八重山諸島――西表島(2)

西表島(2)

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# by enzian | 2004-08-22 23:51 | ※リュック背負って | Trackback | Comments(0)

八重山諸島――西表島(1)

島のほとんどが深い亜熱帯のジャングルに覆われている。八重山のなかでも、もっとも手付かずの自然を堪能できる島。沖縄県では、沖縄本島につぐ大きさ。古来から米作が行われていたという。さまざまな固有種が生息することは有名。この島の道路は島を一周しておらず、道路があるのは島の4分の3のみ。しかも意外に大きいので、魅力を満喫するためには、何日か宿泊する必要がある。石垣島に宿泊して、フェリーで渡航して見られるものには限界がある。

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# by enzian | 2004-08-22 23:50 | ※リュック背負って | Trackback | Comments(0)

八重山諸島――黒島

島全体がハートのかたちをしていることから、“ハートランド” とも呼ばれる。人よりウシの数(3000頭)が多い牧畜の島。ほとんどが牧場地。毎年2月には盛大な「黒島牛まつり」が行われる。牛まつり以外のシーズンはその他の島々ほどには観光客もおらず、ほとんど観光地化されていない。「島巡り」ツアーのスケジュールに入ることもない。竹富島が見られることを常に意識している島だとすれば、黒島や波照間島はそういうことをまったく意に介していない。海もサンゴ礁もきれいだし、南十字星も見える(1月~6月、満月を除く日)ので、もう少し宣伝すれば人も来るだろうけど、もちろん宣伝して欲しくない。

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# by enzian | 2004-08-22 23:49 | ※リュック背負って | Trackback | Comments(0)

八重山諸島――竹富島(2)

竹富島(2)

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# by enzian | 2004-08-22 23:48 | ※リュック背負って | Trackback | Comments(2)

八重山諸島――竹富島(1)

古い集落と景観が条例によって保護されている。赤瓦の屋根、サンゴの白い道、咲き乱れる美しい花々。そこに水牛車がゆっくりと歩いている。八重山に行って、沖縄本島では失われた原風景を見たいと思うなら、まずここが手ごろだろう。この島に滞在して、いつまでも帰れない若者は多いという。その気持ちはよくわかる。9月ないし10月に行われる種子取祭が、国指定無形文化財に指定されている。

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# by enzian | 2004-08-22 23:27 | ※リュック背負って | Trackback | Comments(0)

八重山諸島――石垣島(2)

石垣島(2)

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# by enzian | 2004-08-22 22:54 | ※リュック背負って | Trackback | Comments(0)

八重山諸島――石垣島(1)

以下は、とある時期にとある場所に貼り付けていたものなのですが、ゆえあって、こちらに移動したものです。ぐだぐだの写真だし、情報も古くて何の役にも立ちそうにないのですが、捨てるには忍びないので、こちらに貼っておきます。

――――――
八重山諸島は、大小19の島々からなる島群で、沖縄本島の南西、400km余りの地点に位置します。全体として、八重山諸島はすでに観光アイランド化してしまった沖縄本島(特に那覇はそうですね)が失いつつあるものを保存していますが、それだけではなく、それぞれの島が本島とは異なった、えも言われぬ独自の伝統文化(と自然)をもっており、それが、異質の原風景を求める旅人をひきつけてやまない理由なのでしょう。旅人は、異質の原風景との対比のなかで、もっとも身近にある自分を再確認しようとするのでしょうか。

ここでは、私の目から見たそうした島々を、ほんの少しだけ紹介します。なお、貼付している写真は、カメラマンとしての腕の悪さと、生来の雨男という悲しい性のために、原物のよさを正確に描写しているとは到底言えないものであることを申し添えておきます。

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# by enzian | 2004-08-22 22:28 | ※リュック背負って | Trackback | Comments(2)

インドの動植物(2)

その2

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# by enzian | 2004-08-22 21:48 | ※リュック背負って | Trackback | Comments(0)

インドの動植物(1)

以下に紹介する写真は、2003年度のインド仏教遺跡研修旅行「インドの宗教と文化」の際に撮影したものです。ガンジス川やタージマハールといったインドの有名どころ、仏像や仏跡といったものはあえてはずしてあります。

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# by enzian | 2004-08-22 21:23 | ※リュック背負って | Trackback | Comments(0)

