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b0037269_023974.jpg休み中はあれほど閑散としていた学校に学生がもどってきた。わいわいがやがやとずいぶんな変わりようである。やはり学生がいてこそ学校なのだ。構内の一角にはベンチがあって、3月に卒業した学生たちが前を行き交う女子学生たちをいつもにやにやと見ていたものだ。不意に今もいるのではないかと見るが、もちろんいない。

学舎と学舎のあいだの小さな通路では、あの小柄な学生が大きなカバンに押しつぶされそうになりながら歩いているのをよく見かけたが、彼もいない。「せんせい、ぎゃ~」という声に驚いて振り向く。てっきり、数年前、いつも個研にお菓子をもってきてくれた学生たちが声をかけてくれたのかと思ったが、見知らぬ学生がほかの教員を呼び止めていた。

構内のいたるところには学生たちとの記憶が染み込み潜んでいて、不意の歓声がそれを呼び覚ます。さぁ明日は入学式。どんな出会いが待っているだろうか。

by enzian | 2009-03-31 22:26 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(16)

各地で頻発する自画自賛

ぼけっ~とネットニュースを見ていたら、「わずかなコメを奪い合い」という文字が飛び込んできた。えぇー!と思って見直したら、「わずかなコメを分け合い」だった。「飛び込んで来た」のではなく、「作り出し、投げ込んだ」のだ。両者の違いはとてつもなく大きい。

残念なことだが、このところの学校現場でも、白を黒と言うだけならまだしも(それも困るが)、自信をもって無から有を創り出す(creatio ex nihilo )、絶対者のごときパーソナリティに出くわさざるをえなくなってきた。これからの学校人は、自分と他人を傷つけることのないよう、この種の “創造者” について、それそうおうの勉強と注意と規程が必要なのだ。ときには、「子どもを守る」だけでなく、「子どもから大人を守る」という観点も必要なのである。しかしそれにしても「えぇ?」と思って画面を見直したぼくはさすがだった。かんたんには認めたくはないが、こういう「見直し」はすぐれた人間愛なしにはできない。

by enzian | 2009-03-21 14:40 | ※その他 | Comments(0)

邪気

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邪鬼を不憫に思うのは邪気なのだろうか。

by enzian | 2009-03-20 12:02 | ※写真 | Trackback | Comments(21)

飛行機雲

b0037269_22122741.jpg昨夜はぼんやりと古い記事を読み直していた。4年前の記事。とある1年生の虚(うつ)ろな目にショックを受けたことが書いてある。ふだんは忘れていても、読めばたちまち記事を書いたときの気持ちがよみがえる。

その目を見たとき、この学生は4年では卒業できないと感じたのだった。きっと6年に違いない――理性ではなく、感情のどこかの部分が差し引き計算の答えをはじき出していた。

それから4年。見事に学生は卒業式の列にいた。ひとりの人間。こんな複雑に入り組んだものの行く末を一目で推測するなどできるはずもなかった。自分のものの見方の甘さを改めて思い知らされたわけである。もちろん4年前に今日がわからなかったのと同じように、この先のこともわからない。窓からのぞく青空には飛行機雲がぐんぐん伸びていく。

by enzian | 2009-03-18 22:45 | ※キャンパスで | Comments(0)

美しい世界

このところしゃべるがイヤになってきた自分に気づいている。会議になってもあまり自分からはしゃべろうとしない。ほどほどに声を出して、変だなと思われない程度には “発話” する。話さねばならない立場なら最低限は話す。だが、ただそれだけのことだ。こんな気分になってきたのは、下品な言葉を浴びせかけられて辟易(へきえき)したことが原因らしい。だが、その「辟易」の意味はよく考えてみる必要がある。

下品な言葉に反論するのはたやすい。そういう話し方をする目的はなんですか?得るものはあるのですか?と真顔で問い質すことはたやすい。じっさい、つい最近までのぼくであればそうした。そして、その人以上に下品な言葉づかいで逆に問い詰め返しただろう。だが問題はまさにそこにあるのだ。そういう醜い自分の姿を想像したとたん、びっしょり濡れた布を何重にも体中にまとわりつけられたような気分になって、すっかりもうなにもやりたくなくなってしまうのだ。15歳の少年でもないのだから、弱々しいと言えば弱々しい。

できることなら、美しい言葉だけを聞いて、美しい言葉だけを話したいと思う。そういう世界で生きられればと思う。年始には今年の目標をこう書いた。「下品な言葉で人を傷つけないようにする」。口の悪さでは決して人後に落ちない自分には無理な目標だと知っている。だからこそ、ますます口が重くなる。

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by enzian | 2009-03-10 22:39 | ※その他 | Trackback | Comments(18)

共生

重苦しい夢にうなされて真夜中に目がさめた。そういう病気があるのは知っている。きっとそうにちがいない。パソコンの電源を入れる。暗がりのなかにモニターがぼうっと浮き上がる。ブラウザが立ち上がるのを待つ指がもどかしい。頭のなかではもう3回は検索しただろうか。ようやく打ち込む。まちがいない。8割の不安にパソコンが2割の安心をねじ込んでくれる。こうも書いてある。「治療が遅れると後遺症が残る確率が高くなります」。わずかな安心に新しい不安が冷や水を浴びせかける。早く病院に行こう。午前中には行かねば。

「帯状疱疹(たいじょうほうしん)=帯状ヘルペスですね。神経の付け根に潜んでいた水疱瘡(みずぼうそう)のウィルスが体の抵抗力が落ちると出てくるのです。周囲への感染はまずありません」。きっぱりとした声に、ざわついていた心が落ち着きを取り戻しはじめるのを感じた。この声の質感から治療はもうはじまっているのだろう。余計なことを聞きたくなった。「ヘルペスというのはいくつか種類があるようですが、根絶する手段のないものなのですか?」「現在の医学ではありません」。要は、「あなたはウィルスと生涯を共にする」と宣告されているのだ。きっぱり言ってくれてありがたい、と思った。

ダメであれば仕方ない。もう若くはないのだ。無理のないようにして、抵抗力が落ちないようにしよう。暴飲暴食をやめて、いまでも十分に寝てるけど、十二分に睡眠時間をとるようにしてやろう。ひょっとすると、そうすることで、かえってウィルスがぼくを健康にしてくれるのではないか、病が健康を運んでくれるのではないか――などと都合のよいことを考えてみたが、事はそんなに単純でもないのだろう。首がズキズキする。軟膏を塗ろう。

追記

by enzian | 2009-03-04 22:38 | ※その他 | Trackback | Comments(26)