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柿を食うということ。

個研でくるりくるりと柿を剥いていたら、コンコンとノックの音がして、入ってきた学生がこう言いよりました。「ギャー、センセイが柿をむいている!」と、そしてそれだけ言って、バタバタとどこぞへ走って行きよりました。ぼくはただ柿が食べたかったから剥いていただけなのです。なのにギャーだなんて‥‥。失礼しちゃうわ(死語か?)、なのです。いったい学生はなにを「ギャー」と感じたのでしょうか。考えてみましょう。

(a)柿が珍しかった。
→(コメント)残念です。リンゴやらミカンなど、「いかにもフルーツ」といったものがもてはやされる昨今ですが、柿大好きのぼくとしては、やや日陰の身の柿ではありますが、そのよさも見直してもらいたい。いかにも「ペット」といったイヌやネコ、水族館のラッコがもてはやされる昨今ですが、けっきょく頼りになるのはカワウソだと心得ておくべきなのです。

(b)柿を剥いているおっさんが珍しかった。
→わからないではありません。柿が豊富な地域で育ったぼくでも、ぼく以外のおっさんがニヤニヤしながら柿を剥いている光景を見たことはありません。

(c)柿を剥いているおっさんのテツガクシャが珍しかった。
→誤解です。おっさんのテツガクシャといえども、かすみを食って生きているわけではないのです。柿を食いもすれば、牡蠣を食って当たることもあるのです。

(d)柿を剥いているおっさんのテツガクシャであるenzianが珍しかった。
→誤解ですが、しかたありません。ぼくが台所にマイ包丁をずらり並べる包丁人で、かつアウトドア・果実採集系であり、さらには骨の髄までの体育会系であることを知っているひとなど、ぼくの同僚にさえひとりもいないくらいですから、学生たちがぼくをインドア・本の山埋もれ系ケケケ男だと思い込んでいたとしても、まったく無理のないことなのです。

by enzian | 2011-12-02 22:45 | ※キャンパスで | Comments(6)

ぴょん吉のこと。

ぴょん吉というのは、ぼくの部屋で生活をともにしているハエトリグモのことで、あるとき小さな小さなハエトリグモがいるのに気づいて、こんな餌もないであろうところに置いておくのはしのびないと部屋から出してやろうとしたのだが、なんどつかまえようとしても、あの身のこなしでぴょんぴょんと巧みに逃げるので、ついぞあきらめてしまった。ぼくはもうできるだけの努力をした。こんな哲学書と歴史書ばかりの砂漠のようなところで餌がなくて餓死したところで、それは君のせいであって、ぼくの責任ではない。

その後も、ぼくがパソコンの前で勉強をしていると、ときどきモニターの前を横切ったりするので、その度につかまえようとするが、けっきょくぴょんぴょんしてしまうのであった。それできっとひもじい思いをしているのだろうと心配していたのだが、あるとき、ぴょん吉が少しずつ大きくなっていることに気づいた。一週間前に見たときはもう完全に成長して大人サイズになっていた。やつは確実になにかを食べているのだ。なにを食べているのかわからなかったが、昨日、引越前の掃除をしていて、ちょっとわかった。ぼくの部屋には、どうも、ぼくとぴょん吉以外にも二種類の生物がいるらしいのだ 。コワイヨママ。

ひとつは紙魚(しみ)。どんなやつかご存じない方はネットでどうぞ。部屋には古本屋で買った古本がたくさんあるので、そういう経路で紛れ込んで生存しているらしい。もうひとつはダニ。タタミをよ~く見ると、ふんにゃかうごめく極小の生物がいて、(・_・?)となったのだが、ダニであった。こやつらはきっと、ぼくからぱらぱらと落ちる皮膚の破片とかを餌にして生きておるのだ。いつのまにか、東京でダニを養殖しておったのですな。ダニ大漁。ハエトリグモがはたしてダニを食べるのかどうかしらんけど、もしそうだとしたら、ぼくはこの東京生活で立派にぴょん吉を育てあげたことになる。

by enzian | 2011-09-25 23:05 | ※その他 | Comments(2)

