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菅浦(3)

b0037269_22592185.gif大浦で菅浦行きのバスを待つ。バス停から少し離れた待合室でぼんやりしていたら、マイクロバスのような車がノンストップで通り過ぎた。まさかと思って時計を見たら、バスの出発時間だった。

なぜ待合室を見てくれなかったのかと、まっすぐ正面だけを向いて走り去った運転手を苦々しく思ったが、後の祭りだった。次のバスは2時間後、たとえそれに乗っても、もう菅浦を歩く時間はないだろう。

携帯はあるが、タクシーを呼んで行こうとするほどでもない。いつものあきらめの早さが出てきて、すっかり心は駅の方に向かってしまっている。さきほどの川沿いの道をとぼとぼ歩いて帰る自分の姿が浮かんだ。あぁ、もう少し粘り強ければ立派なひとになれたかもしれないのに。他人が去っていくことを、いやそれよりも、自分が去っていくことを簡単には許しはしなかっただろうに‥‥他人事のように残念に思っていた。

心を決めたとき、道を挟んで待合室の向かいにある家から一人の女性がまっすぐに歩いてきた。二階で洗濯物を干していた女性だ。「バス行ってしまいましたね。菅浦に行かれるのでしょう?」「はい。でも、気ままな旅ですので、歩いて帰ります」。返答を聞き終わらないうちに女性は玄関に向き、言った。「お父さん!菅浦へ送ってあげて」。玄関から男性が歩いてきていた。「せっかく来られたのに。そこに車があります」。

二人には、「けっこうです」と言わせないきっぱりとした迫力があった。二人の心は同じ目的地へとまっすぐ、力強く向かっているようで、そこにはぼくの弱い心を差し挟む隙間はなかった。ぼくは珍しく、知らない方の厚意に甘えることにした。

by enzian | 2010-06-26 23:08 | ※海を見に行く | Trackback | Comments(5)

「行ってらっしゃいませ」の文化

「教材準備室」という部屋があって、学生アルバイトたちが教材のコピーをつくってくれたりして、とてもお世話になっている。授業がある日には、日に何度かそこに寄って必要なものを調達したりして教室へ行くわけだが、部屋を出る際にはいつも、アルバイトたちが「行ってらっしゃいませ」を合唱する。ぼくはその言葉を聞くのが怖くて、部屋に置いてある白いチョークを2本、黄色いチョークを1本握りしめたら、あわてて回れ右をし、「行ってらっしゃいませ」が聞こえないよう、素速くドアを開け、そそくさと逃走する。

アルバイトをしている学生たちのなかには、もとぼくの学生だったのがいて、「あの行ってらっしゃいませ、は気持ち悪いからやめるように言ってくれない?ほかの先生方からも評判悪いよ」などと言っているのだが、やめてくれない。どうやらあるときアルバイト先をカンチガイした学生がはじめたようなのだが、それが代々引き継がれる “文化” になっていて、そう簡単にやめられないらしい。まぁ教材準備室に限らず、どこでもある話だ。

鍵を借りたときなどは教材準備室に戻らないといけない。ぼくはおそるおそるドアを開ける。「お帰りなさいませ、ご主人さま!」とか言われたらどうしよう‥‥

by enzian | 2010-06-20 22:56 | ※キャンパスで | Comments(0)

菅浦(2)

b0037269_1932583.jpg川に沿って大浦まで南下する。大浦はさらに東の塩津や飯浦と並んで琵琶湖のなかでももっとも奥まった北方に位置する内湾のひとつ。

大浦からの眺めのなかで琵琶湖ははるか南に延びているが、何十キロも先の対岸はさすがにかすんでいる。対岸にあたるのは彦根市か近江八幡市あたりか。それよりも南、大津市でぼくは生まれた。ぼくのなかには琵琶湖の水があって、ときどき水辺に誘い出そうとする。母は近江の人だった。

大津などの南湖(琵琶湖の南側)とはちがって、ここ大浦の水は透き通っている。透き通った水を見るのは好きだ。透き通った水に手を浸すことはもっと好きだ。体温が高くて、とくに手のひらの体温の高いぼくは、いつも指先で冷たいものを探している。体温が高いといったら、体温が高いひとは心が冷たいのです、と返されたことがある。自分の胸に手を当ててみれば、なるほど、いつも指先より冷たく感じる。

