<   2008年 11月 ( 8 )   > この月の画像一覧

パレット

b0037269_18591525.jpg

by enzian | 2008-11-22 19:01 | ※写真 | Trackback | Comments(9)

右往左往

そこここの大学で麻薬所持で逮捕される学生が出てきている。いつの時代でもそうなのかもしれないが、ちょっと規則から外れた(と思える)ぐらいのもの、ちょっと危なっかしい(と思える)ぐらいのものの方が “カッコイイ” と考えることのできる性質の人はいるのだろう。ましてや、それが海外の一部では認められている“プチ舶来レアもの系” であるなら、ヨダレを垂らして欲しがる人がいるのも不思議ではない。ほとんど外国タバコの一種、ぐらいに考えている人もいるのだろう。

こういうことを言うと、ずいぶんセンセイはお気楽なことですねぇなどとイヤミのひとつも言われそうなものだが、毎年何百人もの若者を相手にしているのに、この問題にお気楽でいられるわけなどない。前にも書いたことがあるが、ぼくは今後(というか、すでにそうなのかもしれないが)の世代のもっとも切実な問題は薬物のそれだと確信している。どうしてそう確信するに至ったか、は答えたくない。

どうすれば説得できるのか?を考えるが、むずかしい。ぼくらが生きているのは、判断力のある大人であれば他人に迷惑をかけない限り、あるていどバカげたことでもやってよい社会なのだ。そういう意味で、大麻を服用して体調を壊すのが本人だけであれば、もう誰も止めようがない。自分の体を自分がどうしようと自分の勝手なのだ。売春が禁止されているにもかかわらず至るところで行われているのは、そのような事情による。(ちなみに、未成年者は判断力のない人とみなされるので、成人の売春を認める国はあっても、未成年者の売春を認める国はない。)

自分の体に対する上のような自己中心的な考え方ではなく、あなたの体には、あなたに先立つ、あなたの健康や幸せを願ってきた、そして現在願い、今後願うであろう過去から未来にわたる多くの人たちの思い(それを「いのち」と呼ぶ人もいるだろう)が息づいている。あなたの体はあなただけのものではない。だから、大切にせねばならない――おそらく、これが説得の際に使うべき言葉になるだろうが、それは教壇からの講義で記憶させられるようなことではない。それに、自信をもってこの台詞を言える者がどれほどいるというのだろうか。こうして学内での右往左往がはじまる。

by enzian | 2008-11-22 18:02 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(4)

クツクツ、フツフツ

コーンスープが欲しくなって、自動販売機のボタンを押してしまう。こういうときの状況はいつも同じで、仕事が遅くなってうまく電車やバスを乗り継げなくて、駅やらバス停で所在(しょざい)なく寒さをこらえているときだ。ガチャリと出てきたものを持つと温かい。両手で包み、そっと頬(ほお)に当てる。そういえば学生が言っていた。スープを煮込む音が温かいのは、誰かが自分のために煮込んでくれている音だからだ、と。なるほどなぁ。

by enzian | 2008-11-22 09:01 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(4)

無題

b0037269_23472334.jpg

by enzian | 2008-11-08 23:46 | ※写真 | Trackback | Comments(0)

東京出張がもたらすもの

出張のたびに、特に東京方面の出張のたびに、それほど必要とも思えないような本を買ってきてしまうので困る。活字中毒という言葉があるが、ぼくの場合、ふだんはまったく意識しないが、出張に出たとたんにその症状が出る。特に東京駅周辺でその症状は顕著で、なんらかの文庫を買わないことには帰りの新幹線に乗ることもできない。本屋に行くとトイレに行きたくなる人がいるが、ぼくの場合、東京に行くと本屋に行きたくなるのだ。

こんなことはぼくだけかと思えば、同じ学会やら会合に出ていた人と東京駅構内のキオスクの本売り場で再び出くわして気まずくなったりして、自分だけのことではないのかなぁとも思う。そう言えば、いつも京都駅のキオスクでは出張で来たらしい人たちが本をあさっている気がする。

