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あれこれ

久しぶりに親友に電話をしたら、ものの1秒で学生時代の雰囲気に戻った。その爽快さといったら、もう。春に会おうという約束を交わす。いかにも彼の地は遠いが、やつなら来るだろう。時間と空間の空白を一瞬で埋めるものがあるのだと思った。いや違う。きっとそこには空白はなかったのだ。これから恐怖の一般入試だが、もうすぐ立春。晴れやかな気分で窓の外を見ると、紅梅が咲き始めていた。

先日、学生と飲んでいたら、在学生と飲んでいるときと卒業生と飲んでいるときでは先生の表情が違うと指摘された。保護の対象と友人とでは別なのだ。

by enzian | 2016-01-31 10:48 | ※その他

信じて欲しいこと。

ぼくは自分に甘くて他人に辛い。それは自分でも認めているし、自分以外の人もよく知っている。知っているから、かわいそうな少数の人たちがびくびくしながらぼくと付き合っており、大多数の人たちは忌避している。しかも忌避する人の数は年々増加していて、目も当てられない。当人も情けない、申し訳ない、淋し過ぎると思っているが、性根がそういう風にできているようで、いかんともしがたい。25歳ぐらいのころのぼくは、今はダメでも、それなりに歳をとれば人格も円満になって、ちょっとは立派なひとになれるのだろうと思っていた。でもそんなことはなくて、もう修正のしようもなく、命を閉じるまではこのまま一直線に進みそうな勢いなのである。

それはそれで仕方ないとあきらめているのだけど、どうしても無念に思っていることががひとつだけある。それは、そんな自分でも少なからぬ人を認めていて、尊敬もしているということだ。矛盾しているようだけど、ぼくが認めている人は少なくない。尊敬している人もいっぱいいる。それはカントや祖母や恩師といったぼくのなかでの定番?の人たちだけでなくて、いっしょに働いている人たち、ぼくよりもはるかに歳若い学生たち、小さな子どもたち、そういった人たちの、決して目立つことはなくても、たとえ他の誰にも知られることがなくても確固としてあるやさしさやら思いやりやら、温かさやら誠実さやら頑張りやらには心底惚れ込んでいて、尊敬しているのだ。ぼくはこの事実をある時点までほとんど伝えることがなかったが、最近はときどき伝えるようにしている。一生懸命伝えているつもりなのだが、ほとんど誰からもまともには取り合ってもらえない。

人がなにを信じるかは、その内容よりもむしろそれを誰が言ったかによる場合が多い。信じるべき内容だから信じるのではなく、信じざるをえない人が言うから信じるのだ。信じざるをえない人格ができあがったとき、同時に聖なる言葉もできあがっている。反対に、例えばちゃらちゃらした人が「人間は清貧であるべきです」と言っても、誰も信じないということにもなる。そういうわけでぼくがやさしいことを言っても受け入れにくいのは重々承知しているのだが、それでも、ぼくがほめた内容については信じて欲しい。

by enzian | 2016-01-23 22:34 | ※その他

雪ふりつむ。

「太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
二郎をねむらせ、二郎の屋根に雪ふりつむ。」

                    (三好達治「雪」)

by enzian | 2016-01-16 08:51 | ※その他

積み重さなるもの

やっぱり明日は敗戦事例を増やすのかな。
世の中には、頑張ったからあきらめようとすっぱり断念できることと、
いかにしてもあきらめられない、振り切れないことがあると思う。

by enzian | 2016-01-11 22:45 | ※その他

リフレイン

とっくに縁を切ったと思っていたコミュニティとの関係を考えないといけない。
彼はそれでいいと言うが、ほんとうにそれでよいのだろうか。
おれがいたんじゃお嫁に行けぬ、というフレーズがなぜかずっとリフレインしている。

by enzian | 2016-01-04 10:29 | ※その他

年賀状あれこれ―達人のこと―

今年も年賀状が届く。ちゃんとしたひとたちは年賀状もちゃんとしている。当方はいいかげんなもので、年末にごく少数の方に、内容も粗末なものを書きはしたが、なんだかんだと言い訳して投函したのが29日だったから、先方にはまだ着いていないだろう。恩師からの年賀状も元旦に着いていたので、こんなことではいかんと元旦から反省した。

年賀状のなかには、毎年、想像を絶する誤字脱字、誤用をいくつもしてくるひとがいて、失礼だとわかっているのだけど、今年も半時間ほど笑ってしまった。決して当人は計算しているわけではないのだろうが、つねひごろ学生の添削をしていてひとがどのような誤字脱字をするかあるていど心得ているはずのこちらの想像を毎年毎年、軽く飛び越えてくるので、ぼくはこのひとが相当の達人であろうと踏んでいる。今年も、わずか数行の文面のなかに4つもの誤字、誤用があった。そしてどの間違いにも悪意がなくて、いやむしろ、お茶目でさえあるのだ。

それがどのくらいお茶目かを説明したいけど、そのまま説明するとばれてしまって、来年からは楽しめなくなってしまうので、雰囲気だけ伝えると、例えばこのブログの文章であれば「年賀状あれこれ」というタイトルだが、その “達人" は、相当上品な毛筆体のフォントを使いながら、1行目から「年賀状あれころ」と軽くやってのけてしまうぐらいの達人なのだ。そして続く2行目、3行目にもこれにまさるとも劣らない第二波・第三波の笑いを用意している。そして、最後の行が「平成二十八年 賀正(「元旦」のつもりらしい)」であるのを見たときには、お腹がよじれて、のたうち回った。

by enzian | 2016-01-02 19:05 | ※その他