牧歌的対話

立派なひとがいると思う。ここでいう立派なひととは、生活や世界の全体にわたって肯定的な読み方ができるような回路を張り巡らそうとするひとで、けっこうどこにでもいる。自分の周囲が立派なものだと思うだけならよいが、自分もまた立派にならねばならぬと思うようで、いつもつま先立って、前のめりになって走りだそうとしていて、走り出すとなかなかストップがかからない。学生にもこんなひとがいるらしく、「完璧な世界」構築旅行の途中で燃料切れになってJAFのお世話になっている姿を、ちらほらみかける。

こういう学生をみかけると、「ちょっと、ちょっと、どこのゼミの方か知らぬが、そこのお方。そんな立派になってどうしようというのです、もっと肩の力を抜きましょうよ~ モ~ メェ~(牛や羊たちの声)」などと牧歌的に声をかけるが、ほとんど聞いてはもらえない。一本気な性質が災いして、じぶんをゆるさないのである。人間なぞ8割方どす黒いものだ(ちなみに、2割も大切ですよ、青少年のみなさん)、いつなんどきなにをしでかすかわかったものでない、などとは夢にも思ってはいけないと信じているのである。

こう書くと、燃料切れ学生のなかには反論するひともいるだろう。「そんなことおっしゃいますが、先生のゼミは厳格だと有名です。シラバスには3分の2以上の出席がないと評価対象としない、とか殺伐としたことを書いてるし。ゼミ生たちもみんなガクブルしてると聞きます。そんな牧歌的な声を出しても、本性バレてます」。それを聞いてぼくは「いまの君のその気持ち、決して忘れないで欲しい!」とだけ熱く告げて、去っていくのである。

by enzian | 2011-08-14 12:22 | ※キャンパスで | Comments(6)

ちょっとウェットなトロピカル気分

スーパーにヤングココナツ(若いココナツ椰子)というのが並んでいた。昔、椰子の実を割るのに難儀したことがあって躊躇していたのだけど、ヤングというぐらいだから、若くてやわらかいものだろうと思って買ってしまった。トロピカル気分で家に帰ったのだが、それからがまぁ大変だった。なかにあるココナツジュースを飲もうとするのだが、これがかたくて、あと一息のところまでいくのだが、最後に頑丈な岩盤のようなものがあって、どうしても開かない。以下はその苦闘の記録。

土曜日 +のドライバーで挑むが、まったく歯が立たない。
日曜日 ハサミで挑みかかるが、破れ去る。
月曜日 包丁で切ろうとするが、包丁、欠ける。

頭突きをするわけにもいくまい――月曜日の夜、ぼくは途方に暮れ、冷凍庫に入れて、もうヤングココナツのことなどすっぱり忘れてしまおうと思った。冷凍庫のなかに入れておけば、やがて時がすべてを解決してくれるだろう(要はあきらめたのだ)。ところが今日見たら驚きましたな。あれほど頑丈だったココナツにひび割れが入っている。ココナツジュースが凍って体積が増え、あっけなく割れたのだ。南洋のココナツは自分が冷凍にされる場合など想定したことがなかったのだろう。

いまココナツにストローを入れて、ちょっとトロピカルな気分でキーを打っているけど、ココナツのなかにはココナツミルクの材料となる脂肪層があって、これをかたい部分で守っていたのだろうなぁと思うと、どうもそこはかとなく、いかんことをしたような気分にもなる。

by enzian | 2011-07-26 23:18 | ※その他 | Comments(6)

