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『けむり仙人』(椋鳩十)

b0037269_10121780.jpgしばらく探して見つからない絵本がある。『けむり仙人』という本だ。小学生のときに先生にもらったのだが、高校生ぐらいのころだったか、実家の部屋を掃除したときに紛失してしまった。せっかくいただいたのに恥ずかしいことをした。

ほんとのことを言うと小学生のころはこの本の意味がよくわからなかったのだけど、いざ無くしてしまうと、いまのいままでその内容が気になってしかたない。あるとき考えるところあってけむりのようになった仙人が自分の命を自由にあやつっていろんな生き物として生まれ変わって‥‥というような話だった気がする。なぜわざわざ先生がくれたのか、皆目わからない本だった。

『けむり仙人』を思い出すたび、「忘れられない」というのは「覚えていない」「知っていない」ということなのではないかと思う。知っていれば安んじて忘れ去ることができるのだ。

by enzian | 2009-02-22 01:15 | ※好きな絵本(コミック) | Trackback | Comments(14)

読み取る

よく本を貸す。求められて貸す場合もあれば、自分から勧めて貸す場合もある。もちろん自分から貸す場合にはそれなりの理由がある。貸される方もなぜ貸されるのか気になってその理由を聞きたがるわけだけど、質の悪いぼくは「理由を聞かれても説明しないで放っておく遊び」がとってもとっても好きなので、相手が学生であれば、貸す際にはほとんど説明してやらない。本の内容がどうであったかだけじゃなく、なぜぼくがその本をあなたに貸そうとしているのか、を読み取ってもらいたいと思っているからだ。

返される際に聞かれることもある。先日も聞かれた。返す際だったのでしぶしぶ説明してやった。「その内容もいいのだけど、それ以前に、その著者があたたかいひとだと思えるからです」。学生は食い下がる。「“あたたかい”ってどういうことですか?」ちゃんと答えることは可能だと思ったが、やめておいた。「きっと対流式ストーブのような人だよ」。

by enzian | 2009-02-19 18:30 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)

架線

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by enzian | 2009-02-19 00:24 | ※写真 | Trackback | Comments(6)

久米明

久米明(敬称を略する)が主演のドラマを見た。しばらく久米明がテレビに出るのを観なかったので、バチあたりなぼくは勝手にもうお亡くなりになったのかと思っていた。氏の木訥(ぼくとつ)とした話し方が好きなのだけど、ドラマでも淡々と老人を演じていた。ぼくは演技のデフォルメ(誇張)が強くなればなるほど早くチャンネルを変えるタイプなのだが、最後まで楽しんで観ることができた。いいドラマだった。さすが久米明だ。

久米明を好きなのは小学校のときからだ。当時、日曜日の夜10時から「すばらしい世界旅行」(OPED)というテレビ番組が放送されていて、そのナレーターが久米明だった。久米明のナレーションに導かれながら、ぼくはパプアニューギニアのジャングルやアマゾンで生活する人たちの様子を観ていた。そんなところにいつか行ってみたいと思っていた。この番組を観るときだけ10時すぎても起きていることを許された。日曜日の夜は少しだけ大人になれた気がした。

今でも久米明の木訥とした話し声を聞くと、そのときの高揚したような、それでいて胸を押さえつけられているような不思議な気持ちがよみがえる。ぼくからすれば、なんとしてもいつまでも元気でいて欲しい方なのだ。ドラマの最後の場面では、すでにお亡くなりになっている設定だったのだけどね。

by enzian | 2009-02-15 23:33 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(11)

縦書きと横書き

しばらく縦書きのブログがないかと探していた。むずかしいことはわからないけどいろいろ制約があるらしく、まだ時期尚早かな、という感じだった。もともとWebやHTMLは横書き圏の発想だから、縦書きになじむには時間がかかるのだろう。

縦書きを考えたのは、これまで書いたいくつかの文章が横書きにはなじまない気がしていたからだ。そういう文章だとどうして縦書きにしたくなるのか、よくわからない。でも、せっかくこのことを記事にするのだからと考えてみたら、次のようなことが浮かび上がってきた。

