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化粧の底力

こういうことをいうときっとまたイヤミなことをいっているのだろうと思われるだろうが、ぼくは真剣に化粧が偉大だと思っている。あのアイテムの多様さ、謎の深さということもあるのだが、きれいになったのかどうかは美的センスのないぼくにはわからないにせよ、少なくとも使用前使用後で別人になっている、ということはいえるからだ。

あるとき、もうずっと前の話で時効だろうから書くけど、コンパの日に誰かが個研のドアをノックした。ぼくは入ってきたそのひとが誰かしばらくわからなかったのだけど、声を聞いたらゼミの4年生でびっくり仰天したことがある。どこぞの百貨店の化粧品コーナー(こういう呼び方でいいの?)に行って、ぱたぱたとやってもらったらしい。見慣れた顔を識別不能にしてしまうとは‥‥このときぼくは化粧の底力に度肝を抜かれたのだ。

河原の石とか、畑のじゃがいもとかに化粧をして競うような番組やコンテストはできないだろうか。じゃがいもなんか、かなりの美貌になる気がする。「つぎのエントリーは、北海道○○町のメークインさんです」とか。河原の石なら、「さて、続いて長良川の石灰岩さんです」とか「関東からは利根川左岸のチャートさんです」とか、おもしろいと思うけどな。じゃがいもの場合、化粧品が可食のものなら、最後の評価を「美味」にして、参加者たちを肉じゃがにして賞味したら、食べ物を粗末にすることもない。そのうち、生身の人間を超える美貌をもったミス野菜とか、岩石クイーンたちが出てくるかもしれない。

by enzian | 2012-02-11 23:06 | ※その他 | Comments(0)

本性

酔っ払ったときに本性がでるのか、それとも、酔いというのは本来の自分を覆い隠してしまうものなのか、どちらの考え方もあるだろう。ぼくは前者だと思っているのだけど、同じことは、すごく忙しいときにもいえるのではないか。忙しいときにこそ、そのひとの本性が出るように思うのだ。そういう意味では、忙しいとは、よくいわれるように「心を亡くす」のではなく、「ふだん隠されていた心が現れる」ということになる。なかにはわざと忙しくして自分の反社会的な本性が顕現しないようにしているひともいるようだが、そういうひとのことは考えないでおく。

とすれば、忙しいときこそ、たくさんの仕事を抱えたひとは「みられている」と思う必要がある。忙しいときこそ、ひとへの応対、身のこなし、指先の動き、会話の語尾、言葉の強弱といったものを測られてしまう。「つい忙しくて、ゴメン」という弁明は成り立たず、周囲は「なるほど、そういうひとなのか、よくわかった」とみるわけだ。ぼくは本性をひた隠しにしておきたいので、忙しくなりたくない。忙しくなると、必ずマフラーを落とす。

by enzian | 2012-02-06 23:46 | ※その他