明け方の祖母

明け方の夢に祖母が出てくる。祖母は滅多に出てこないので内容を覚えておこうと思ったが、目を覚ましたらすっかり忘れている。三つぐらい話したような。ひとつは祖父のこと。あと二つはまったく覚えていない。忘れたいことはいつまでも覚えていて、忘れたくないことはさっさと忘れてしまう。そういうものなのだろう。

# by enzian | 2004-08-17 23:59 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

合掌の憂鬱

墓参りに行く。昔から合掌が嫌いで、どうしてもこうしてもぎこちなくなる。小さな子どもが「手と手を合わせて幸せ(皺合わせの語呂?)」と言うコマーシャルがあったような気がするが、手を合わせることの意味がわからないのだ。それなりに本も読んだし、人の意見も聞いてきたつもりだが、いまだに解せない。意味はなくとも、敬虔な気持ちになったときに自然に手を合わせてしまうのが人間というものなら、当分、人間にはなれそうにない。

# by enzian | 2004-08-15 23:59 | ※街を歩く | Trackback | Comments(0)

立秋

朝からツクツクボウシの鳴き声で起こされたと思ったら、立秋だった。人間からすれば相変わらずクソ暑いだけだが、虫は季節の微妙な移り変わりを感じ取っているのだろう。そう言えば、今日は何年かぶりに虹を見た。虹も季節の変化を感じたのだろうか。

# by enzian | 2004-08-07 23:59 | ※自然のなかで | Trackback | Comments(0)

己が首を絞める

サッカーのアジアカップで中国人観衆の行動が物議をかもしている。過激な行動の理由については、領地問題によるもの、某国政治家の軽率な行為への反感によるもの、経済格差のフラストレーション解消によるもの、近年中国の反日教育によるもの‥‥いろいろな推測がされている。最後の理由はあながち外れてはいないようで、30代以上の中国人の冷静な意見に対し、10代20代の若者の過度にナショナリスティックな言動には、末恐ろしい気がした。

ただ、こういう国外での動きを見ていつも危惧するのは、これに対する国内の過敏な反応だ。テロが起これば決まってテロをテロ防止のための過剰なシステムが組織され、ミサイル実験が起これば決まって財政を無視したミサイル防御システムが導入される。同じように、ナショナル・アイデンティティの象徴的行為を愚弄する動きには、決まってナショナル・アイデンティティの象徴を過剰に保護するシステムが反動する。特定の国家を愚弄する人間を取り締まるシステムが作動し、そうした人間と同国籍人へのいやがらせも頻発する。

スタジアムを埋め尽くす中国人がすべてナショナリズム的傾向をもっているとは思えない。多くは、どの社会でもありがちなフラストレーション解消の道具としてナショナリズムを利用しているにすぎない。要は、欲求さえ解消できれば相手は何でもよいのだ。人間はいつも自らのアンフェアな欲望を正当化する口実を探し求めている。これに、共通の敵(的)を叩いてアイデンティティの保存をはかる傾向が加われば、次にくるのは決まって集団による暴力。国家を超えた人間共通の傾向に気づき、自らの軽率な行為が結局のところ己が首を絞めることに気づく賢明さをわれわれはもつべきなのだろう。

# by enzian | 2004-08-03 23:59 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)

アンバランス

MLB放送を見る。7回の裏、観客は “God Bless America” に続いて “Take Me Out to the Ball Game” を口ずさむ。自国中心主義と娯楽――アンバランスな取り合わせだ。

# by enzian | 2004-07-30 23:59 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)

切ないエロティシズム

b0037269_1056781.jpg近藤ようこ『水鏡綺譚』を読む。コミックとしては久々の当たりだった。全体にエロティックな雰囲気が漂うが、「タブーの侵害」といったケバケバしい意味でではない。ワタルのストイシズム、心を失った鏡子の虚ろな目と天真爛漫さ――これが、えも言われぬエロスを醸し出す。 “切ないエロティシズム” とでも言うべきか。

