ったこともあった。

けっきょく、卒業させるためのあらゆる手段をとった。結果、16人全員卒業。一言の挨拶もなく去っていった者もいるが、それはそれで謙虚に受け止めねばならない。挨拶さえしない、というのが、ぼくがこれまでやってきたことに対する彼らの “総評価” なのだから。

人が自分から離れゆくために全力を尽くす仕事を味わい深いと思う春の夕。

by enzian | 2008-03-22 18:15 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)

自己同一性

幼いころには暇さえあれば怪しげな宗教(というかオカルト)の本を読んでいたのだけど、そこには、必ずと言ってよいほど、自分たちの立場が少なくとも哲学のようなものではない、ということが縷々(るる)書かれていた。哲学のような、世間知らずの浅薄な屁理屈ではなく、自分たちが言うのは、もっともっと深いことなのだ、というわけである。

まことにおもしろくない文章なので、隠します。

by enzian | 2008-03-08 23:15 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

畏るべき人

久しぶりに恩師から電話がある。声の張りがなくなっていて、さすがに歳をとられたかとひやりとするが、話し続ければ、相変わらずの頭のキレにほっとする。大学のことを心配しておられる。大学を心配していらっしゃるあいだは、まぁ大丈夫だろう。話し終えて受話器を置くとき、いつもは姿勢の悪い背がすっきり伸びていることに気づく。ある人が言った言葉を思い出した。「畏れる人がいるのは、いいことです」。思えばぼくは、そう言ってくれた人の考え方をほとんどすべて否定したのだけど、その言葉だけは、深くうなずいたのだった。

by enzian | 2008-03-07 23:53 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

歯切れの悪さ

マルチ商法のセミナーを観る。嬉々としてホワイトボードに書き殴っている。文字に丸をつけ、勢いよく矢印を引っ張ってくる。「われわれが扱っているのは人間の真理なのです」。セミナーの参加者たちは大きくうなずく。こういう明瞭な物言いに酔わされる人は多いのだろう。この明瞭さは言葉を単純に言い切る「強さ」であって、言葉の意味の明瞭さではない。言葉の意味よりも、その強弱を求める者は少なくない。

ただ、というか、だからというか、酔わされる人は自分がなにもわかっていないことに気づいていない。一方、詐欺師たちは自分がなにも知らないことを十分に承知している。それが詐欺師の詐欺師たるゆえんなのである。しかし実は詐欺師たちよりもっと事を深刻にするのは、自分がなにも知らないことを承知しようとしないまま、承知しようとしない怠惰の責任を他人に押しつけたまま、平気でこのような発言をする者たちなのだ。

いかにも情けないような、歯切れの悪い人でいたい。

by enzian | 2008-03-06 12:21 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)