<   2009年 11月 ( 10 )   > この月の画像一覧

銀杏

b0037269_22195716.jpg
京都府立植物園にて。

by enzian | 2009-11-30 22:23 | ※写真 | Trackback | Comments(4)

消耗戦

「この春、ほんとうに大学を辞めようと考えていたのです」。出張に居合わせた同僚がしみじみ語った。「どうしたのですか?」「体がきつくてきつくて、研究もできませんし」。ぼくが秘かに学生思いのすばらしい教員だと思っている人だった。奥さんと話しあって、けっきょく、自分にはこれ以外の仕事もできないないだろうし、今回は辞めるのを思いとどまったという。こんなすばらしい教育者が、まじめに仕事を引き受けるがゆえにやめざるをえない大学というのはどういう機構なのだろうかと思う。

多くの有能な教員を見送ってきた。いずれも研究をあきらめられない人たちだった。ぼくは自分の研究をすることは半ばあきらめているから、そういうこともあまり考えなかったが、そうとばかりも言えなくなってきた。誰だったか、認知症になった父親を自分で介護していた人が、敬愛し続けた父親であったが、痴呆がひどくなって疲労の極限にたっしたときに「もう私はこの人を愛せない」と思って、施設に預けることになったと言っていた(一般論として、自分で介護し続けることがよいことだと言っているのではない、念のため)。今日、ひとつの仕事を区切ったときに、しばらく意識を失った。さすがに限界かもしれない。

by enzian | 2009-11-27 23:10 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(4)

今夜なに色?

b0037269_2226819.jpg夜が長いという感覚を長く失っている。ある時期を境にして、なによりも睡眠時間を重視することになったから、夜の長さを実感するすることがなくなってしまったのだ。

昔はこんなではなかった。大学生のころはもっと秋の夜が長かったし、高校生のころはとてつもなく長かった。高まる不安やら孤独やらなにかわからない暗い情念の群れが夜ごと襲いかかってきて、どうしたらよいのかわからなかった。高校の秋、親友に話しかけたことを覚えている。「この長い夜、やりきれんよな」。やつはぼくの思いを読み取って、ニヤリと笑いやがった。畏友だった。

「今夜なに色?」という深夜番組があった。新野新が司会をしていて、西川のりおが出ていた。大貫妙子のオープニングソングはちょっと変わった感じで、好きな曲だった。視聴者からの相談を毎回読み上げ、西川のりおらがそれについての意見を言う。相談はいつも重々しいもので、西川のりおはいつも、もうひとりの女性と激論を交わしていて、その熱の入りようは尋常ではなかった。ときには泣きながら意見を言ったりしていた。ぼくもまたテレビの前でどうしたらよいのか全身で答えを探していた。自分とは関係のない相談事になぜあんなにも一生懸命だったのかわからない。番組が終わっても考え続け、そうやって夜がふけていった。あるとき「お前も観てるか?」と聞いたら、やっぱりニヤリと笑いやがった。

by enzian | 2009-11-21 22:34 | ※その他 | Trackback | Comments(4)

人間垂直角度

地下鉄の駅の上に学校があることもあって、ふだんぼくが学生としゃべっている場所は、主に以下の3地点となっている。

1.個研
2.学校から駅へ至る道
3.駅

なにかと騒がしい2や3でなく1で話すのを好む学生が多いわけだけど、なかには1よりも2や3の方が気さくに話せるのもいる。おそらくどこに座ろうと(なんらかの角度で)視線を合わせねばならない個研よりも、互いに進行方向を向いたままほとんど視線を合わせる必要のない2や3を好む学生がいるのだろうと思っていた。

ほとんど1では話せないのに、思いがけなく2で楽しく話せた学生もいた。1や3とちがって2は歩き続けているわけだから、一定のペースで体を動かすことが会話することに影響するのかもしれない。いやそうではなく、歩くことと、会話のもとになる考えることが関係しているのかな‥‥などとポツポツ歩きながら考えていた。考えながら歩いていた。

だけどあるとき、3で「これくらいの身長差が話しやすい」と言われて、はっとした。(座ったままの)1ではほとんど話さない学生だった。以前の記事で、ひとにはそれぞれ、これぐらいの角度に他人がいれば安心できるという “人間角度” があるのだろうと書いたことがあるが、人間角度は水平方向だけでなく、垂直方向にもあるのかもしれない。だとすれば、上方2度がよいので自分よりも10センチ背の高いひとが話しやすいとか、下方1度が好みで5センチ低いひとがちょうどだから8センチ高いひとはイヤだ、とかいう “人間垂直角度” があることになるだろう。以前の記事の人間角度を “人間水平角度” と修正したい。

興味深いのはそういうことが生じる理由だ。高さがなんらかの考え方(うまく表現できないあぁ)から生じるとすると、人間水平角度が相手を問わず一定なのにたいし、人間垂直角度は相手の立場によってちがうなんてことにもなるだろう。上司として適切なのは5センチ高いひととか、部下として適切なのは2センチ低いひと、とか。もちろん、1でも2でも3でもなく携帯でのみ話すひともたくさんいるが、それについては別に考えることにしよう。

by enzian | 2009-11-21 14:05 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)