ホームポジション

近所の通りにいったい何件の店があるのか、いまだにわからない。夜とおったときには開いていなかった店が昼間だと看板を出しているし、昼間は気づかなかったうなぎの寝床のような飲み屋が夜になると開いていて、こんなところ誰も来ないだろ、と侮ってちらりと覗いたら、ぐでっとしたおっさんたちが飲んでいる。のんべえたちには、いかに目立たない路地裏であろうと、居所を見つけるセンサーが備わっているのだろう。そんな飲み屋から出てきたおっさんがひとり、前を歩いている。右に左に大きく振れながら歩いていくので、これは千鳥足のイデア(そのものずばり)だなと思ったら、おかしくてしかたなかった。

あんまり大きく振れるものだから、車にでもひかれたら困るかな、手を貸した方がいいのかな、とちょっと心配しながら追尾していたのだが、どうもその必要はないらしい。大きく振れながら歩くおっさんの左右の振れ具合は一定していて、右に大きく振れたかと思うと、次はちょうど同じだけ左に振れていて、つねに “ホームポジション” に戻っている。おっさんはおっさんなりにすでに見事に一定の調和を保っているのだ。そしてそうやってちゃんと家にもたどり着くのだろう。そんなおっさんに、あぁそっちじゃないですよ、右には振れないようにしましょうね、とか、次の足はこっちに出して、そうしないと家に帰れないですよ‥‥なんてことを言い出したら、とたんにおっさんは歩けなくなってしまうだろう。

by enzian | 2011-05-19 21:26 | ※街を歩く | Comments(0)

ぬるぬる准教授

とある授業に行くと、毎週毎週、どうしようもなくマイクがぬるぬるだったことがあった。辟易するのだが、たくさんの聴講者を前に「ぬるぬるなので、授業をはじめることができません」と泣き言を言うこともできず、下手をするとつるりとすべりそうになるマイクをもちながら授業をはじめると、いつしかぬるぬるのことも忘れてしまうのであった。

その日もぬるぬるだった。マイクをもった手でノートをめくると油が染みついた。「前の授業の担当者はどこまで脂性(あぶらしょう)なひとなのか」などと言いたかったが、脂性に罪はないのだ。しかもそんなことを言えば、たちまちその教員の名前は調べられ、「ぬるぬる准教授」とか言われかねない。ぼくとて、授業評価アンケートの「プライバシーに配慮している」項目の点数を下げられてもかなわんので、そんなことは言えぬ。進退きわまったぼくは、おもむろに学生たちに背を向け、チョークの粉をそっとマイクに振りかけた――。

by enzian | 2010-12-23 23:11 | ※キャンパスで | Comments(0)

ネギ

不思議な人を見た。年の頃なら50代後半の男性で、背中のリュックの両端から長ネギがながながと出ていて、ちょうど顔の両側に枝垂れかかるようになっている。長ネギは長いから、リュックに仕舞おうとしてもどうしても先っぽの青い部分が出てしまうのはわかる。が、あの露出具合いは、できるだけ長くリュックから出して顔の両側に枝垂れかけるようにわざとしている、としか思えないのだ。くわえて解せないのは、両側に1本ずつであることだ。ぼくもまた長ネギ薬味道に深くかかわる人間のはしくれとして、1本でなくできれば複数欲しいというその思いはわかるが、だとしても、せめて片側2本にするのがよかろう。

よくわからなかったので、ネギからはどんなウィルスでも撃退する強力なプラズマイオン(なにそれ?)がバチバチと出ていて、ネギとネギのあいだにいる人をインフルエンザウィルスから守ると彼は考えているのだ、と納得することにした。

by enzian | 2009-05-30 23:37 | ※街を歩く | Trackback | Comments(16)

各地で頻発する自画自賛

ぼけっ~とネットニュースを見ていたら、「わずかなコメを奪い合い」という文字が飛び込んできた。えぇー!と思って見直したら、「わずかなコメを分け合い」だった。「飛び込んで来た」のではなく、「作り出し、投げ込んだ」のだ。両者の違いはとてつもなく大きい。

