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蒸し寿司

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京都には蒸して食べる寿司があります。この蒸篭の木の質感が好きで、そばを通る度にいつも見ています。

by enzian | 2009-01-31 17:09 | ※写真 | Trackback | Comments(11)

余は如何にしてマスク党になりし乎(完)

京都にインフルエンザ警報が発令されたという。めったに風邪をひかないことを長く誇りにしてきたが、この一二年ですっかりその自信も失せた。ぼくは人並み以上に風邪をひく人なのだ。観念して、昨年からは毎日、大人しくマスクを着けるようにしている。マスクを着けるようになって、これにはなかなかどうしてやめられない魔味?のようなものがあることに気づいた。今ではすっかり “マスク党” というわけだ。ひるさんの「虹の環」というおもしろい記事に刺激を受けて、この辺りの事情を書いてみたくなった。(なお、下記の “H” は、すでにひるさんが記事ないしコメントで言及しているものであることを示す。)

長いですが‥‥

by enzian | 2009-01-31 12:24 | ※その他 | Trackback | Comments(16)

あきらめさせる、ということ。

b0037269_2391598.jpg学校と言えばもっぱら学生を勇気づける場で、教員も叱咤激励して学生を勇気づけることに専従するスタッフのように考えている人もいるかもしれない。だが少なくともぼくの場合、いったいどうすれば上手に人をあきらめるように仕向けることができるのか、と頭を抱えることの方が多い。

可能性を信じなければならないことは百も承知だが、その人のためにも周りの人のためにも、現実と資質を見比べてきっぱりあきらめてもらわざるをえない場合があるのだ。英語のできない者が研究者をめざすのは時間の無駄だし、自分にしか関心のない、他人(ひと)の心を汲む気のない者を教職に就かせるような無責任なことはできない。

勇気づけることがむずかしいのはもちろんだ。自分が人を勇気づけたことがあるかどうかは知らないが、そのためには勇気づけようとする者と勇気づけられる者とのあいだに相応の信頼関係が必要なのだろう。だが、考えるのだ。あきらめさせることは、たとえ信頼関係があっても不可能なのではないか、と。とすれば、あえて恨みを買うことがわが仕事ということになる。

by enzian | 2009-01-30 22:45 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(18)

一本

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手入れが行き届いた駐車場。花を咲かせられた “雑草” は一本だけ。

by enzian | 2009-01-24 18:31 | ※写真 | Trackback | Comments(13)

「ただいま!」

家路を急ぐぼくの前には中学生とおぼしき女の子が歩いていて、ぼくよりも一足先に家に着いた。玄関のドアを開けて彼女は叫ぶ。「ただいま!」。中からお母さんらしい声がする。「お帰りなさい」。ぼくはその声の横を通り過ぎる。

思い返せば、小さなころからほとんど「ただいま」を言ったことがない。はにかみながら小さな声で言ったことならあったかもしれない。ぼくは人前で大きな声を出すのが好きではない。恥ずかしくてしかたないのだ。今でも人前で話すのは苦手だ。祖母はにこりと笑いながら、なにも言わないぼくを出迎えてくれた。「お帰り」。

ただいまと言う人がいること、ただいまを聞いてくれる人がいること、帰る家があること。行ってきますと言う人がいること、行ってきますを聞いてくれる人がいること、出かける家があること――幸せなことなのだろうと思う。玄関に着いたら、小さな声でもいいから、「ただいま」を言うようにしよう、と思った。

by enzian | 2009-01-23 23:21 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(22)

ほころび

昨日は今年度最後の授業日だった。半年分の質問を受け付ける。この授業は何年かにわたって講義する哲学史の一環なのだが、今年度の後期の授業内容は、内容的にいちばん簡単であると考えていた。学生にも、前期の授業内容はとてもむずかしかったが、これから勉強する内容は簡単だから安心して欲しい、と後期の授業開始時に伝えた。

だが、愕然とした。質問をしに来たのはいつもまじめに授業を聞いている学生なのだが、後期の授業は前期の授業よりもはるかにむずかしかった、と口々に言う。一連の授業のうちでもっともむずかしいとぼくが思っている前期の内容と、もっとも簡単であると思っている後期の内容であるのに、なぜこんなことになったのだろうか。

