<   2011年 09月 ( 7 )   > この月の画像一覧

金の星

b0037269_023215.jpgはじめて聞いたときは調子外れに感じたが、しだいに耳慣れてきた。春と夏のころには「夕焼け」といっても、西日が照りつけていたが、このごろはそれが流れる17時になると、ちょうど夕焼けがはじまろうとしている。夕刻を告げるためにどこからか流れてくる「夕焼け小焼け」に耳を傾けるのが、いつしか楽しみになっていた。

この半年間、街を歩き、たくさんのひとと出会った。肉屋のおばさん、ミニスーパーのおじいさん、天ぷら屋のご夫婦、パン屋のおじいさん、甘味屋のおじさん‥‥。みな忘れられないひとになった。ここに戻ることがあるかどうかはわからないが、ときどき思い出し、また幸運にも近くに来ることがあれば寄り道をして、元気なのだろうか、と気づかれないよう顔を見にいこうとするだろう。

ぼくは最初たいていのものが嫌いだが、けっきょく、たいていのものが好きになる。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。東京も多分に漏れなかった。なにがわかったというわけでもないが、この街が好きになった。それは、ここで生活しているひと、ここで学んでいるひとに心惹かれたということなのだ。夜空にきらめく金の星はほとんど見えなかったけれど、昼の星たちとは申し分なく会えた。さあ京都に帰ろう。

by enzian | 2011-09-29 19:00 | ※街を歩く | Comments(12)

ぴょん吉のこと。

ぴょん吉というのは、ぼくの部屋で生活をともにしているハエトリグモのことで、あるとき小さな小さなハエトリグモがいるのに気づいて、こんな餌もないであろうところに置いておくのはしのびないと部屋から出してやろうとしたのだが、なんどつかまえようとしても、あの身のこなしでぴょんぴょんと巧みに逃げるので、ついぞあきらめてしまった。ぼくはもうできるだけの努力をした。こんな哲学書と歴史書ばかりの砂漠のようなところで餌がなくて餓死したところで、それは君のせいであって、ぼくの責任ではない。

その後も、ぼくがパソコンの前で勉強をしていると、ときどきモニターの前を横切ったりするので、その度につかまえようとするが、けっきょくぴょんぴょんしてしまうのであった。それできっとひもじい思いをしているのだろうと心配していたのだが、あるとき、ぴょん吉が少しずつ大きくなっていることに気づいた。一週間前に見たときはもう完全に成長して大人サイズになっていた。やつは確実になにかを食べているのだ。なにを食べているのかわからなかったが、昨日、引越前の掃除をしていて、ちょっとわかった。ぼくの部屋には、どうも、ぼくとぴょん吉以外にも二種類の生物がいるらしいのだ 。コワイヨママ。

ひとつは紙魚(しみ)。どんなやつかご存じない方はネットでどうぞ。部屋には古本屋で買った古本がたくさんあるので、そういう経路で紛れ込んで生存しているらしい。もうひとつはダニ。タタミをよ~く見ると、ふんにゃかうごめく極小の生物がいて、(・_・?)となったのだが、ダニであった。こやつらはきっと、ぼくからぱらぱらと落ちる皮膚の破片とかを餌にして生きておるのだ。いつのまにか、東京でダニを養殖しておったのですな。ダニ大漁。ハエトリグモがはたしてダニを食べるのかどうかしらんけど、もしそうだとしたら、ぼくはこの東京生活で立派にぴょん吉を育てあげたことになる。

by enzian | 2011-09-25 23:05 | ※その他 | Comments(2)

偉いひとは偉いひとなりに

偉いひとは偉いひとらしく、もっと偉そうにしてもらわないと困る。ぼくは、偉いひとはその偉さに応じて偉そうにすることを当たり前だとまではいわないにしても、「そうなることは理解できます」ぐらいに考えているので、偉いひとはそれなりに偉そうにするものだろうと想定しながらひとと付き合う。ところが、明らかに偉いにもかかわらず、ちっとも偉そうにしないひとは困る。ちょっと油断をすると、ぼくよりも目線を下げているような油断も隙もない謙虚なひとには、内心、穏やかではない。偉くもないのに偉そうにしているひとや、尊敬すべきものをものっていないのに自分を敬えと迫ってくるようなものには1ミリたりとも傾かないが、こういう謙虚なひとのまえではぐらぐら揺れはじめて、かってにひれ伏す。

もちろん、ここでは「偉い」の意味が問題になるが、それは秘密なのである。

by enzian | 2011-09-24 23:40 | ※その他 | Comments(0)

彼岸花

b0037269_23555824.jpgもうすぐ彼岸というので、彼岸花がどこかに咲いていないか探しながら歩いていた。大学の片隅に一株だけ、雨に打たれて咲いているのをみつけた。

