<   2009年 05月 ( 8 )   > この月の画像一覧

ネギ

不思議な人を見た。年の頃なら50代後半の男性で、背中のリュックの両端から長ネギがながながと出ていて、ちょうど顔の両側に枝垂れかかるようになっている。長ネギは長いから、リュックに仕舞おうとしてもどうしても先っぽの青い部分が出てしまうのはわかる。が、あの露出具合いは、できるだけ長くリュックから出して顔の両側に枝垂れかけるようにわざとしている、としか思えないのだ。くわえて解せないのは、両側に1本ずつであることだ。ぼくもまた長ネギ薬味道に深くかかわる人間のはしくれとして、1本でなくできれば複数欲しいというその思いはわかるが、だとしても、せめて片側2本にするのがよかろう。

よくわからなかったので、ネギからはどんなウィルスでも撃退する強力なプラズマイオン(なにそれ?)がバチバチと出ていて、ネギとネギのあいだにいる人をインフルエンザウィルスから守ると彼は考えているのだ、と納得することにした。

by enzian | 2009-05-30 23:37 | ※街を歩く | Trackback | Comments(16)

人に会わなければいい、というわけでもない。

通路を隔ててぼくの研究室の向かいにはやはり研究室があって、そこには大学でもかなり若手の教員がいる。学生たちに好かれているようで、ぼくのような春から夏の期間限定の波状攻撃ならまだいいが、一年中学生の波状攻撃を受けている。あの様子では本を開く間もないだろう。先日などは早朝から、いかにも怒った!という感じで学生がどかどかと歩いてきて、ドアを開けたとたんに大きな声で「なぁ先生聞いてぇな」などと怒っておった。ドアを閉めるまでがまんできないほどの何事かがあったのだろうか。

今朝。降りしきる雨のなか学校に着いたら、27日まで全学一斉休校の掲示板が門前に居座っていた。長く生きているとこういうこともあるのだな、今日は仕事をさばく日にしよう、などと考えながら学内に入っていくが、学生たちの雨傘は門前でUターンしている。人に会って病を蔓延させないことが目的とはいえ、しとしと降る雨のなか、遠方から1限目に来た学生たちだけが門前払いを喰らっている光景なのであった。休校の判断は朝8時。彼らが朝早く起きられない人であったなら、授業を平気でさぼれる人なら、こんなことにはならなかっただろう。住んでいるのが大学のそばであったなら、こんなことにはならなかっただろう。

生きていればいくらでも不条理に出くわさねばならない。しかも今日は、いや28日までは、愚痴を聞いてくれる人に会うことさえできないのだ。人に会わないでおくことが、家で休んでおくことが必ずしも健康を運んでくれるわけではないことがまた、悩ましい。

by enzian | 2009-05-22 22:40 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(26)

b0037269_21485538.jpg

by enzian | 2009-05-22 00:50 | ※写真 | Trackback | Comments(8)

メロディー

b0037269_17595665.jpgぐうすかと昼寝をしていたら、短い夢を見た。亡くなった人を追悼する歌をその同級生たちが大きな声で歌いはじめる場面であった。聞いたことのないメロディーだったが、一度で覚えられた。いまも口ずさむことができる。

はてなぜこのような夢を?と考えたのだが、思い当たる節があった。母を亡くし、寂しい今日を迎えることになった若い学生が、かりゆし58(沖縄出身のバンド名)の曲「アンマー」(沖縄の方言で母親のこと)について書いた記事を、眠る前にしみじみ読んでいたからだ。

それにしても、なぜこのメロディーなのだろうか。聞いたことのないメロディーというのは誤りで、じつは聞いたことのあるメロディーを思い出しているだけなのだ、と言うひとがいるかもしれない。そのままを聞いたことはなくても、聞いてたことのあるいくつかのメロディーを再構成してつくりあげたものだ、と言うひともいるかもしれない。であっても、それは解せない、どうも納得できない、とつぶやく心がぼくのなかにはあるのだ。夢の理屈を納得するのはむずかしいが、少なくともこうは言える。身のまわりの謎解きの種には事欠かない、と。

by enzian | 2009-05-10 17:43 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

靴音

b0037269_23362958.jpgこういうことを言うのもなんだが、ぼくは教室での授業など誰でもできると思っている。教室での授業ぐらいなら、ほとんど教師の経験のない人でも、1度や2度の授業であれば学生の注目を集めることはできる。

そんなわけ(?)で、教室での授業はほどほどにやっている。そこそこのエネルギーで話している。授業方法改善が方々でやかましく叫ばれているのに、まったく不届きなことだ。