ある学生は言った。後期に学ぶ思想はキリスト教の影響を受けているから、(哲学+キリスト教ということで)知識量として倍になると。なるほど、と思った。ぼくは仏教やキリスト教の考え方が好きだし、それなりの基礎的な知識をもっているが、キリスト教の思想を知っている高校生なぞそうそういないはずで、彼らは昨年までは高校生だったのだ。自分が好きであることと他人が好きであることとは、まったくなんの関係もない。

理由はもうひとつある。前期の思想は難解だったから、どうすれば学生に伝えることができるのかと説明方法に工夫を重ねたが、後期はそんな工夫は必要ないと思っていた。ぼくの場合、ほころびは、取り扱う対象の手に負えないむずかしさよりも、これぐらいで大丈夫だろうという自分の見通しの甘さから生じると、てつがく日記には書いておこう。

by enzian | 2009-01-20 21:45 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(8)

蘖(ひこばえ)

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by enzian | 2009-01-16 21:14 | ※写真 | Trackback | Comments(8)

『おさるはおさる』(いとうひろし)

b0037269_21105158.jpgずっと以前にブロガーさんに教えてもらい、授業にも使える良い本だとわかっていたので早く紹介したかったのですが、その良さをうまく説明することができなくて、今になりました。といっても、やっとこさ上手に紹介できそうだというのではなく、書名だけお知らせしますので、ご自身で手にとって判断ください、ということなのです。

主人公は、「おさる」君。仲良しの友だちたちと南の島でのんびり暮らしています。友だちたちとおさる君の外見はそっくりで、毎日の行動も同じ。おさる君自身でさえ、どれが本当の自分なのかわからなくなるほどです。

ところが、そんなおさる君を震撼(しんかん)させる事件が起きます。おさる君の耳をカニがはさんで離さなくなってしまったのです。耳にカニをぶら下げている猿など、おさる君以外にはいません。おさる君は突然ひとりぼっちになってしまったのです。心細くなったおさる君はおじいちゃんに相談します。おさる君はこのピンチを乗り切ることができるのでしょうか?

ぼくがこの本から読み取ったことを少しだけ。

by enzian | 2009-01-13 21:57 | ※好きな絵本(コミック) | Trackback | Comments(7)

道すがら

奈良の山奥でつららを見た。うっすらと雪景色に染まる山里を、軒先からつららを垂らした古刹の舞台から見下ろす。あるところには変わらずあるのだな。ずっと昔、友人といっしょに奈良と三重の県境にある渓流を訪れたことを思い出した。久しく忘れていた記憶。

長く、 “渓流の宝石” と呼ばれる魚をこの手にとってみたいという衝動に駆られていた。サケ科独特の銀色をベースにして、体側にはパーマークと呼ばれる小判型の青紫の斑紋が数枚。全体には赤い小さな斑点が散りばめられている。郷里にはいない魚だった。しんぼうできずに、友人2人をさそって釣りに行くことにした。こういうとき必ずひとりで行動するはずのぼくにとっては珍しいことだった。 14歳だった。

釣れなかった。初心者に釣れるような魚ではなかったのだ。帰る段になって、山奥から脱出するためのバスはもうないことに気づいた。ぼくのリサーチミスだった。それでも不思議とぼくらはなにを絶望するわけでもなく、冗談を言いながら、傍らから岩壁がせり出す道をポツポツと歩きはじめた。駅まで十数キロの道だった。なんとかなると思っていた。

ところどころ岩壁からは水が沁み出ているらしく、見たことのない大きなつららが下がっている。まるで巨大な水晶のようだ。渓流を挟んだ対岸では、滝が完全に凍結して、氷の芸術作品さながらの様を呈している。友人たちは手折ったつららをかりぽりと音をさせながら食べはじめた。「美味い、美味い」。なにやら嬉しかった。ぼくも食べた。その美しさは、自(おの)ずと口にせざるをえないような性質のものだったのだ。

軽トラックが近づいてきて止まった。「駅まで歩いて行くんか?ちょうど行くところやから、乗せて行ったろ」。今ではもうすっかりそのおっちゃんの顔を思い出すことはできないが、駅の売店で “ひのなの漬け物” をお土産に買ったことはちゃんと覚えている。

by enzian | 2009-01-12 15:53 | ※自然のなかで | Trackback | Comments(10)

垂氷

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by enzian | 2009-01-12 14:53 | ※写真 | Trackback | Comments(2)