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甘受する

そういうことはまずしないのですが、年始にあたって、今年はいくつかの課題を箇条書きにしてみました。いまもそれがパソコンのデスクトップに貼ってあって、ちろちろと見ています。

その一行にはこう書いてあります。「ときには、めいっぱい甘えなければならない」。いつまでたっても頭のなかは18歳のままなのですが、いつのまにか、ぼくもけっこう年老いました。それ相応の歳の人として、人様のありがたい提案を甘受して、これはこれは、なんとお礼を言えばよいのやら、頭、ポリポリ‥‥といったことも必要だと思うのです。「甘受する」というのは、あまりよい意味では使われないのですが、ぼくはよい意味で使いたいのです。

ぼくは、どちらかと言えば、人にお願いするぐらいなら自分でやってしまうタイプなのです。きっと心の奥底では人を信用していないのでしょうね。いま甘える訓練をしないなら、いずれ、甘えざるをえないのに上手に甘えることができない “甘えられない老人” となってしまうのです。そんなのはヤなこった。だから、今年は信用して、どっぷり甘えるのです。

by enzian | 2008-05-28 22:30 | ※その他 | Trackback | Comments(8)

地下

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今後、一切、日の光に当たることを許さない、という宣告に耐えることができるだろうか。

by enzian | 2008-05-25 22:48 | ※写真 | Trackback | Comments(0)

バランス

チューリップを痛く賞賛する人たちに解せぬ思いを抱いてきた。あの花は葉っぱや茎(?)に比較して、あまりにも花が目立ちすぎるからだ。「わたくしこそ花です」といった自己主張の強い花は、敬して遠ざけることにしている。

NHKのとある番組を観ていたら、チューリップの自生地が映し出されていた。映像を見て、なにかがちがう、と思った。プランターにひしめくように、庭の一角を真っ赤に埋め尽くすように咲いている日本のチューリップとはちがうのだ。自生地では、ほかの花やたくさんの緑にまじって、いいぐあいに野生のチューリップが点在している。そうした草原のさまは美しいと思った。

自生地から抜いて来て、チューリップからすれば心外なほどの密度で狭い囲いのなかに並べて無理な自己主張を強いているのは人間なのだ。チューリップよ、ぼくが悪かった。

by enzian | 2008-05-22 23:31 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)

美味

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小学生の頃、学校帰りのぼくは、ここと公民館とで喉を潤した。

by enzian | 2008-05-18 23:19 | ※写真 | Trackback | Comments(29)

完全なるお団子遊び

b0037269_23265870.jpgお団子遊び、おもしろかったね、という話になった。粘土やら土やらをつかってできるだけ丸いお団子を作る遊びだが、丸くなるだけで楽しかったものだ。「表面がつるつるの方がよかったですね」。なるほどそうだった。子どもはどこでも同じようなことをしているのだなと思う。

お団子が食べられるものであることを考えないなら、球体を作ることにはどういう意味があるのだろうか。球体には、ほかの立体にない特徴がある。欠けた部分も突出した部分もないということだ。凸凹がない、と言ってもよい。凸凹がないという意味ではそれは均質(均等)であって、凹がないという意味では完全無欠なのだ。

ぼくらはどうも、欠けのない、きれいなレーダーチャート(クモの巣グラフ)のような能力をもった人に憧れるきらいがあるけど、多方面で均質の能力をもった人なんて、そうそういないだろう。どこかが鋭く突出して、その結果、どこかが欠けている、あるいは、どこかがいちじるしく欠けていて、その結果、どこかが突出することになっているのだ。だとしたら、完全なお団子を作りたくなるのもわかるというものだ。いい加減な理由だが、そう思うことにした。

by enzian | 2008-05-17 22:33 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)

精巧なリズム

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一定のリズムで働く機械を、不覚にも美しいと思ってしまった。

by enzian | 2008-05-17 22:01 | ※写真 | Trackback | Comments(0)

敢然さ

日本の災害救助隊が被災地に到着したという。阪神大震災以降、安全は証明できないと思う自分、なにごとも他人ごととは思えない自分がいる。

流れてくる映像の多くは見事な救出劇だが、瓦礫(がれき)の下で亡くなる被災者はその何百倍、何千倍なのだろう。だとしたら、レスキュー隊員は、1人の救出までにおびただしい数の手遅れと手の施しようのなさを、つまり自らの能力の無効さをくり返し体験しなければならない。レスキュー活動がぼくの胸を打つのは、救出のドラマティックさや、そうした救出に至るまでに積み重ねられてきたであろう努力の痕跡であることは言うまでもないとして、こうした無数の無効さにも屈しようとしない敢然(かんぜん)さなのである。常日頃、小学校や中学校で、いや家庭でなぜもっと早く気づいて手を打ってきてくれなかったのだ、もう遅すぎるではないか、と愚痴をこぼしているどこぞのおやじとはえらい違いなのである。

たとえその多くが無効だとしても、災害救助は、そんな感傷に浸っていられるほど悠長(ゆうちょう)な任務ではないということもあるのだろう。そういう意味で、長期にわたる活動であれば、側面からの支援を行う心理家の同行が必要なのかもしれない。

by enzian | 2008-05-16 23:33 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)

虫嫌いな方、ごめんなさい。

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美しさを説明するのはむずかしい。

by enzian | 2008-05-16 22:35 | ※写真 | Trackback | Comments(4)

キノコグッズ以外でもお気軽に。

とあるフリーマーケットに行った。ものすごい盛況で、なかには旅行会社のバッチをつけた人たちまでいる。大人気で、京都観光のコースにまでなっているのだ。パンやら和菓子やらが飛ぶように売れている。そんなに美味しそうにも思えんけどな。

手作り品が多いということで、見たこともないような品物が並んでいて、おもしろい。もちろん、手作り品を売ろうとする個性豊かな人たちを見るのは、品物を見るのより興味深い。若い女性の売り手が多いが、ひとりで歌を歌っていた女性なんか、見るからに個性的な人だった。

マーケットのそこここで、ぼくはドキッとすることになった。あちこちで、これまでぼくがいろんな人からいただいたものを見ることになったからだ。そうか、ここで買ってきてくれたのか‥‥。まさかここで、と思うような、数年前にもらったものを見つけたときなどは、ドキッを通り越して、どこぞがキュンとしたものだ。いかんと思いつつ値札を見てしまった、こんな高いものを‥‥。

ドキッとしてキュンとして、ありがとうとつぶやきながらしみじみしているおっさんとは対照的に、手作り品を買いあさるおばちゃんたちは元気一杯で値引き交渉などをしている。なかには、知り合いへのプレゼントを買っている人もいるのだろう。そうなのだ。贈り物を喜んで受け取ってくれる人がいるのはとても嬉しいことで、幸せなことなのだ。

贈る喜びは贈る相手なしには成り立たない。その意味で、ぼくはこれまで少なからぬ数の贈り手たちを幸せにしたはずなのだ、ふっ。そう納得して会場を後にするぼくの心は爽快そのものであった、と日記には書いておこう。

by enzian | 2008-05-16 00:28 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

ヤカン

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並んでいるヤカンを見たら、小学校を思い出した。

by enzian | 2008-05-14 23:47 | ※写真 | Trackback | Comments(0)