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試金本

b0037269_22301298.jpg学校の部屋にはできるだけ学生にとって役立つような本を置くことにしている。学生に役立つといっても、いろんなパターンがある。学生の座り位置に近いところに置いてある絵本たちがこれまでの学生指導でどれほど役立ってきたか、なんてことはまだ書かない。これをぼくは定年後に微に入り細に入って書くのだ。

他人から見れば単なる汚部屋にすぎず、学生たちにはいつも、「ぼくって整理できないんだよね~誰か整理整頓してくれないかなぁ~」などとへらへらしているが、各本棚での本の配置は極めて緻密なウケケ的計算のもとに管理されている。

なかでも一冊、学生との関係においてとても重要な本がある。本来こういうことは日々の営業に差し支えるので話すべきではないのだが、いよいよキノコの秋を迎えるという気分の高揚もあり、今日は特別にお話しする。それはぼくが秘かに “試金本” と読んでいる本で、この本を貸して、一週間程度で「おもしろかったです」と返しに来ることができれば、その人は長く哲学することが可能な人である、と判断しているのだ。

長く哲学することができるためにはいくつかの条件が必要だと思っている。「自分とは違った考えをおもしろいと思えること(他者に感心をもっていること)」、「粘り強いこと」、「孤独に耐えられること」なのだけど、これら3つに、教養する人として生きていくための条件の「誠実であること」を加えて4つのことが身についている人でなければ、上に書いたようなことは生じないのだ。

これはと思った人にはこの本を貸すことにしているのだけど、残念ながらほとんど読み通すことができないまま返しに来るのが大半で、いつも残念な思いをしている。上のような条件を揃えた人は数年にひとりぐらいしか出てこないのかなぁなどとも考えるが、問題がひとつある。記憶している限り、この本を読もうとして読み通せなかった最初のひとりは、ほかならぬ自分自身なのである。

by enzian | 2009-09-26 22:31 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)

reflection

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父はいつもこの川のほとりを歩きながらタニシを拾っていた。

by enzian | 2009-09-22 22:42 | ※写真 | Trackback | Comments(0)

10円玉リスト

b0037269_21491381.jpg誰しもそうでしょうが、人と付き合っていると傷つくことはあるものです。歳をとれば円熟味が増して‥‥なんてことはなく、歳をとっても変わりませんね。しょんぼりすることが多いものです。若者よ、あきらめなさい。

とはいえ、特に若い人と付き合っていると、小さなやさしさとか、ささやかな思いやりに心を温められることも多いのです。それは、ときに私に向けられることもあるけど、多くは友だちや家族に向けられたものです。10円硬貨か、せいぜい50円硬貨1枚ぐらいのやさしさなのですが、それだけでもう悲しさの1万円札何枚かと両替ができるようなものです。

そういう “10円玉” を拾い集めて、ここに書き記しておきたいと思っているのですが、拾ってもすぐに書くことはできません。10円玉の出所(でどころ)が卒業してしまって、もう(というか、もともと意識していないので覚えていない方が多い)当人もすっかり忘れてしまったころに書かねばならない。いまは書けないから忘れないようにしようと殊勝にも思うのですが、数年もすればほとんど忘れてしまうのです。“10円玉リスト” を作って忘れないようにしようとしたことがありますが、やめておきました。

いただきものを(少しお待ちください)。

by enzian | 2009-09-15 21:54 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)

鉦の音

b0037269_19512341.jpgしばらく聞き慣れない虫が鳴いていた。音が近いので、書斎の外の壁で鳴いているのだろうと思っていた。高い音でチン、チン、チンと一定の間隔で鳴く。調べてみたら、カネタタキ(鉦叩き、鉦は祇園祭のコンチキチンの音)であった。こやつなら以前、洗濯機の下で何回か見たことがある。先日は蜘蛛の侵入を書いたが、侵入頻度の高さでは、毎年侵入してくるカネタタキの方が上手なのだ。

