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聖域としてのラーメン

b0037269_22493970.jpgラーメンがあまり好きではない。以前はそれなりに食べていたのだが、いつごろからかラーメンがブームになって “国民的な食” と言われはじめ、街のそこここにラーメン店ができ、しばしばそこに長蛇の列を見るようになってきてからは、めっきり食べなくなってしまった。

同じような理由で、ぼくは高校野球や高校球児が好きではない。ややこしいことを言うようだが、高校野球も高校球児も嫌いなわけではないのに、高校野球も高校球児も好きではないのだ。同じように、ぼくは赤ちゃんが好きではない。赤ちゃんが嫌いなわけではないのに、赤ちゃんが好きではないのだ。

それはこういうことだ。例えば、ぼくが、試合に負けて泣いている高校生を見て「あの光景のどこが美しいのですか?」とか、赤ちゃんを見て「どこがかわいいのですか?」と真顔で聞いたとする。すると、聞いた人の何割かは答え(どの部分が美しいとか、どの部分がかわいいとか)を考える前にぼくに恐怖し、警戒することだろう。ぼくは美しくないとも、かわいくないとも言ってないのに。このとき、高校野球や赤ちゃんは、それにかかわる者に議論の余地を与えない聖域となっている。問うべくもないものとして、答えはあらかじめ決定しているのだ。ぼくは、こういう批判を許さぬ聖域となったとき、とたんにある意味でそれが好きではなくなる。

墓参りに行ったとき、以前から気になっていた小さな食堂に入ってみた。昔ながらの黒い札のメニューが壁に掛かっている。「中華そば」を頼んでみた。出てきた素朴なラーメンは、やっぱりとても美味しかった。

by enzian | 2008-04-17 23:12 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

自分でよかった。

b0037269_22542562.jpgとても重い病気になった人が、「病気になったのが自分でよかった」と発言していた。その言葉には動かされたのだけど、自分が同じことを言えるのか?と問われれば、わからない。風邪ぐらいなら、家族でなくて自分でよかったと思えるだろうが、非常に重く辛い病気であれば、相手が家族でも、自分でよかったと言える100パーセントの自信はない。

冒頭の人なら、「辛い病気だからこそ、家族でなくて自分でよかったのだ」と言うのだろうが、たぶん、ぼくは「自分でよかった」より、「なぜ自分が?」ということにこだわって生きている。

相手が誰であろうと「自分でよかった」と言えるような人、「なぜ自分が?」から「自分でよかった」への完全な転換ができている人とは、どんな人なのだろう。宗教であれば、そのような人は人であってすでに人でない、ということになるのだろうか。完全とか100パーセントとかにこだわる必要なんて、ないんだけど。

by enzian | 2008-03-25 22:45 | ※テレビ・新聞より | Trackback | Comments(0)

春の夕

b0037269_19481336.jpg人心地ついて周りを見回してみたら、もう学生たちは卒業していた。構内はひっそりとしている。

8年生、7年生、6年生‥‥。卒業させるべきかどうか、いっそ、卒業させない方が学生にとってはいいのかもしれない、と悩んだ。学生の幸せではなく、学生を卒業させた自分の満足感を望んでいるのではないか、と思ったこともあった。

けっきょく、卒業させるためのあらゆる手段をとった。結果、16人全員卒業。一言の挨拶もなく去っていった者もいるが、それはそれで謙虚に受け止めねばならない。挨拶さえしない、というのが、ぼくがこれまでやってきたことに対する彼らの “総評価” なのだから。

人が自分から離れゆくために全力を尽くす仕事を味わい深いと思う春の夕。

by enzian | 2008-03-22 18:15 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)

安心

b0037269_20461361.jpgここ何日か、寝る前にくりかえし見て、聴いている動画がある。「日本 映像の20世紀」のオープニングテーマだ。音楽、映像の全体が好みなのだけど、特に最初の部分に映っている少年と少女が、切なくて、かわいらしくて、しかたない。

少女は少しお姉さんなのだろうか、この状況、もういったいどうしたらいいの‥‥とばかりに、ちらりと少年を見て、肩を揺らしながら照れている。少年も照れている。2人は手をしっかりつないでいる。手をつなぐって特別なことだもんね、どうしてかはわからないけど‥‥。

ずいぶん古そうなフィルムだが、いつのものなのだろう。いまごろ、2人はどうしているのだろうか。ひょっとすると鬼籍の人なのかもしれない。これはとても思い上がったいいかたなのだけど、自分の知らない時代にも、ほのかな照れがあったのだ。悲しいこともあったにせよ、楽しいことや、どきどきすることがあったのだろう。そう思うと、なぜか心が安らぐ。

by enzian | 2008-02-17 22:43 | ※その他 | Trackback | Comments(4)

新世界

b0037269_11242360.jpgごちゃごちゃ加減ががまんならなかった。不潔な側溝に目を背けたくなった。作り置きした料理をケースからとって食べる父がいやだった。他人が握った寿司が好きではなかった。真っ昼間から博打に興じる人たちに吐き気をもよおした。異形の人たちに恐怖を感じた。すれ違う人にぶつからないよう、身を縮めるようにして歩いた。