少し離れたところに防波堤が見える。釣人もいる。福井の青い海とそっくりで心が躍った。透明な水の浅瀬で鮎の群れが行き交う。ひとを怖がらないのかと思って近づくと、あわててという風ではないが、じょじょに距離をとっていき、やがて群れは影も形もなくなっている。しまったと思っても、その後、近づいて来ることはない。

by enzian | 2010-06-12 18:46 | ※海を見に行く | Comments(0)

電車から呼ぶ声

「○○(ぼくの名前)さん」。地下鉄のホームを歩いていたら、逆方向へ行く電車から呼ぶ声が聞こえた。同じ学科ではないが、ゆえあって何年かいっしょに仕事をさせてもらっているひとだった。そのひとが笑っていた。ぼくは声をかけてもらったことが嬉しくて、帰途はいつにもましてごきげんだった。なぜそんなに嬉しかったのだろうか。

たぶん、声をかけなくても気づかれないままであったろうに、声をかけなくてもなんの不都合もなかっただろうに、あえて声をかけてくれたことが嬉しかったのだろう。きっと誰も同意してくれないだろうけど、ぼくは友情がときとして親子の情や男女の情を超える喜びを与えると考えていて、それはこうした理由によるのだろうと思っている。血縁によって、新たな血縁を生じかねないような行為によって結びついた者同士にはなにがしかの “拘束力” が発生するだろうが、友情にはそれがないからだ。

by enzian | 2010-06-07 22:48 | ※通勤途中 | Comments(0)

閑散

いよいよ閑散としたブログになってまいりました。それもこれも、このところのわたくしのネット生活の不活性ぶりによるものであると自覚しております。とはいえ、ここには微塵(みじん)の後悔もありません。「閑散としている」というと、なにかよからぬ印象を抱くかたもおられるやもしれませんが、「ひっそりと静まっているさま」なのです。落ちた水滴の微(かす)かな音が聞こえるようなブログもよいと思います。水滴ってなんでしょうね。

by enzian | 2010-06-06 13:11 | Comments(0)

菅浦(1)

b0037269_1310454.jpg湖西線の永原駅はそれなりに大きな駅だが、休日だというのにいっしょに降りる人もいない。

それは人気のないコンクリート製の要塞といった体(てい)のもので、駅の出口ではツバメの雛たちがヒィーヒィー鳴いている。透き通った黒水晶のような目と黄色いくちばしに抗(あらが)うこともできないのか、親たちがかいがいしく餌を運んでくる。自分が作り出したものに抗えなくなるとはさも不思議なことだが、自分に支配されることは動物にとっても一種の悦びなのかもしれない。

駅前にはほどよい水量の川が流れている。橋から下を見ている老人がいる。投網(とあみ)を打っているのだ。水にはときおり “ぐねり” ながら泳いでいる魚がいる。鮎に特徴的な泳ぎ方。淡海(おうみ、琵琶湖)に流れ込む小河川の多くと同様、この川にも鮎が遡上しているのである。投網には、黄味がかった銀色の魚がきらきら輝く。幼いころ、鮎は捕まえられない魚だった。泳ぎが速く手づかみでは捕らえられないマス科の小魚も、自分の速さで投網の網目に深々と首を突っ込んでしまう。投網の前では一網打尽なのだ。

やや泥深くてやたらと美しいというわけでもないが、川は田園の風景に溶け込んでいる。鮎だけではなくナマズやウナギも行き来するのだろう。ところどころモンドリ(魚を捕る仕掛け)が仕掛けられている。目を凝らして見るが、赤黒いアメリカザリガニが見えるだけで、お目当ての魚は入っていない。葦が繁り、菖蒲が咲いている。カワニナがたくさんいる。もうすぐ、このほとりではたくさんのホタルが飛び交うのだろう。

by enzian | 2010-06-05 13:49 | ※海を見に行く | Trackback | Comments(8)