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大地の神話

なにを大切と思うかぐらい自分で決めたいから、誰しも他人から価値を押しつけられるのはいやだろう。ぼくも押しつけがましくされたくないのだが、自分が押しつけがましくしていないかと考えると、きっとしている。例えば、よくよく考えてみると、ぼくにはどのような人も〈歴史ある伝統的なもの〉が好きなはずで、〈自然〉が好きだと思っている節がある。そんなことだから先日も、はじめて話した院生たちに、「よしっ!寺に行こう」などと、押しつけがましいことを言ってしまっていた。自分としては院生の研究領域からしてプラスになると踏んだうえで言っているつもりなのだが、まったく大きなお世話である。

とはいえ〈歴史ある伝統的なもの〉なんてまだましな方で、たとえ生まれの偶然からいまは自然が好きでなくても、「いやしくも人間として生まれた限りはいずれは自然を愛すべきで、大地と触れあうべきである」ぐらいのことを信じ込んでいる節がある。そしてそれを全方位的に展開しているから、周りの者からすれば迷惑な話である。ぼくは山里で育ち、実家には土間があり、周囲は田んぼに囲まれていた。幼いころ、まだ道路は舗装されておらず、砂利道だった。それらは自分にとって大きな意味をもっているが、だとしても、コンクリートやアスファルトで固められた家で土地で生まれ育ったことになんの不利があるというのか。なにゆえ、水や土くれを愛でることに付き合わされねばならないのか。自然が好きなら、ひとりで草むらに転がって野草と遊んでおればよいのである。

by enzian | 2017-10-09 21:44

「真理は二人からはじまる」

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「先生って徒党を組まないですね」と言われたことがある。そう言われてどう答えたかは覚えていない。徒党というのは自分の目的をかなえるための頭数なんだろう。実際、そういうのは知らず知らずにやってしまっているだろうけど、意識してやりたいとは思わない。お世話になった先生が言っておられた。学者が徒党を組むなどというのは決してしてはいけないこと。だけど、孤立するのもいけない。「真理は二人からはじまる」。孤立するのではなく一種の人間愛(この辺の表現はやや専門的)にもとづいた交流が必要である、と。そのとおりだと思うし、先生は言うだけでなく実際にそうしておられた。実際にそうしておられたから、ぼくもそうしたいと思って教師になった。初心はそうだったんだ。

by enzian | 2017-10-09 18:12

スピーチの後悔

卒業生のスピーチをする。卒業生のスピーチをしたのは、たったの2回目。長く冠婚葬祭を断っていたものだからそういうことになる。もちろん、そんなに好かれる先生でもないので、ますますそういうことになる。学生側からすればそういうことだが、教員としても、もし頼まれればスピーチしたいと思う学生もいるし、頼まれても避けたいと思う学生もいるし、頼まれなくてもしたいと思う学生もいる。この辺りの区別は、成績のよい学生であるとかないとかいうのとはまったく別のことで、なんとも説明しがたい。あえて言えば、こちらの心に痕跡を刻んだ学生であれば、スピーチしやすいし、してみたいとも思うのかもしれない。

長く卒業生からの結婚式の招待を断っていたのでスピーチを頼まれて断ったこともほとんどないが、1例だけ断ったことがある。この卒業生の結婚式への参加が結婚式不参加の禁を棄てるきっかけになったのだが、参加はしたがスピーチは断ってしまった。頼まれなくてもスピーチしたい学生だったのになぜしなかったのかと、いまでも「結婚式」という言葉を聞く度に後悔している。

by enzian | 2017-10-03 22:11