# by enzian | 2004-07-28 23:59 | ※好きな絵本(コミック) | Trackback | Comments(0)

脱力文化

ルーズソックスやダボダボズボンに見られる若者の現象を「脱力文化」と呼ぶ人がいる。脱力文化の美徳は「あきらめ」。単なる横並びのファッションだと言えば身も蓋もないが、そこには、「しっかり」「きっちり」「たしか」「すっきり」といった既成のモラルを否定する(詳しく言えば、この否定の方法は以前は暴力的であったが、今はあくまでも力を込めず、スマートに “いなす” )ことによってアイデンティティを確かめたいというアナクロな思いとともに、努力した後に否応なしに見えてくる自らの無力さに傷つきたくないという切ない現実逃避も隠されている。

ルーズソックスこそ見ないが、大学もまた脱力文化の花盛り。教壇で努力や忍耐を声高に叫んでも、アパシーの静けさのなかで空しい思いをするのが関の山。これが山の頂なら、せめて木霊なりと返ってくるだろうに‥‥。

# by enzian | 2004-07-13 23:59 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)

結晶

水晶を採りに行く計画をたてる。鉱物の結晶、とりわけ石英の結晶には目がないのだ。どれくらい好きかと問われれば、親指大の水晶がごろごろしているところに連れて行ってもらえれば、脈拍が上がってそのまま昇天するかもしれないぐらい好きだと答える。それ自体で幾何学的に完璧な自然の造形美に惹かれるのだ。なぜ幾何学的な模様に惹かれるか、自分でもわからない。削って指輪にするセンスも、わからない。

# by enzian | 2004-07-10 23:59 | ※自然のなかで | Trackback | Comments(4)

アルファベットを色つきで見る人

b0037269_11171691.jpgパトリシア・リン・ダフィー著『ねこは青、子ねこは黄緑―共感覚者が自ら語る不思議な世界』を読む。日本語で読める共感覚の文献には、もう一冊、シトーウィックの『共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人』があるが、著者自身が共感覚者であることもあって、こちらの方がはるかに読みやすい。共感覚とは、一つの感覚刺激に対して同時に複数の別の感覚が反応すること。音を見る人、味を感触する人‥‥無限のパターンがあるが、著者は、アルファベットを色付きで、七つの曜日を色付きの立体構造で見るという。

特におもしろかったのは、幼児はみな、感覚の分化しない共感覚的な世界に住んでいるという説。逆に言えば、通常、成長にともなって分化するはずの各感覚が何らかの理由で分化しない場合に、人は共感覚者になる。もう一つおもしろかったのは、痛みに色を見る女性のエピソード。深刻な体の不調から来る痛みと、心配のない痛みの色が違っていて、医者の診断の間違いを指摘することさえできたという。

共感覚者の割合には諸説あるが、社会的に少数派の彼らのなかには、多数派の視点から作られた社会システムに違和感を感じ、不適応を生じる者がいるかもしれない。青や緑に痛みを感じる共感覚者が、同じ色に安全や安らぎをイメージする社会で生きるのは、容易なことではないだろう。

# by enzian | 2004-07-04 23:59 | ※共感覚 | Trackback | Comments(0)

君の幸いを願う

とてもうれしい電話があった。20年間、待ちわびた電話だった。人並みの天与に恵まれなかった君。周囲の無理解が過酷な運命に拍車をかけた。その責任の大半はぼくにある。運命をうらむことなく、決して弱い者を捨て置かなかった心やさしい君。今のぼくの幸せは実に君の犠牲のうえに成り立っている。だが、ぼくの幸せを君に分けることはできない。今度こそ自分自身の幸せを君が噛み締めることができるよう、ただ心の底から君の幸いを願う。

# by enzian | 2004-06-27 23:59 | ※彼方への私信 | Trackback | Comments(0)

やさしい雨音

雨音を聞いていると、ふしぎと心が落ち着く。行楽をふいにする雨は嫌いなのに、雨音は嫌いではない。雨音を聞いていたら、忘れていた両親のことを思い出した。

少年には、家庭に諍いがなかった日の記憶はない。来る日も来る日も、すさまじいののしり合いの声が昼夜を問わず近所に響き渡っていた。恥ずかしくても、悲しくても、大人の諍いを止める術はなかった。誰もがやっかいな一家とのかかわり合いを避けていた。頼る人もいない。少年にできるのは、激しい雨音が罵声をかき消してくれるのを願うことだけだった。