まだ授業のはじまらない学校にも学生は行き来しているが、この花に気づくものはほとんどいないだろう。こんなところに彼岸花の球根を植えたひとがいたのだ。自分の好きなことをして、それでなにかを失ってしまうというなら自分はそれで後悔もないが、悲しませるひとの数は少な目ですませたい。学生が京都の彼岸花の写真を送ってきてくれた。このブログをはじめたころ、彼岸花はたしかに嫌いな花だったが、いつのまにか好きになっている。そろそろ荷造りをはじめよう。

by enzian | 2011-09-22 00:33 | ※キャンパスで | Comments(7)

はらり

卒業生と話していると、「あのときは言わなかったのですが、じつは○○だったのです」というフレーズをときどき聞くことがある。ひとりの人間からなにかがはらりとほどけて落ちてくる瞬間に立ち会えることの “役得” を噛みしめる瞬間でもあるし、ひとがなにかを言葉にすることのむずかしさを感じる瞬間でもある。

聞く耳をもっていますよ、大丈夫ですよ、などとアピールしても、なにかが熟さねば言葉は落ちてこない。なにかがはらりとほどけて言葉になる瞬間がいつになるのか、言葉の主にもわからないのだ。でも、時間のなかでいつか熟すと考えて待つ。

by enzian | 2011-09-18 23:58 | ※その他 | Comments(0)

合間

論文を書いていると、どれほど緻密に筋書きを思い描いていたつもりでも、いつか行き詰まってしまう。論文ごとき書けずとも死ぬわけでもあるまい、というひともいるかもしれないが、研究することを生業の何割かにしていて、それを自分のなけなしのアイデンティティだと思い込んでいるタイプの人間にとっては、少なくとも、行き詰まっているあいだは生きた心地がしない。なんとか池地獄でもがく亡者の心地さえして、ほとんど生存の危機に瀕している。

再三こんな目にあっているなら、泥沼に落ち込まない方法を考えればよいのだが、思いつかない。ほんとうのことをいうと、思いつこうとも思っていない。そういうわけで、いつも泥沼でびちゃびちゃやっている。もちろん、あるとき亡者の上にも、するすると光の世界から蜘蛛の糸が降りてくるのだが、いまいましいことに、パソコンの前でうんうんうなっているときには降りてこない。決まって降りてくるのは、就寝前の夢とうつつのあいだか、風呂場で頭をごしごし洗っているとき。考えているとも考えていないともいえない曖昧な合間。

by enzian | 2011-09-15 21:25 | ※その他 | Comments(0)

なにかが変わりはじめている。

このところ、たしかになにかが変わりはじめている。いちばん最初に気づいたのは毛深くなってきたことだ。もともとぼくは毛深くないタイプだと思うのだが、東京にきて、みるみる毛深くなってきた。ごわごわなのだ。毛深くなるというのはおもしろいもので、短かった体毛がだんだん長くなってきて、あれ(・_・?)と思っていると、その長い体毛がみるみる黒くなってくる。なになに、おれってこんなに毛深かったの?あれあれ?ということになっている。あと一ヶ月もしたら野生動物になってしまうのではないかと心配している。

つぎにおかしいと気づいたのは、ホクロがいたるところにできてきたことだ。東京に来るまえにはぜったいなかったホクロが腕といわず顔といわず、いたるところにできはじめた。京都にいたときは額にはホクロなんかなかったはずなのに、いま見ると三つもできていて、二等辺三角形を形作っている。そしてなおかしいことに、前にあったはずのホクロが消えている。ホクロが移動しているのかどうかわからないが、こんなことなら京都で全身写真を撮っておいて京都に戻ったときの写真と比べて楽しめばよかった。

眉間にしわがよってきたことに気づいたのは、ほぼ一週間ほどまえだった。珍しく洗面台で鏡を見たら、眉間に二本しわを寄せて、恐ろしげな顔をしたおっさんが立っている。いまのところ、このしわはなぜか朝には目立つが夜には目立たないという半日ものに留まっているが、いつフルタイムになるとも限らん。毛深くてもよいし、ホクロなどいっこうに気にならないが、このしわはおもしろくない。〈深層において般若*である〉というのはよいが、〈表面的に般若である〉というのは、わかりやすすぎてイヤだ。ひねりなくして哲学なし。

昨日気づいて、じつはいまも落ち込んでいることがある。とあるところで話をしたのだが、質疑応答のときに質問を忘れてしまったのだ。20代のころの、バカなりに頭が回転したぼくであったら、一度に数個の質問をされても余裕で答えた。ひとつを強く考えて答えながら、あとの数個に柔らかな思考をかぶせながら保持しておくことができた。それができなくなった。質問を受けて、ぼくはそのひとつの質問に二つの側面から答えようとして、ひとつめを答えている最中にもうひとつの側面を消してしまった。のみならず、その質問自体を忘れてしまった。たったひとつの質問の保持ができなくなった。老いたのだ。

野生動物風であってもかまわない。あからさまな般若になってもごまかしごまかし仕事はできるが、こういう保持ができないのは困る。教壇での講義ごときであればノートを見ればすむことだが、ひとと対話することができなくなるではないか。

*般若の面をさす。念のため。

by enzian | 2011-09-09 21:10 | ※その他 | Comments(0)