どうして東京駅周辺でそうした症状が出るのか、いろいろ考えてみた。

1.不慣れな土地で欠けた知を補おうとしている。
ぼくにとっては東京はどうしても馴染めない土地。知らない土地だから、行くたびに、自分の知らないことがたくさんあることをいやがおうにも気づかされることになる。つまり、東京に行くたびに “自分の無知に気づかされる” ことになるのだ。それであわてて、欠けた部分を文庫本からのにわか知識でおぎなって安心しようとしているのだ。

2.不慣れな人と隣り合わせになるのを、自分空間を作ることで補おうとしている。
帰りの2時間あまりを、見ず知らずの人と、わずか15センチの間隔で隣り合わせねばならない。自分だけの空間を作って自己防衛でもしなければ、やっていられない。

3.2時間あまりは、一眠りしてもまだあまりある長い時間だから。
ぼくの場合、一眠りはせいぜい1時間といったところなので、一眠りしてもどうしても1時間あまってしまうことになる。残る時間の暇つぶしが必要である。

4.人間性を取り戻そうとしている。
出張の内容は学会か学務用の研修がほとんだが、これらは、重箱の隅をつつくようなテキストの読み方で争ったり、あるいは、おおよそ人間生活とはかけ離れたスキルの修得をめざすような殺伐としたものばかりなのだ。たとしたら、冷え切った心を温めてくれる、暖かな人間性を文庫本のストーリーのなかに求めようとすることも当然ではないか。そういえば、そんな風な本を買っている気がする。

今度、福岡出張があったら、同じ症状が出るか確かめてみよう。

by enzian | 2008-11-08 21:44 | ※その他 | Trackback | Comments(2)

全身クッツキムシ男の怪

早朝の通勤電車。頭の帽子から靴まで、まんべんなく、ぎっしりとクッツキムシ(ヌスビトハギの実)がくっついている男性が乗ってくる。
なぜこのおっさんはクッツキムシを取り除かないまま電車に乗ってきたのであるか?その理由をテツガク的に考察してみた。

(仮説1)
実践的自然愛好家。
要は、ヌスビトハギの分布を増やすために、
自分が種子の運び屋となっているのである。

(仮説2)
ファッション。

(仮説3)
クッツカレスト。
くっつかれていることに生きがいを感じるタイプの人だから。
視線が “くっつく” という意味では、注目されたいから、
というのもここに入るだろう。

(仮説4)
罰ゲーム。
隣の車両からは同僚たちが腹を抱えてその様子を見ている。

(仮説5)
転倒。
草むらで派手にこけたが、遅れてはならぬと、
とりあえずそのままで電車に乗り込んできた。

(仮説6)
大器量。
くっつきむしがくっついていることぐらい、
気にしないのである。

(仮説7)
諦念(ていねん)。
自宅がクッツキムシに囲まれており、
毎朝毎朝、家を出る度に派手にくっかれるので、
すでに諦めてしまった。

(仮説8)
なにか違うもの。
それはクッツキムシのように見えて、
なにか違うものであると言ってよい。
(だから、なんなのだ。)

by enzian | 2008-11-08 21:08 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(4)

外道

b0037269_2244711.jpg
釣り人のなかには、自分が望んだ魚でないなら、“外道” と呼んで、
海に返さずにそのまま防波堤に放置する人がいるのだ。

by enzian | 2008-11-08 20:43 | ※写真 | Trackback | Comments(0)

飼い慣らす

以前ほどは飲みに行かなくなった。飲みに行く時間がない、というのが一番の理由なのだが、学生たちと飲みに行かなくなったのには、もうひとつ理由がある。ある人がある人を評して言った「ああやって手なずけてるんです」という言葉がひっかかっているからだ。最初聞いたときは「そんなことはあるまい」と思っていたが、評された人の行動を見ていると、なるほど、飲みに行くことを政治的にうまく利用している。要は、徒党を組む手段として使っているのだ。まったく、ご苦労なこってす。

もちろん、ぼくは手なずけるという意味でなくて、いつもとは違う環境のなかで親しくなったり、心を通わすという意味で飲みに行ったりしているつもりなのだけど、自分より若い学生を手なずけたり、もっとひどく言うと、飼い慣らすという意図をまったくもっていないか?と問われると、まったくない、とも言えないのだ。とはいえ、こんな本当のことを書いていると、ものすごい堅物だ!と評されそうなので、上に書いたことは全部ウソです、と言っておく。

by enzian | 2008-11-07 13:02 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(6)