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自分の道づくり

b0037269_2153415.jpg行きたい方向のめぼしがあったのに、道なりに歩いているうちにもとの通りにもどってきて、びっくりしてしまった。びっくりしたといえば大げさに聞こえるかもしれないが、山道ならまだしも、街中では長くこんな体験がなかったのだ。

こういう体験がないことを持ち前の方向感覚の鋭さによるものだろうと自画自賛してきたが、今回のことでどうもちがうような気がしてきた。要は、しばらく街といえば碁盤の目のように通りが整理されたところばかり歩いていたので、もとにもどってくるはずがなかったのだが、ここのような下町の曲がりくねった道を歩いていると、よほど慣れていないと、おのずとそういうことになってしまうのだ。

同じ道を行くなら、学校の行き帰りであっても、できるだけ細くて曲がった、昔からの道を歩きたい。そんな道には意外な出会いがあるし、迷いながら苦労して歩いた道は自分の道になって体のどこかに残るからだ。曲がりくねった細い道には自分のものにできるというよころびがある。それは誰にも開かれたまっすぐの道(路)にはない密やかな愉しみ。あと三ヶ月、どれだけ自分の道ができるだろうか。

by enzian | 2011-06-30 22:04 | ※街を歩く | Comments(0)

すべてを捨てる

b0037269_1121580.jpg珍しくアッシジを扱った番組があったので観た。アッシジは、アッシジのフランチェスコの住んだ街。誰も信じないだろうが、フランチェスコはわたしが敬愛するひとのひとり。

裕福な家庭に生まれ放蕩を尽くした彼は、あるとき、すべてを捨てるという決断をする。イエスの生き方にならおうとしたのだ。すべてを捨てて、「小さき者」になることを彼は求める。我が物を捨て、貧しさのなかに生きることによってようやくひとを愛することもできると彼は考え、生涯それを実行した。

だが、ときどきこうも考える。貧しい家庭に生まれたならフランチェスコは聖人になっただろうか。貧しいなかで苦労して得たわずかのものであるなら、彼は捨てることができただろうかと。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」。イエスはこれを比喩的な意味も含めて言ったのだろうが、貧困に生まれた者が捨てることは金持ちが捨てることよりもはるかにむずかしいと思うのだ。

金銭にせよ、名誉にせよ、地位にせよ、愛情にせよ、一度得たのであるなら、生まれながらにしてもっていたのであるなら、たとえ捨てても「一度は得たことがある」という気持ちが残る。だから捨てやすいのだ。だが、一度も満足には得たことのない(と感じている、そう思い込んでいる)者が手のひらに握りしめたわずかの物(もの)を捨てることができるのだろうか。せめてそれを死守しようとするのではないか。それがなんであろうと。フランチェスコは「小さき者」になることを求めるが、手中にあるわずかの物さえ捨てられない、「小さき者」には到底なれないと苦悩する〈より小さき者〉の立場に、わたし自身はむしろ近い気がする。このブログのタイトルには、密かにそのような意味を込めてある。

by enzian | 2010-10-09 11:27 | ※その他 | Comments(0)

重なり合いつつ移行する

b0037269_095574.jpg家を出て少しぶらぶらしていたら黄色いオミナエシが咲いている。夏がすっかり終わって、秋らしくなってから咲く花かと思っていたが、そうではないらしい。オミナエシにはたくさんの虫が集まっていて、見ていてあきない。花粉がよいのだろうか、蜜がよいのだろうか。「どちらなのだい?」と聞いてみようか。

もくもくと湧き上がる入道雲の下、秋空でもないのに赤トンボが群れをなして飛んでいる。ひとつのことがはじまり、旺盛(おうせい)になって、やがて衰え尽きてから、ようやく新しいことがはじまる。あることが0からはじまり、100になって、またいつか0になって終わって、ようやく別のものが0からはじまる――こういう考え方になじみすぎているのだろうか。

たくさんだとこんがらがるから区切る。たくさんが同時並行となれば骨が折れるから一本線にする。そんな方向になれているから、逆に、たくさんのことに同時並行的にかかわれることが一種の才能として尊敬されたりもする。だけど、ぼくが考えている以上に、もともと物事は全体として重なり合いつつ移行しているのかもしれない。赤トンボが肩にとまった。

by enzian | 2010-08-15 00:13 | ※自然のなかで | Comments(0)