そんな街に行きたくなって、いてもたってもいられなくなった。じゃんじゃん横町は心なしかさびれていたが、通天閣に通じる通りは、あの頃よりも華やかになっている。たこ焼きを食べ、串カツを食べ、通天閣に登って街を見下ろした。ありんこのような人たちを見ながら、なぜまた来たくなったのか、なぜいまこの街に心ひかれるのか‥‥と考えていた。楽しいのだ。目に入るものすべてが新鮮で、わくわくさせるのだ。ぼくはごちゃごちゃした街を撮った。

インドもそうだった。帰ってすぐは、あんなごちゃごちゃして油断ならないところ、二度と行くもんかと思ったが、いまではすっかり懐かしくなっている。時が感情を濾過してくれたのだろう、その濾過はときにぼくを苦しめもするけど‥‥。といっても、時間という物がぼくの外にあるわけではない。それはぼくの内側にあって、きっとぼくの一部分を占めているものなのだ。だから、ぼくは自分で自分を、なかなか地道によく頑張っておる、えらいぞ、立派だ、と褒めてやる。

by enzian | 2008-02-10 10:32 | ※街を歩く | Trackback | Comments(27)

熾火(おきび)

物事のはじまりは、ときに華やかだ。たくさんの人たちが寄り集まってくる。みんなが夢中になって、口々に蝶よ花よとほめそやす。花火が打ち上げられて、いろんな話題が飛び交う。夜店が立ち並ぶことだってある。でも、いつか花火大会は終わって、誰もいなくなってしまう。夏も終わる。

わっと群がって、押しかけて、潮が引くようにいなくなる人たち。でも、そんな人たちを尻目に、かまどに残った炭の熾火のようにいつまでも冷めないでいる人がいる。激しく燃え上がって天を焦がすことこそなく、派手にはじけ飛び広がることもないが、たしかな熱を保ち、人を暖め続ける人たちだ。継続的ボランティア。こういう人にはかなわない、と思う。

阪神大震災から13年。

by enzian | 2008-01-17 05:46 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

なにもしない、ということ

b0037269_23361686.jpg12月に風邪をひいて、2日ほど寝込んだことがあった。こじらせないよう安静につとめたのだけど、そのとき改めて思ったのは、テレビを見ず、本を読まず、人とも話さず、なにもしないでいるのは意外につらい、ということだった。

ぼくらはいつもたくさんのことをしているのだろうけど、きっとそのほとんどは習い性(生まれながらの性質のようになった習慣)になっていて、ふだんは意識していない。でも、いざ、そういう習い性にストップをかけるとなるとけっこうエネルギーがいる作業で、これは例えば、緩い坂道をゆっくり落ちてくる鉄球を止めることを考えてみればよい。「なにもしないでいる」ということは、「なにもしていない」のではなく、「なにもしないでいるようにしている」ということなのだ。

なにもする気がしないとか、なにも考える気がしない、という状態を、いまさらながらだけど、しっかり考えてみないといけないな、と思った。ただ、それだけなんだけどね。

by enzian | 2008-01-14 22:57 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

冬も好き。

b0037269_23332247.jpg季節はいつが好きですか?と聞かれれば、春です、と小さいころは答えることにしていた。そのうち、いつごろからか、秋か春かどちらが好きなのかわからないぐらいになってきた。もちろん、夏は好きだ。夏休みがある夏がきらいなわけなど、ない。

それが、このごろは困ったことに冬も好きになってきてしまった。祖母の晩年は冬が苦手だった。祖母がインフルエンザにかからないか、来る日も来る日も冷や冷やしていた。4月の声を聞いてインフルエンザが終息するころになると、いつも、ほっと胸をなでおろした。

祖母がいなくなってからは、冬の心配の種がなくなった。歳をとったせいか、寒い朝に起きるのも苦にならない。老いて、よいこともあるのだな。たまの雪もいい。お餅や鍋物はなおいい。でも、なにをさしおいても、身を切るような冬の夜の星空。これが絶品。

by enzian | 2008-01-12 22:09 | ※その他 | Trackback | Comments(0)

小さな出来事

授業の合間にぼくは窓の外を見下ろしていた。窓からは大学の中庭がよく見える。中庭には大きなクスノキが一本立っていて、それを避けるように、人が二手に分かれて学舎から学舎へと移動してゆく。クスノキの根元に小さなノートの切れ端のようなゴミが落ちていた。見慣れた職員さんが歩いてくる。ぼくは見ていた。いや、拾いはしないだろう‥‥

彼はゴミを拾い、くずかごに入れて、何事もなかったようにすたすた去っていった。ぼくなら、拾わない。あの程度のゴミなら。落ちていたのが学生証やミカン箱や千円札なら拾っただろうが、あのゴミなら拾わない。気づかないうちに、ぼくは拾うべきものと拾わないですませられるものを区別しているのだ。われながら自分をあさましいと思った。

今年は、ノートの切れ端を拾えるような人になろう。

by enzian | 2008-01-02 16:37 | ※キャンパスで | Trackback | Comments(0)

新世界より

b0037269_18551519.jpg神戸、三宮の後藤書店が1月14日で閉店するという。かつて通いつめた古書店だ。後藤書店のことを考えていたら、忘れかけていたことをあれこれ思い出した。

ブログの禁を破りました。

by enzian | 2007-12-28 15:40 | ※その他 | Trackback | Comments(40)