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行きつ戻りつ

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by enzian | 2010-03-29 21:15 | ※写真 | Trackback | Comments(0)

前のめり

とっても前のめりの店員さんがいる店がある。ご夫婦の店で、前のめりなのは奥さんなのだ。最初に行ったとき、大声で、「お待たせして申し訳ありません」を8回ぐらい繰り返されて、「またおこしください」を5回ぐらい繰り返されて、そのたびに深々と頭を下げられて恐縮してしまった。アルバイトがひとりいたのだが、「この動作は3日前よりはよくなった」とか、「最初の頃とはみちがえるようになった」とか、一挙主一頭足を取り上げられて褒めちぎられていて、あぁ大変なことだ、とアルバイトさんに同情しきりであった。行くたびにアルバイトさんが変わっているから、あまり長続きしないらしい。

つねに奥さんは店内をキピキビと動き回っている。行くたびに新手のサービスが増えていて、帰る際にはいろんなお土産をくださる。それは嬉しくもあるのだが、できることならそっとしておいて欲しい。「ありがとうございます、またおこしください」は1回でよいのだ。先日行ったとき、ついに顔を覚えられてしまったようで、はずむような笑顔と大きな声で、「いつもありがとうございます」と迎えられた。この店にはもう来ないだろう、と思った。

by enzian | 2010-03-28 23:16 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

西桟橋

b0037269_21381929.jpg竹富島には西桟橋と呼ばれる桟橋がある。桟橋が突き出る砂浜にはとてつもなく走るのが速いカニがいて、行けばしばらくカニとたわむれる。桟橋のそばでは青いスズメダイやヤガラ(矢柄)が泳いでいる。ヤガラは小さな魚を食べに来ているのだ。

沖から小さな船を操って、真っ黒に日焼けしたおじいが戻ってくる。桟橋の向こうには西表島が見える。昔は毎日このような船で西表島に渡って農作をして帰ってきたという。隆起珊瑚礁でできた竹富島では十分な稲作ができなかったのだろう。

夕方になると、昼間は水牛車を引いていた水牛たちが水浴びにやってくる。さすがに水が怖くないらしく、角と目と鼻だけを出して、水中でゆらゆらしている。やがて目を閉じて眠りはじめる水牛たちを桟橋に腰掛けて見ている。水牛が帰り、若い女性がひとり。ぼくの後ろを通り過ぎて、桟橋の先端の方に行ってしまった。先端に座って本を読んでいる。そばに行ってなにか話しかけようかと思ったが、やめておいた。できれば大学生ぐらいのころにここに来てみたかった。でも来たら、ぼくはいまのぼくではなかったかもしれない。

by enzian | 2010-03-24 21:46 | ※海を見に行く | Trackback | Comments(0)

誰だったか‥‥

先週のこと、学生が来て、「このマンガはおもしろい、ぜひせんせんに読んで欲しいのです」と教えてくれた。「へぇそうなんだ~」とか言いつつ、それを記憶したつもりだったのだが、すっかり忘れてしまった。「岡田」という人の作品だったようななかったような‥‥その学生は南の方に住んでいる人だったようななかったような‥‥女性だったような‥‥。ひょっとすると夢だったのやもしれない。心当たりのある人は私だ、この本だとメールで教えてください。忘れたことより、せめてメモしておかなかったことが悔やまれる。それは、忘れっぽい者にとっては、他人の言葉を大切にしなかった、ということだからだ。

by enzian | 2010-03-21 16:47 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)

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刺激の強い表現を含むので、隠します。

by enzian | 2010-03-20 23:02 | ※山河追想 | Trackback | Comments(0)

ナミのいる風景

b0037269_2394210.jpgシャチが5億円で譲渡されるという話を聞いて、はっとした。やはり和歌山の太地にあるくじら博物館が飼育しているシャチだった。

その博物館は長く行きたいと思っていて、昨年、ようやく行けたところなのだが、期待していた捕鯨史関係の資料やクジラの標本よりも、どちらかといえば、自然プール(海に仕切りをつけたもの)で飼育されていたシャチやらイルカやらその他の小型クジラが興味深かった(「イルカ」は小型の歯クジラ類の総称)。