残念なことだが、このところの学校現場でも、白を黒と言うだけならまだしも(それも困るが)、自信をもって無から有を創り出す(creatio ex nihilo )、絶対者のごときパーソナリティに出くわさざるをえなくなってきた。これからの学校人は、自分と他人を傷つけることのないよう、この種の “創造者” について、それそうおうの勉強と注意と規程が必要なのだ。ときには、「子どもを守る」だけでなく、「子どもから大人を守る」という観点も必要なのである。しかしそれにしても「えぇ?」と思って画面を見直したぼくはさすがだった。かんたんには認めたくはないが、こういう「見直し」はすぐれた人間愛なしにはできない。

by enzian | 2009-03-21 14:40 | ※その他 | Comments(0)

しなしなの恨み

朝からコーンフレークを食べていたのだ。ぼくは牛乳を飲むとお腹がゴロゴロするのだが、牛乳をしみ込ませてしなしなにしたコーンフレークが極度に好きなので、そのような危険を賭してまでも時にはコーンフレークを食べざるをえない。そうなのである。ぼくにとっては、めいっぱい牛乳がしみこんで、「もうこれ以上しなしなになることはできません、ぐふっ」というぐらいのぐだぐだでないコーンフレークはコーンフレークにあらずなのだ。パリパリカリカリのコーンフレークなぞ、小賢しくて、まったくもって片腹痛い。

ところが、今朝のコーンフレークは異様にパリパリのカリカリで、いくらスプーンで押して牛乳に浸しても、しなしなになりよらん。いつまでもしゃきっとしておる。しかたなく、さっさとしなしなを食べたい気持ちをぐっとこらえて8分ほど待って、やっと、ちょっと硬いけどまぁ及第点だと思えるぐらいのしなしなになった。そういうことで、ぼくはいっしょにコーンフレークを食べる人の分のもパリパリであってはさぞやお困りであろうと考え、コーンフレークの入ったお皿にトクトクと牛乳を注いでおいてやったのである。

今日も朝からいいことをしたと、しなしなになってゆくコーンフレークの様子を見ながらひとり微笑んでいたら、テーブルについたその人は言いましたな。「もぅ食べる直前がいいのに!」。ぼくはなんでもかんでもしなしながいい、とまでは言わぬ。が、有馬の炭酸せんべいとコーンフレークはしなしなが好きなのだ。しなしなの良さを見直すべきである。

by enzian | 2008-12-14 13:01 | ※その他 | Trackback | Comments(20)

全身クッツキムシ男の怪

早朝の通勤電車。頭の帽子から靴まで、まんべんなく、ぎっしりとクッツキムシ(ヌスビトハギの実)がくっついている男性が乗ってくる。
なぜこのおっさんはクッツキムシを取り除かないまま電車に乗ってきたのであるか?その理由をテツガク的に考察してみた。

(仮説1)
実践的自然愛好家。
要は、ヌスビトハギの分布を増やすために、
自分が種子の運び屋となっているのである。

(仮説2)
ファッション。

(仮説3)
クッツカレスト。
くっつかれていることに生きがいを感じるタイプの人だから。
視線が “くっつく” という意味では、注目されたいから、
というのもここに入るだろう。

(仮説4)
罰ゲーム。
隣の車両からは同僚たちが腹を抱えてその様子を見ている。

(仮説5)
転倒。
草むらで派手にこけたが、遅れてはならぬと、
とりあえずそのままで電車に乗り込んできた。

(仮説6)
大器量。
くっつきむしがくっついていることぐらい、
気にしないのである。

(仮説7)
諦念(ていねん)。
自宅がクッツキムシに囲まれており、
毎朝毎朝、家を出る度に派手にくっかれるので、
すでに諦めてしまった。

(仮説8)
なにか違うもの。
それはクッツキムシのように見えて、
なにか違うものであると言ってよい。
(だから、なんなのだ。)

by enzian | 2008-11-08 21:08 | ※通勤途中 | Trackback | Comments(4)