雨がトタン屋根を強く打ち付ける日。やさしい雨音を聞きながら、人知れず泣きはらした目で、少年はようやく浅い眠りにつくことができた。

# by enzian | 2004-06-26 23:59 | ※山河追想 | Trackback | Comments(0)

野田又夫氏

もう少し前のことになるが、京都大学の名誉教授であった哲学者、野田又夫氏が逝った。かつて感銘を受けた野田氏の言葉を一つ。 
「現実の内在的批判によってのみ真実はみとめうる、ということがソクラテスの生死をささえた。こういう仕方で求められる限りにおいてのみ、求める真実と善とは、現実をはなれた夢想たらざることを得るのである。そしてこのことについては、むかしもいまも、根本において変りはないと思われる。
 もちろんわれわれ自身、現在の状況において、真実と善とを、ソクラテスやプラトンの示したような規模において求めようとするとき、われわれみずからの新たな工夫と新たな勇気とを必要とする。かれらの後二千数百年の歴史の示す事実は、かれらの信じたところ教えたところの実現へとわれらを励まし勇気づける事実のみではない。むしろそのことの困難を、いなほとんどその不可能すらも思わせる幾多の事実を、人類は経験した、といわねばならないであろう。むしろ絶望することの方が正直だといいたくなることもあるであろう。
 しかしながら、だからといって、すべてに絶望して人間を見限り、理論を見限ることは、多くの場合かえって安易なのである。人間のことをよく知らぬ者が、えてして人間ぎらいとなる。たとえば、たやすく人を信じる者が、いったん裏切られるとまたたやすく人間ぎらいとなる。同様にして理論的吟味の苦労を知らぬ者が、たやすく理論ぎらいとなる。こういう人間ぎらいや理論ぎらいは、現実の問題の困難を深く知った結果であるというよりは、未熟のせいに過ぎないであろう。」(「人生と真実」より)
難しいと思う人は、最後の段落だけでも目を通して欲しい。特に若い学生に。

# by enzian | 2004-06-24 23:59 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(2)

暴風雨警報下の学校にて

暴風警報のなか大学へ行く。休講のにおいを鋭く嗅ぎ分けるのが学生の本能、だが明らかに休講でもやってくる希少なのもいる。希少な学生との、とりとめない会話。
「小さい頃、台風と聞くと、わくわくしなかった?」
「しましたねぇ。」
「どうしてだと思う?」
「非日常だからでしょう。」
「人間は非日常を求めているということ?」
「そうなりますね。」

# by enzian | 2004-06-21 23:59 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)

岐路

三条大橋で気になる三人を見る。西側には、毛布をすっぽりかぶった年老いた物乞い。空き缶に誘い金50円。橋の中央には、まだ年若い雲水。一心に経を読んでいる。東側には、「なんで屋」という新しい商売を始めた青年。日常生活の疑問をお題として並べ、客に選ばせて説明するらしい。一題、300円也。混じり合わない三様の道。自分が立ち尽くした岐路を思い出した。

# by enzian | 2004-06-12 23:59 | ※街を歩く | Trackback | Comments(2)

窓から明石海峡

先日、兵庫県のとある高校へ出張授業に行った。長い伝統をもった高校らしい。多くはないが、熱心な生徒ばかりで驚いた。何より、生徒たちの自然な笑顔に驚いた。はにかんだ笑みを見せる者までいる。はにかんだ笑顔を見ると、なぜかうれしくなるのだ。

進路指導部の窓からは、美しい明石海峡が見下ろせた。生徒のみなさん、あなた方が感想として書いてくれたいろいろな問題、それも立派な哲学のテーマなのですよ。

# by enzian | 2004-05-30 23:59 | ※彼方への私信 | Trackback | Comments(0)

はじめに

このブログについて。

このブログには、筆者が日々感じたこと、とりとめもない妄想を書き連ねてあります。大言壮語に満ちた「大きな哲学」にはいささか食傷気味なので、「小さな哲学」には、身の周りの半径5メートルほどにある何気ない日常をささやかに見つめ直す、という意味を込めています。等身大の哲学、ですね。

日記ではありませんから、一度書いた後も、「こらあかん」と思ったときには、ちょこちょこ手を入れます。妄想ですから、何やらムズカシイ根拠があってのことではありません。「ケシカラン」とか何とか、目くじら立てぬようお願い申し上げます。でも、コメントをもらえたりすると、結構よろこんだりします。リンクも歓迎します。

# by enzian | 2004-05-29 15:52 | ※まずお読み下さい | Trackback | Comments(0)