だが、授業が終わってからは少ない脳みそをフル稼働して仕事にいそしむ。個研にやってくる学生たちがいるからだ。教室での説明では納得しきれなかったことを確かめにくるひと(そらそうだろ)。人生について語りにくるひと(さすが哲学科だ)。毎週、失恋について嘆きにくるひと(できれば来ないで欲しい^^;)。今年は1年生の来室が多い。これまでと打って変わった環境になったのだ。わからないこと、不安に感じることも多いのだろう。

春から夏にかけて波状攻撃で押し寄せる学生たちも、やがて満足し、飽き、怒って、来なくなる。それはいいのだけど、それまでの一定期間、どうやって多数の相談に対応するのかが悩みの種になる。学生のなかには、多人数での “歓談” を好むひともいれば、一対一の “面談” を求めるひともいるからだ。面談を求めるひとには、多人数の声が漏れ聞こえればそれでノックすることなく帰ってしまう者もいる。自分がほんとうに話すべきはそういうひとたちなのではないか――歓談しながら、廊下を近づく靴音に耳を澄ます。

by enzian | 2009-05-09 23:45 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)

b0037269_17335823.jpg
小さな道が祠(ほこら)に続いている。「思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」(魯迅『故郷』)

by enzian | 2009-05-04 17:16 | ※写真 | Trackback | Comments(15)

奈良への気持ち

b0037269_13225243.jpg瓊花(けいか)を見たくなって、唐招提寺に行った。今年も咲いている(前回記事)。萼(がく)の白さと、小さな雄しべの黄色のとりあわせに品のよさが漂う。日陰に咲くうらなりな様子が、ちょっと不健康な女性の風呂上がりの浴衣姿を宵の闇越しに見る思いがして、ちびりと罪悪感に包まれる。といっても、実際にそんなものを見たことはないが、風呂を出たおばあちゃんが胸元をぷらんぷらんさせながら歩いていた姿なら目撃したことがある。子どものころ、住んでいた地域には、胸元をぷらんぷらんさせながら近所をぷらぷらしていたおばあちゃんたちがけっこういた。当たり前の風景だった。話がずれた。

門前にある売店も見たかった。その商売気のなさはまことに気合いの入ったもので、2年前に来たときは、ここでうどんが食べられる人は人生のたいていの面倒事を些事として片付けられるのではないかと思った。不気味な埴輪(はにわ)たちが生命のない目でこちらを見つめていた。なんとか煎餅やら奈良漬けの上には厚く塵が積もっていて、どれもこれも、食べるよりパッケージに文字を書くのに適したものに変わり果てている。じつはぼくはそれまで奈良と京都を比べれば迷わず京都をとっていたが、その光景を見て激しく心を揺すぶられたのだ。奈良が好きなのかもしれない、そう感じた瞬間だった。

花に続いて売店の様子を見た。なんと3軒(?)のうちの1軒は改装している。埴輪たちの棚はライトアップしていて、観光客が手に取ったりしていた。ちょっとがくっとしたが、それでも奈良を好きな気持ちはもう変わりようがない。

ちょっとおまけ♪

by enzian | 2009-05-03 12:51 | ※リュック背負って | Trackback | Comments(16)

不思議

b0037269_23194386.jpg小さな研究会をつくった。つくったと言っても、つくり上げるために実働したのはぼくの周りにいるひとたちで、ぼくはその様子を見ていただけなのだけど。実働できないものだから、せめて会長をやれ、はいはい、というわけで、つつしんで名ばかりの会長をお受けすることになった。

研究会をつくったり、会長になったり‥‥。つくづく不思議なことだと思う。(こういのはお世話になったひとたちにたいしてとても思い上がった言い方だなのだけど)ぼくは物心ついたときからひとりぼっちだと思って生きてきた。ひとりぼっちだというのは周囲が悪いのではなく、ぼくの人格に問題があって、自然と孤立せざるをえないというだけのことだ。ブログ記事しかご存知ない方にはわからないだろうし、もしこんなことを言うとそんなことはないと言ってくださるかもしれないが、事実、ぼくは自他ともに認める “とてつもなく気むずかしいひと” なのだ。どう付き合えばよいのかわからず手を焼いている方がたくさんおられるにちがいない。ほんとうに申し訳ないことだと思っている。

生きていると不思議なことがたくさん起こる。小学校のとき担任が言った言葉は忘れられない。「自分の生徒で高校に行けなかったひとは一人もいない」。それは恐怖の言葉だった。ぼくはずっと自分が中学校を終わることもできないのではないかと思っていた。

by enzian | 2009-05-03 10:24 | ※その他 | Trackback | Comments(0)