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栗一つの価値もなし。

ウソをついている目を見るのは楽しくない。ましてや、そうしたウソを強いる原因が自分にある場合はつまらない。自分がウソの原因になる場合の多くは二種類。ひとつは真実がわかったら叱られるのではないかという恐怖。もうひとつは叱られないにしても、失望させてしまうのではないかという恐怖。そのような恐怖を軽減しないことにはコミュニケーションは成り立たないわけだが、とりわけ後者の軽減は至難。そんなびくびくしないといけない相手に近づく必要などないはずなのに不可解ではある。火中の栗であれば、無事に取り出せれば一口の口福もあるだろうが、煮ても焼いても食えない当方、栗一つの価値も持ち合わせていない。

by enzian | 2011-01-29 21:42 | ※その他 | Comments(0)

ごちゃまぜ

例えばコーヒーを飲み終えてからお茶を一口飲みたいといった場合がありますよね。ぼくはこういう場合、迷わずコーヒーカップにお茶を注いで飲みます。高校生のときに、友だちの家に遊びに行って、こういうことをやりましたら、野蛮人を見るかのような目で見られて、そのときはじめて、自分の行動が万人受けするものではないことに気づきました。

これと同じなのかどうかわかりませんが、ぼくは取り皿というものをあまりたくさん使いません。たとえば中華料理を食べに行ったとして、エビチリと、酢豚と、回鍋肉を次々と同じ小皿に入れて食べてもまったく平気です。でも気の利いた店に行くと、一料理ごとに勝手に小皿を持って行ってしまいます。別にかまわんのに。洗い物も少なくなるのに。

もちろん、ものわかりのよいテツガクシャとしてそこここで好評のわたくしのことですから、気の利いた店員たちがせっせと小皿を替えて行くのもわからないではありません。世の中には、「おれのエビチリに甘酢が触れたやないか、いったいどないしてくれんねん、こら」とか「この店はなにかい、甜麺醤味の酢豚がスペシャリテなのかい?」などと因縁を付けるひとがいるのでしょうね。怖いですね、大阪弁。そういう問題じゃないですね。

by enzian | 2011-01-22 23:30 | ※その他 | Comments(0)

まさかの笠地蔵

少し長い休みをはさんで学校がはじまると、帰省していた学生たちが郷里のおみやげをもってくる。次々と学生たちがおみやげをもってenzian個研前に列をなす風景は、「enzian詣で」と言われ、冬休み明けの大学の風物詩となっている。そんな物をもらってしまって、あとあとアンフェアなことが生じはしないのか?enzianの正義とはどこにあるのか?などといった白熱した議論がなされているとも漏れ聞くが、勝手に白熱しておればよいのだ。恥じらいなしで大仰に哲学する者ほどやっかいなものはない。話がずれた。

注意しておきたい。enzian詣では特権階級のゆえではない。これは常日頃、enzianにひとかたならぬお世話になっている学生たちの、わずかでも恩返ししたいという切ない願いの現れなのだ。ひとえにenzian個人の人徳ゆえなのである。その切ない気持ちは痛いほどわかる。わたしとて与えすぎを望まぬ。与えることではなく、ときには受け取りつつほどよい程度に与えることがまことの愛であり、慈悲なのである。今日、会議から帰ってきたら、ドアの前に米が置いてあった。

by enzian | 2011-01-12 23:38 | ※キャンパスで | Comments(0)

大きな別れと小さな別れ

b0037269_22523642.jpgいまさらなのだが、彼岸のお参りに行った。秋の彼岸が10月や11月にずれ込むことはあっても、年を越すのははじめてだった。誰に対して謝っているのかわからないが、申し訳ありません、と頭をかく。次のお彼岸はなんとか3月に来たい、すぐに戻ります、などと、またもや誰に約束しているのかわからないまま別れを告げる。

からからになった渋柿が枝についている。ほんとうのことを言えば、この先祖代々の墓に入れば、季節ごとに参らずとも、いつでもいっしょに居ることができる。多くのひとは、いつか季節季節のお参りができなくなったころ、そのようなみちを選ぶことになるのだろう。そのときにはもう別れを告げる必要もないのだ。だが、すでに郷里を離れたぼくがここに入ることはできない。「すぐに戻ります」と言いつつ、じつはすでに別れを告げているのだ。

by enzian | 2011-01-05 22:55 | ※その他 | Comments(0)

ボンカレーの生き方

b0037269_1356121.jpg正月早々、しみじみボンカレーを食っている。正月早々だが嘆きたくなる。ボンカレーが美味すぎるのだ。嗚呼、かつてボンカレーはこんなに美味かったであろうか。こんなに茶色かっただろうか。もっと黄色くて、明らかに基本成分は小麦粉ですっ!といった、別の一般カレーたちと一線をかくした食べ物であったはずである。そしてその安っぽさ隔絶された孤立性こそが、ボンカレーのオリジナリティーであったのではあるまいか。ぼくはその、ほかにない旨味を求めて、それを潔(いさぎよ)しとし、ボンカレーを食い続けてきたと思ってる。

もちろん、ボンカレーにもボンカレーなりの、他人には話せない事情があったのだろう。だがそれを理解したいとは思わぬ。かつてドラゴンクエストというRPGがあった(いまもあるぞ)。ファミコン時代のドラクエはぞっとするほど操作しにくいコキコキしたものであったが、やがてプレイステーションに移植され、キャラの動きがあまりにも自由自在のスルスルになったとき、ぼくはドラゴンクエストを後にした(カッコイイ)。明日もボンカレー食べるけどね。

by enzian | 2011-01-02 13:52 | Comments(0)