ぼくが昨年の水族館大好き哲学者選手権の近畿地区予選でベスト4にまで残ったことはもうくりかえさないが、水族館に詳しい者はおのずとイルカショーの審美眼をも磨くことになる。そういうわけで、多くのイルカショーを見て、そんじょそこらのイルカショーぐらいなら驚かないんだからね状態になっていたのだが、くじら博物館のイルカショーの飼育員とイルカたちとのムダのないキレのよい動き、シャチの迫力には久しぶりに目を奪われた。目がハートになって困った。個人的には、これまで見たショーのなかでいちばんだった。

ショーが終わって観客が去ったあと、雨降るなか、女性の飼育員とシャチ(「ナミ」)が遊んでいた。ナミは舌を出して飼育員さんに近づいてくる。ショーのときのように餌をもらえるわけではない。舌に触れて欲しいとねだっているのだ。飼育員さんはナミの口に手を入れて笑っている。ナミも全身でうれしいと言っている。それはショーよりも好きな風景だった。

by enzian | 2010-03-11 23:17 | ※海を見に行く | Comments(0)

「お前はなんなのか?」

学生がとあるコンビニのアルバイトの面接に行ったが、店長にくそみそに言われて、追い返されたという。「そんな大学の哲学科に入って、いったいどうするつもりなのか」と怒鳴られたらしい。それを聞いて、もちろんこちらもすぐに怒り心頭となったが、大学関係者としては学生にたいする申し訳ない気持ちも湧いてきて、二つの気持ちがどこまでも混ざり合わない平行線をたどり、物悲しくなった。店長は「自分で哲学を勉強している」ひとらしい。

店長の言う「哲学」がぼくらが勉強しているのと同じかどうか知る由もないが、いろいろなものに問いを投げかけていく哲学は、ついにはその問いを投げている本人自身をも問うはずのものなのだ。「そのように考えるお前はなんなのか?」と。これは楽しくもあるが、けっこうしんどくて痛い問いかけでもある。いっしょに哲学をしている学生とは、自らをわきまえることを、そして、自分が他人の痛みをわかってはいないことを知りたいと思う。

by enzian | 2010-03-10 23:30 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)

「行きつ戻りつ」

b0037269_14145749.jpg今日も雨が降っている。先月の末ごろから雨が降ったり晴れ間がのぞいたり、春らしくなったかと思ったらすぐまた冬を想わせたり、をくりかえしている。この時期の雨は嫌いではない。

大学院で指導を受けた二人の指導教授には、共通する二人の師がおられた。二人の師はともに京都学派に属していたが、学問的な性質を異(こと)にしていた。ひとりは明晰判明を絵に描いたようなひとであり、どのように複雑な思想も――おそらくはオリジナルな思想さえ超えて――最小限の言葉で明瞭にまとめた。もうひとりは、オリジナルな思想にある “いびつさ” をいったんそのままに取り出したうえで、その地下にある水脈を探しているように思われた。いびつさに追随しようとする思索はやはり晦渋(かいじゅう)にならざるをえず、その論述は容易には読む者を寄せつけなかった。

惹かれたのは “いびつな思索” だった。枕元に置いていた研究書の前書きには読者への詫びの言葉があった。「行きつ戻りつする論述で読みにくいことと思う」。この「行きつ戻りつ」が、ぼくのそれまでを取りまとめ、研究を続けてよいと背中を押してくれた。

by enzian | 2010-03-06 13:09 | ※好きな人・嫌いな人 | Comments(0)

そんなものになりたかない。

いつだったか、自分が “細かい” 人間、ときには“煩(うるさ)い”人間とさえ思われていることに気づいた。もちろん、器の小さな人間であることは自他ともに認めるが、細かい人間だと思われていることにはやるせない気がした。一度大きな声を出して聞いてみたいのだが、重箱の隅をつつくような、極小の針穴に極細の糸を通し続けるようなこと、そんな七面倒くさいことを誰が好んでやるというのか。そんなことをするぐらいなら、広場で遊ぶ方が誰しも(?)楽しいに決まっている。ぼくは野山を走り回りながら育った生粋の田舎者なのだ。キノコ以外のことで細かなことを考えるなど、やなこった。

ぼくが細かなことをやるのは、ほかに誰もやらないからやるだけのこと。誰もやらなければけっきょくなんらかの意味で自分が困るからだ。世の中には細かなことが必要だとわかっていても、それを自分がやらなくても誰かがやるだろうと本気で思える強い意志をもったひとがいるらしい。残念ながら、ぼくはそんな人間になりそこねた。そんなものになりたかないけどね(それがいかんというのだ)。

by enzian | 2010-03-02 23:59 | ※その他 | Comments(0)