ひょっとしたら家のなかで鳴いているのかもしれないと思いはじめていたら、案の定、朝、書斎の本を移動させたらカネタタキが出てきた。すばしっこくて困ったが、怪我をさせないよう壜(びん)に入れて、少々撮らせていただいて、庭先に放した。メスが欲しければおとなしく庭先で鳴いておればよいものを、なぜ家にいたのかと聞きたくなる。彼はもう何日も無駄にメスを呼んでいたのだ。アシダカグモといい、カネタタキといい、なぜ、なにもない我が家に侵入を試みようとするのか、虫の神様がいるのなら尋ねてみたい。

ぼくの両親は少し親しくなったと思ったら、ほとんど距離がないほどに友人たちに近づくひとたちだった。夜な夜な友人宅に出かけ、物を渡し、そして最後には必ずけんか別れした。ぼくはそのさまを見て、悪意はないにしても、愚かだと思った。しかし悲しいかな、あるとき、自分もその血を引いていることに気づいた。放っておけば他人に土足で踏み込もうとする性質をいかに制御してひとに近づかないままでいることができるか、もっと冷たく、もっと遠くに、それがたぶん生涯にわたる自分の課題なのだ。

今晩は鉦の音が聞こえない。聞こえなくなると、やはりさびしいものだな。

by enzian | 2009-09-15 20:48 | ※その他 | Comments(0)

平行線

b0037269_18165459.jpgときどき卒業生が遊びにくる。卒業生に遊びに来てもらうのはとても嬉しいのだけど、卒業生のなかには自分が来るのを告げないひとがたくさん、というか、ほとんどで困ってしまう。

来るたびにメールしてと言うのだが、なかなかしてくれない。「忙しい先生の時間をとるのやイヤだから」とか、「在学生の時間をとってしまってはなんだから」ということらしい(ぼくはたいてい卒業生との面談を最優先する)。ぼくとしては、在学生のようにいつも来れられるわけでなく、たまたま来て会えなかったらイヤだから連絡して欲しいと願っているのだけど、卒業生には卒業生の優しい願いがあって、互いに相手のことを思う二つの願いは平行線をたどることになる。

なかなか垂直に混じり合わないから願いなのだと理屈をこねても、簡単に納得できるわけじゃない。上に述べたひとは会ったことのある卒業生だからまだましだが、一度も会えない卒業生だっていることだろう。切なくなる。

でもこう考えることもできるかもしれない。卒業生の願いは、ぼくに対する願いというだけではなくて、在学生のころの自分に対する願いでもあると。ぼくの時間を卒業生が割かないようにして在学生に時間を渡すことは、かつての自分に面談時間を渡していることでもあるのだ。大学で働きはじめてずっと「忙しい」ばかり言っているような気がするが、教員が「忙しい」を繰り返して学生にとってよいことなんてなにひとつないと思う。

by enzian | 2009-09-12 18:20 | ※キャンパスで | Comments(0)

説得

川で事故があった。少年3人のうち1人が溺れ、2人は助けようとしたが助けられず、見つけることもできずに帰宅している。少年2人はそのことを親に知らせていない。以前、川で遊んで叱られたので、また叱られることが怖かったのだという。今回事故にあったのが少年であって、かつて同じ川で遊んでいた自分でなかったことを思った。少年3人のうちの1人であって残り2人でなく、自分ではなかったことはただの偶然なのだ。

少年たちが前に叱られたのは、溺れたりするといけないから、ということだったのだろう。事故が起こってすぐに知らせたとしても少年が助かった保証はない。だとすれば、大人の言葉の大切さを知っていたがゆえに事故を知らせることができずにいた子どもを誰が責めることができるというのか。きっと誰も責めないだろうが、誰も責めないことほど少年たちを責めるものはない。どのような説得も受け容れることなく、少年たちは生きている限り自分の責任を問い続けることになるのだろう。そして、誰の説得も受け容れないことを責めることもまた誰にもできない。そういう風に人間をつくったのは少年たちではないのだから。

by enzian | 2009-09-08 23:58 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)