(その1)縦書きは書き手の感性、情感を映し出すことのできる文章で、横書きは書き手の思考、論理性を表現しやすい文章だと思っている。

(その2)
縦書きは優美さを、横書きは親しみやすい快活さ(明るさ)や実用性を表現しやすい文章だと思っている。

(その3)
(その1とその2の結果として)縦書きは「過去」(というか、過去から現在への流れ)を志向しやすく、横書きは「今」を志向しやすいと思っている。同じ理由から、縦書きは物語の語りに適し、横書きは事実の分析に適すると思っている。
もちろんこういうのは思い込みにすぎないが、これまで読んできた縦書き文章と横書き文章がそういう印象を与えたのだろうと思う。文学はみな縦書きだったし、論文を書くときに読まなきゃならなかった文献のほとんどは横書きだったからだ。いまどきのWebや携帯が横書きだということの影響も大きい。

昔に比べれば学生たちが紙面の縦書き活字を読む機会は少なくなってきた。ほとんどの情報が画面上で調べられるからだ。20年後の学生たちが縦書きと横書きにどんな印象をもっているか、もし仕事を続けられていたら聞いてみよう。そのころにはぼく自身の印象も変わっているかもしれない。

by enzian | 2009-02-14 18:53 | ※その他 | Trackback | Comments(8)

穂綿

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蒲(がま)の穂綿がはじけていました。昔はこれを火口(ほくち)にしたといいます。

by enzian | 2009-02-10 21:57 | ※写真 | Trackback | Comments(7)

『つみきのいえ』(加藤久仁生 監督)

b0037269_18143416.jpg海底から伸びてわずかに海面から突き出たタケノコの先のような小さな家におじいさんがひとり暮らしている。壁には古い写真が掛かり、おじいさんは床の穴から釣り糸を垂らす。おじいさんはなにも話さない。

そうこうするうちに床にひたひたと波が寄せくる。おじいさんはレンガを積みはじめる。やがて古い家は水に沈んで魚の住処に。おじいさんは、古い家の上に積み上げられた新しい家の床穴から海を覗き込む。はじめて家族をもったときの小さな家が海底に残っている。彼はこうして家を積み上げ続けてきたのだ。

ひたひたと忍び寄って現在を過去へと引きずり込む波は時(とき)の象徴。海中の過去はおじいさんの記憶。海底から積み重ねられた“つみきのいえ" はおじいさん自身なのだ。おじいさんの記憶のなかで、いや、おじいさん自身のなかで、おじいさんの一部となった最愛の人は待っている。ぼんやりとしたヴェール越しにしか大切な人に会えないことに切なさはつのる。だが、その切なさが「切り離されることはない」の意味であれば、その意味をしみじみ味わいながら暮らしていくこともできるのだろう、と信じてみたい(が、きっと無理だ)。

*この作品にナレーションは不要です。DVDにはナレーション抜きとナレーション付きの2つのバージョンが収録されていますが、もしご覧になるなら、ナレーション抜きを。

by enzian | 2009-02-10 18:43 | ※好きな絵本(コミック) | Trackback | Comments(16)

冊子

学内では定期的にエッセイ集の冊子が刊行されている。掲載されるのは教員が雑誌に掲載したものがほとんどなのだが、今回はなぜかぼくのブログからいくつか記事が選ばれていた。掲載の許可を求める書類が来たが、断る理由はない。それより学内の教職員で自分のブログを知る人がいることに驚いた。誰が選んだのかは知らないし、興味もない。

選ばれた記事には興味があった。記事リストを見て、はぁそっか~こういうのが選ばれるのか‥‥と声にならない声で納得した。正確に説明しようとした記事が選ばれている。明確な言葉で過不足なく説明した記事なのだ。なるほどこの記事であれば誰が読んでも誤解は生じない。ほかのエッセイとの兼ね合いもあるのだろう。わかりにくい記事ばっかり書いているから、次の冊子には選んでもらえないだろうな。

by enzian | 2009-02-01 17:46 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(6)