<   2016年 07月 ( 6 )   > この月の画像一覧

言葉

自分の言葉に自分がもっている以上の力がこもってなにごとかをなして欲しい、と切に願った。もちろん、そんなの、ありえないことなのだけど。

by enzian | 2016-07-21 23:29

一喜一憂

危惧していたことは危惧のとおり、失敗に終わった。今回は祖母のことに触れてしまったので、居眠る高校生たちを前に、祖母に申し訳ないと思いながら話していた。生徒が居眠るのは、100%、居眠るような授業をした教師の責任なのだ。ひどい出来の授業をして自分が恥ずかしい思いをするのは自業自得だからよいが、勝手に授業の材料にして祖母に傷をつけたという意味で、またぼくは大学の代表として授業をしたわけでもあるわけだから、大学に泥を塗ったという意味で、手痛い失敗をおかしてしまった。もう一度チャンスがあればなんとかできるかもしれないが、授業にもう一度のチャンスはない。

昨日はオープンキャンパスで、なんにんかと話した。1年振りで会った高校生がずいぶん大人になっていて、驚いた。話を聞いていると、いろんな壁があって乗り越えてきたらしい。大学の教員が高校生を相手にして一喜一憂することがあるなんて思いもしないことかもしれないが、事実はそうなのである。

by enzian | 2016-07-18 17:55 | ※キャンパスで

危険な賭け

今日から出張。高校での講義なのだけど、内容がやや自分史に触れるようなものになっていて、今回は失敗する可能性がある。もともと身を切るような内容だけに、しらっーとされたら、ひとりでどくどく血を流しながら、ハイ、ジエンド。

by enzian | 2016-07-10 14:07 | Trackback | Comments(2)

カートを押すのが好き

スーパーでカートを押すのが好きです。最寄りの駅に生協があるのですが、仕事帰り、なにも買うものがなくても、ただカートを押したいがために行くことがあります。買うつもりのものがないのですから大きなカートを選ぶ必要はないのですが、小さなカートと大きなカートでは押しごたえが違いますから、大きなカートを選びます。大きなカートを押してフロアを疾走しているとなにやら生きているという実感がしてまいります。なにか学校で辛いことがあったとかそういうことではありません。鮮魚売り場を越えて、できるだけコーナーでスピードを落すことなく缶詰売り場をめざします。カートの車両がわずかにきしんでがぜんテンションが上がります。缶詰売り場をめざすのは缶詰が好きだからです。いえいえ、缶詰の中身というより缶詰自体、缶詰のボディが好きなのです。買わなくても、食べなくても、ただ、缶詰コーナーにたたずむ缶詰を観ているだけでいいのです。もちろん、それがカートのグリップをぎゅっと握りながらのことであれば、なにも言うことのない至福の瞬間なわけです。そうやって楽しんだ後は、さすがになにも買わずにレジに行くわけにはいきませんから、きまって舞茸を1パック、カートに積んでレジの列に並びます。

by enzian | 2016-07-03 14:07

スマッシュ

「向き合う」と「受け入れる」をかんちがいするクセがある。じつをいうとどっちもよくわかっていないのだけど、「受けいれる」の場面のはずなのに勢い込んで「向き合う」アタックをしてしまっているような気がすることがあって、ときどき赤いシグナルがチカチカする。しかもそれは、リアルタイムではチカチカしなくて、あとで思い返すときにやっとチカチカして、しまった、もうどうしようもない、(゚◇゚)~ガーンとなる。昔、テニスコーチの試験(ラリー相手の試験官を、レッスンを受ける生徒に見立てる)を受けたときに、ふらふらっと来たボールをスマッシュしてしまって、「生徒にスマッシュするな」と怒られたことがある。なんかわからんものがふらふらっと来るとスマッシュするクセがあるのだ。

by enzian | 2016-07-02 16:50 | Trackback

無力

友人の苦しみを知ってもなにもしてあげられることがないと言って悔し涙を流す学生がいた。心やさしい学生よ、君はまだしも若いが、君よりも遥かに多くの歳をとったぼくも、かつて親友の死を阻止することができなかったし、いまもまた「死にたい」と言うひとを前にして、なにひとつできることもなく、ただ無力な日々を重ねているだけなのだ。

by enzian | 2016-07-01 23:27