発見の喜び

b0037269_2252334.jpg全体を見て「ここは誤りである」と指摘した場合、この言葉はどういうことを意味しているのだろうか。

まず、「ここは誤りである」という表現は、「ここ以外の部分に誤りはない」「これ以外の部分は正しい」ということを前提しているのではないだろうか。だとすれば、「ここは誤りである」という表現は、「ここを修正さえすれば、それは全体として正しくなる」「ここを修正さえすれば、それはさらによくなるだろう」ということを志向しているのではないだろうか。

だがぼくたちは、というか少なくともぼくは、自分よりも年若い者と接するとき、とりわけ学問にかかわるときには、そうしたニュアンスをすっかり省いてしまって、「誤り」の部分にのみ目を向けてしまいがちなのだ。そしてやっかいなことに、“学問的な厳密さ” を口実にしてそういったアンバランスさを大目に見てもらおうと甘える。

「誤り」にこだわる理由は簡単だ。全体のなかにわずかに見え隠れする誤りを探し出すことは、“発見の喜び” の相を呈するからだ。曖昧に隠れているもの、不明確なままであったもののなかから明確なものを見つけることが学問の喜びだとすれば、こうした “誤りの発見” は学問の喜びと境を接しかねない。学生と対峙するとき、ぼくたちは上のような削ぎ落としてしまいがちなニュアンスを掬い上げ、表現するようつとめることも大切だと思う。

by enzian | 2010-05-22 21:25 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(2)

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刺激の強い表現を含むので、隠します。

by enzian | 2010-03-20 23:02 | ※山河追想 | Trackback | Comments(0)

ミーニャ

b0037269_10202455.gif何度か猫を飼っていました。ミーという聡明なメス猫についてはいつぞや書きました。真っ白だったミーのあとは黒と白のオス猫を飼いました。家族はまたも「ミー」と呼んでいたのですが、ミーといっしょにされるのがイヤで秘かに「ミーニャ」と呼んでました。「ニャ」には「バカ」の意味を込めていたのです。いつも洗練された身のこなしで、自分で引き戸を開けて、お手もできたミーとはちがって、“才能” らしきものはこいつのどこにも見当たらないようでした。

ヒマさえあればメス猫を追いかけまわします。メスの取り合いをして負けて傷を負ってくるものだから、年柄年中、赤チンを塗ってやらねばならないのです。赤と白と黒の三毛猫でした。瀕死の重傷を負ってきたこともあります。メスをめぐって命を賭(と)すなど、つくづく畜生のやることはわからん、と思ったものです。看病しましたが、治った頃合いをみて、平手で顔をバンバン叩いてやりました。伸びたヒゲはいつもきれいにハサミで切り、眉はマジックで書いてやっていました。ほかにも 各種 “虐待” を加えたのですが、良い子が見ているこのブログでは、そんなこと口が裂けても言うもんですか。

メス猫とのデートを楽しんだあとは、早朝にぼくの布団に潜り込んできます。すっと潜り込めばよいものを、どういうわけか足先からぼくの体をじわじわ一歩ずつ踏んで胸元まで上がってきて、顔の横から布団に入ってくるのです。ミーニャなりに、その一歩一歩でなにかを表現していたのでしょう。メス猫を追っかけてしばしば行方不明になり、その度に戻ってきたのですが、最後はいつのまにかいなくなりました。その意味ではミーと同じでした。ぼくは多くのことを人から学びましたが、猫からもなにがしかを学んだように思います。

by enzian | 2010-02-28 14:53 | ※山河追想 | Trackback | Comments(34)

バレンタインデーの贈り物

b0037269_23253335.jpgなにかよくわからない重しがずっと頭の上に乗っかっていて、それがぼくを滅入らせていた。もうすぐバレンタインなのか‥‥。検索をかけて古書店を回ることにした。何度探しても見つからない本を探すのだ。あれ以来、一度としてその書名さえ見ることのない本。風の噂では、著者はその本を良しとせず、出版してすぐにすべて回収したという。