リモコンサーチ機能

勉強をしているのは西日がもろに差し込む灼熱地獄さながらの狭い部屋で、夏の夕方などはエアコンと扇風機のリモコンを一定間隔で押したりしながらパソコンをかちゃかちゃやっている。それで何日か勉強を続けていると手もとに置く本やらコピーやらが増えてきて、いつしか部屋は立錐の余地もないようになってくる。汚部屋になるわけですね。汚部屋といっても、他人が見たらそう見えるというだけの話で、部屋の主にすればそこには絶妙のバランスがあって、美しい秩序が成り立っている。

そういう話でなくてリモコンです。ともかく暑いので、エアコンと扇風機のリモコンを駆使して快適な勉強環境を整えようとするわけだけど、ちょっと油断をすると、本やコピーの山のなかにリモコンが埋まってしまうのですな。下手すると、本に紛れたリモコン探しで30分くらいかかったりする。リモコンを探そうとして、大切なページを開いたまま重ねた本を閉じてしまったり、本の位地を変えてしまったりするものだから、リモコンが戻っても勉強が進まない、なんてことにもなる。そうやって、刻一刻と貴重な時間が浪費されていく。

メーカーの方にお願いしたい。エアコンや扇風機の本体に、ついつい論文を書きはじめるとリモコンを見失ってしまうおっさん用の「リモコンサーチ機能」をつけて下さらんことを。ボタンをポチッと押すと、リモコンからピピッ♪と音が出るようなね。「ぼくはここにいるよ~」とリモコンが答えてくれるわけです。こういう機能が欲しい、今日この頃。

by enzian | 2009-09-06 18:48 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

へんてこりん

電車のなか、大学生らしい女性たちが大きな声で話している。「あの先生も変人」。2人の人物の変人度を比較しているらしい。「でも、○○先生より、哲学者の方がイヤだよ」。○○先生は彼女らの学科の先生のようだ。「だってあの哲学先生、人間関係学の最初の授業のときに、この教室、人間関係学だよね?って聞いたんだよ。わたしら、あなたを待ってるんだって。変なの」。彼女らはぼくの大学の学生らしい。この言葉を聞いて、驚くやら悲しいやら反省するやら、朝から複雑な気持ちになってしまった。

驚いたというのは、その程度のことを尋ねたぐらいで、変態やら変人と酷評されねばならないことに、だ。悲しいというのは、学生が教員の意図をまったくわかっていないことに、だ。大教室でおこなう最初の授業で、学生に授業を確かめるというのはぼくもよくするのだけど、それは文字通り確かめているというのではなくて、大教室の授業なんていうのはこちらが一方通行的にしゃべるだけのつまらないものだから、せめて1人でもコミュニケーションをとろうと、絶対に答えに窮しないような問いでもって話しかけているのだ。この意味で、上の学生は、教員がマイクを持つ前に、ほかならぬ自分が最初の講義対象として人間関係学の授業がはじまっていたことにまったく気づいていない。知らないというのは恐ろしいもので、ぼくの同僚の試みは見事に侮蔑のゴシップの対象となってしまっている。

反省したというのは、上のように学生だけを責めるのもおかしいということだ。そういう学生の性質を知らずに話しかけるこちらにも責があるのだ。ぼくはこの話を哲学科の学生に話したのだけど、その学生はすぐさま教員の意図を読み取った。そういうわけで、ちょっとひねった同僚の意図を読み取ろうとする学生がいるにしても、物事や言葉を直線的に受け取る学生もまたいるのだ。授業のことをいちばん知っているはずの教員が授業を受ける側の学生に教室を確かめるというのは、素直に考えればへんてこりんなことなのである。

by enzian | 2009-09-02 23:49 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(0)