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遠ざける言葉

「なにか手伝えることがあったら言ってください」と言われると、やさしい言葉だとわかっていても複雑な気持ちになる。手伝うことがあるかどうかは、その気があるならなんとかして自分で探すはずで、手伝うべきことと手伝う必要のないことを相手に判断させ、それを相手から表現させようとすることだと考えてしまうからだ。相手に責任を負わせるというかたちで自分の責任を果たしたとすることに少しぐらい抵抗を感じないのだろうかと思ってしまうものだから、けっきょく自分では使わない言葉になってしまう。

「また誘ってください」というのも複雑な気持ちになる言葉。言われ続けると、幸せは天から降ってきませんよ的な気持ちになってしまって、けっきょく「もう誘わないでください」と言われるのと同じ結果になる。

by enzian | 2017-05-20 17:35

「神さま、恵比寿さま」

海の近くにある食堂で朝食をとることにした。調理場では3人が忙しく働いている。漁師がやっている店のようだった。一人の老年の男性が「神さま、恵比寿さま」を繰り返しながら魚を捌いている。漁師が恵比寿神を豊漁の神としてまつることがあるというのは知っていたが、「神さま」と並べて呼びかけるひととは、実際にははじめて会った。それは豊漁を願っているのではなく、魚を捌いて供することにゆるしを求める言葉だったのだろうか。七福神にどこかコミカルなものを感じてしまう自分はすんなり理解できずにいた。そうこう考えているうちに、男性によって美しく捌かれ皿に並べられた魚たちを、ぼくは甘い醤油につけて食べた。

by enzian | 2017-05-04 17:56

戒壇堂の廣目天

施無畏印(せむいいん:怖くないですよ)と与願印(よがんいん:願いをかなえる)の印相(手で示すジェスチャー)をあわせもっている仏像をみると、やっぱりそうですよね、と思う。相手を安心させることもなく、話を聞きましょう、力になってあげましょうなんて迫っていったって、怖いひとにしかならない。とにかく相手に警戒心をといてもらうことからしかなにもはじまらないことはわかっているのだけど、もうきっとどうにもならないとあきらめている。

昔からいちばん好きな仏像は圧倒的に東大寺戒壇堂の廣目天(こうもくてん)。こういうことをいうと叱られるかもしれないが、廣目天は小学校のころから自分に似ていると思っていて、いまでも他人だと思えない。たしかにいまの自分も、出席簿をにぎりしめて学生をにらみつけてはいるのだが‥‥

by enzian | 2017-05-04 17:02