その本は母からプレゼントされたのだった。いや厳密にいえば、ぼくはそれを母からは受け取っていない。それは母からの最初のバレンタインデーのプレゼントだったが、そのときぼくと母は不仲で、ついぞ母はそれをわたすことができなかった。ぼくは親思いの良い息子ではなかった。苦労するためだけに生まれてきたような母の生涯の最後の部分を墨汁で黒く塗りつぶしたのが、ほかならぬぼくなのだ。本はチョコレートといっしょに台所の棚の上に置かれたままだった。次の年のバレンタインデーの少し前、母はあっけなく逝った。法事が終わった夜、赤い包みを開いて1年前のチョコレートを食べ、ぼくは本を読んだ。その後、法事の混乱に紛れて本は紛失してしまった。

あるはずがないと思っていた本が見つかった。沖縄の古書店が所蔵していた一冊だった。古びているので、壊さないよう慎重に読み進める。この内容だった。何十年の時を隔てて、記憶は残っていた。本論と後書きの間のスペースになにか書いてある。人目を避けて書かれたものなのだろう。かすれかけた文字はこう書いてある。「ぼくが悪かった。2月14日」。その瞬間、天から雷が落ちてきて、体を貫いた。それは自分の字だった。

by enzian | 2010-02-14 00:01 | ※山河追想 | Trackback | Comments(27)

絆創膏

b0037269_22153892.jpg定期試験も終わり、大学はお別れへの助走期間に入った。たくさんのさよならをするのだ。

ぼくは「また会いましょう」という言葉をほとんど使ったことがない。方々で「鬼」と評され、そしてその評価はじつに正確なのだが、かといって「また会いたい」という気持ちがないわけではない。ひとたび出会って情が移れば、もう二度と会えないなんて誰だってやなこった。そんなの、当たり前じゃないか。

ぼくが「また会いましょう」といわない理由はふたつ。ひとつは、再び会っても、喜んでもらえるようなものはなにも持ち合わせていないと思うからだ。もう会わないことは、運悪く一度出会ってしまったことへのおわびのしるしなのだ。もうひとつは、ぼくの場合、追いかける(というより、正確には追尾する)能力が人並み以上に備わっているので、追わないでおくこと、視界に入れないようにすることに全力を尽くさねばならないからだ。もう逃がしてあげなきゃ。目を閉じて、包帯をぐるぐるに巻いて、その上に絆創膏を貼って留める。

by enzian | 2010-01-31 22:18 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(12)

山田の向こうの山田

b0037269_2213347.jpgどの漢字を使ったらよいのかいつも迷う言葉がある。「こえる」だ。長いあいだ、「越える」と「超える」、どちらを使うかでぐらぐら揺れている。

もちろん文脈にもよるのだけど、院生のころは好んで「超える」を使っていた。自分が明らかにしようとしているものは「超える」ものにちがいない。「越える」では弱い気がした。実際はさしてちがわない意味なのかもしれないが、ぼくのなかでは、「越える」は同質のものへの変化であり、「超える」は質的に異なる――しかも優(上)位にある――ものへの変化という印象があるのだ。

中学に入って間もないころ、地区の山に登ったことがあった。山の向こうになにがあるのかどうしても見たかったのだ。そこはもう大阪なのだと聞いていた。稲も作れそうにないような山田を過ぎて、うっそうとしげる熊笹をかきわけて、やっと山の頂にいたった。視界が開けた。見下ろしたそこには、こちらとなにも変わらない山田が広がっていた。

by enzian | 2010-01-11 18:57 | ※山河追想 | Trackback | Comments(12)

救われる

b0037269_9453382.jpg前を歩く少し腰の曲がったコート姿は老人らしい。据え置きの消毒液の前で止まり、液を手につけ、またトコトコ歩き出す。

見かけない方だ、どこの方なのだろうと思ったが、わずかに横顔が見えて、わかった。3年前に立ち話しした際にはもう少し背はまっすぐ伸びておられたはずだが。横顔の雰囲気からも、ずいぶんお歳を召されたように見える。後ろからお見かけしただけだから、それはたんなる思い違いなのかもしれない。

ゆっくり歩く老人を追い越さないように歩く。ここで働きはじめて、どれほどの学生がこの老人のお世話になったことか。先日もまた、この方は一人の命を救ったのだった。腰が曲がってもなおここに足を運び、もくもくと縁もゆかりもないひとの力になろうとする。このひとを動かすものはなんなのか――小さな老人の背中を見つめながら考えていた。自然に頭が下がってしまって、困った。救われているのは、学生よりもぼくの方なのかもしれない。

by enzian | 2009-12-29 22:39 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(8)