虚無僧

b0037269_21472673.jpg


虚無僧ヘッドが欲しい。

by enzian | 2009-11-15 21:41 | ※写真 | Trackback | Comments(8)

傍若有人

>哲学的に、とはどういうことなんでしょうか。

「哲学的に考える」(=哲学すること)という場合の
「哲学的に」ということを説明すれば、
以下のような要素を含んでいるでしょうか。

一つのテーマ(日常の当たり前)について、
①常識にとらわれずに柔軟に考える
②(①と重なるが)いろいろな角度から考える
③(②と重なるが)ねばり強く考える


ただし、①にしても②にしても③にしても、
考える際には最低限のルールが必要です。
それをあえて言えば、
④論理的に考える
ということになるのでしょう。

AはBである。
BはCである。
したがってAはCである。

これは論理的に正しいですが、

AはBである。
BはCである。
したがってDはCである。

これは論理的に正しくありません。
①②③は④を前提条件としているのです。

①から④の要素を満たすには、
本当に正しいのだろうか?他の意見がないだろうか?と
自分で自分にツッコミを入れながら念入りに考えることが必要になります。
ツッコミを入れるためには自分のなかに自分以外のひとの視点が必要です。
A君ならこう言うかも、でもB先生ならこう言うかもしれない‥‥といった感じの。
(④については、野矢繁樹『新版 論理トレーニング』が参考になります。)

つまり、最後は自分で決定せねばならないという意味で哲学は孤独な営みですが、
同時に、ひとりで哲学することはできないのです。
傍若無人(傍らに人が無いかのように振る舞う)という言葉がありますが、
哲学はつねに “傍若有人” でなければなりません。

最後に哲学体質のひとにお伝えしておきたいことがあります。
それは、哲学体質のひとはどこまでも考えてしまいますから、
そうしたひとのなかには、正確に考えようとしてきりがなくなって
ぐるぐるとした渦のなかに入り込んで、
自分がつくった渦のなかで溺れてしまうひとがいることです。

ときにはふっと力を抜いて、
むずかしいことを考えずに友だちとだべったり、
ぎゅっと子犬を抱きしめたり、ぼ~っと自然を眺めたり‥‥
健康に生きていくためにはそのようなことも大切なのです。
このことも忘れないでください。

by enzian | 2009-11-14 23:59 | ※その他 | Trackback | Comments(4)

宿題

いつだったか、「アルバイトをしてもしても服を買うお金が足りない」とこぼす学生に、「学生なんだから、服なんて清潔なものを着ておげはいいんじゃない?」と言ったら、思い詰めたような顔をして「かわいらしい服はいましか着られない」とポツリと答えた。なんでもない会話の一言だったけど、忘れられない言葉でもある。ばかにならない体力を使って、予習のための時間を圧迫して、苦労して入った大学の学業にかんして自分を窮地に追い込んでもよいほどに、かわいらしい服を着ることが大切であるとする信念を目の当たりにして、ぼくはまったくうろたえてしまったのだ。いまでもときおりこの言葉の意味を考えようとするが、まっすぐに考えようとするとすぐなにかが邪魔をする。

by enzian | 2009-11-14 22:54 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(3)

半透明

b0037269_23373160.jpg
記事が書けないので‥‥

by enzian | 2009-11-09 23:38 | ※写真 | Trackback | Comments(2)

スズメのふわふわ

b0037269_23225251.jpgめっきり屋根や木に登っている人を見なくなったなぁと思います。もちろん、屋根瓦を修理するためとか木の枝を切るためとか、そういうちゃんとした理由があって登っている人ならたまに見ますが、ただ登りたいがために登っているような人は見ないような気がします。

小さなころ(今もあるのですけどね)、家の庭には柿の木が植わっていて、よく登ったものです。柿の木はすぐ折れるから登ってはいけないと言われていたのですが、登らないわけがないじゃないですか。木の上から見ると、いつもとはちがう風景が見えるのですよ。正面からしか見たことのない隣のおばちゃんのつむじが見えたりした。屋根にも登りました。最初は叱られたのですが、言っても聞かないものだから、いつのまにか黙認されてました。家の裏側にあった柿の木を伝って登るのですが、首尾良く登れると、それだけで少し偉くなったような気がした。

屋根には瓦と板のあいだにところどころ隙間があって、毎年スズメが巣作りをしていました。手をつっこんで、指先で雛を探します。傷つけないようにそっと取り出すと、手のひらの上にはふわふわして丸くて温かいものがじっとしています。しばらく見つめてそれだけで十分に満足して温かなふわふわを隙間に戻すのでした。毎年屋根の上でそんなことをしていましたから、近所の人たちはさぞやアホな子だと思っていたでしょうね。隣のおばちゃん、いろいろやさしくしてくださって、ありがとうございました。

by enzian | 2009-11-01 23:14 | ※山河追想 | Trackback | Comments(22)

雨の2日後

b0037269_21355873.jpg
キノコを餌とする生き物とキノコオタクとの競争が繰り広げられる。

呼吸を整えて、自己責任のもとでクリックしてください。

by enzian | 2009-11-01 21:48 | ※写真 | Trackback | Comments(0)