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中程度のエゴイスト

他人なしに自分がないことはもちろんですが、自分の幸せを求めるためにひとは生まれてきているのだと思います。自分の幸せを謳歌(おうか)するために、幸せを味わい噛みしめるために私たちは生まれてきたのではないでしょうか。

誰であろうと、たとえ大きな恩を受けた親であろうと、その意向に添うために自分の幸せを切り詰め無くしてしまうことはありません。親の幸せとは、誰ともちがう、とうぜん自分たちともちがう幸せを求めていく、これまで世の中に一度も存在したことのない、たった一人の独立した人間を育てることができた、ということに基づく(はずの)ものなのではないでしょうか。親に自分の人生を捧げ尽くす必要などないのです。

私がこのようなことを書くのは、自分よりも親の人生を大切だと思う、自分に独自の価値があるとは心底からは思えない “心やさしいひと” の気持ちを変えようとしてでのことではありません。そんなこと、できるわけありませんもの。ただ書きたいから書いているだけ。
(写真をクリックすると拡大します。)

by enzian | 2010-10-23 21:43 | ※その他 | Comments(0)

傍若有人

>哲学的に、とはどういうことなんでしょうか。

「哲学的に考える」(=哲学すること)という場合の
「哲学的に」ということを説明すれば、
以下のような要素を含んでいるでしょうか。

一つのテーマ(日常の当たり前)について、
①常識にとらわれずに柔軟に考える
②(①と重なるが)いろいろな角度から考える
③(②と重なるが)ねばり強く考える


ただし、①にしても②にしても③にしても、
考える際には最低限のルールが必要です。
それをあえて言えば、
④論理的に考える
ということになるのでしょう。

AはBである。
BはCである。
したがってAはCである。

これは論理的に正しいですが、

AはBである。
BはCである。
したがってDはCである。

これは論理的に正しくありません。
①②③は④を前提条件としているのです。

①から④の要素を満たすには、
本当に正しいのだろうか?他の意見がないだろうか?と
自分で自分にツッコミを入れながら念入りに考えることが必要になります。
ツッコミを入れるためには自分のなかに自分以外のひとの視点が必要です。
A君ならこう言うかも、でもB先生ならこう言うかもしれない‥‥といった感じの。
(④については、野矢繁樹『新版 論理トレーニング』が参考になります。)

つまり、最後は自分で決定せねばならないという意味で哲学は孤独な営みですが、
同時に、ひとりで哲学することはできないのです。
傍若無人(傍らに人が無いかのように振る舞う)という言葉がありますが、
哲学はつねに “傍若有人” でなければなりません。

最後に哲学体質のひとにお伝えしておきたいことがあります。
それは、哲学体質のひとはどこまでも考えてしまいますから、
そうしたひとのなかには、正確に考えようとしてきりがなくなって
ぐるぐるとした渦のなかに入り込んで、
自分がつくった渦のなかで溺れてしまうひとがいることです。

ときにはふっと力を抜いて、
むずかしいことを考えずに友だちとだべったり、
ぎゅっと子犬を抱きしめたり、ぼ~っと自然を眺めたり‥‥
健康に生きていくためにはそのようなことも大切なのです。
このことも忘れないでください。

by enzian | 2009-11-14 23:59 | ※その他 | Trackback | Comments(4)

返答

あなたが寄せてくれたメールについて、
私の考え方を書きたいと思います。

>私は、自分の存在価値とは何か?
なぜ苦しくても生きていかなければいけないのか?を勉強したいのです。

私はブログを書いていますが、
以前、以下のような記事を書いたことがありますので、
できれば、コメントなども含めて読んでみてください。
http://enzian.exblog.jp/2685153

上の記事は少し以前のものですが、
「なぜ苦しくても生きていかなければいけないのか?」と問われれば、今は、
「苦しくてもぜったい死んではいけない、とまでは言えない。
しかし、できれは生きていて欲しい」と答えるでしょう。

「では、なぜ生きていて欲しいと願うのか?」と問われれば、
「あなたの姿形や考え方は私に似ているから」と答えるでしょう。

「では、なぜ私に似ていれば生きていて欲しいのか?」と問われれば、
「私が生きていたいから」と答えるでしょう。

「なぜあなたは生きていたいのか?」と問われれば、
「私は私が大切であることを知っていて、
私を大切に思っている人がいることを知っているから」と答えるでしょう。

「しかし、自分はあなた(enzian)のように生きていたいとは思わない。
私は自分が大切だとは思わないし、
生きていかねばならない理由がわからない」と言われれば、
最初の答えに戻るか、沈黙せざるをえないでしょう。

と、私の答えは現時点でも答えになっていないのですが、
ここで、二つのことが言えると思います。

まず一つは、美しい答えを出すことが哲学ではなくて、
自前の問いについて考え続けることが哲学であるということ。
そういう意味では、すでにあなたは立派に哲学をしています。

もう一つは、自分や他人を大切に思うことは、
人との関係のなかからしか生まれてこない、ということです。
自分の言葉に耳を傾けてくれる人がいるというのは、
そうした関係の一つなのです。

by enzian | 2008-07-06 18:53 | ※その他 | Trackback | Comments(17)

なんの役にも立たないことをしてはいけないのか?

なんでもいいから人のためになりたい、と言う人がいる。自分の体を使って人のためになろうとする人もいるし、人が必要とする物(モノ。目に見えないものも含む)をつくって人のためになろうとするもいる。そういう人たちを見ていると、こっちまでやさしい気持ちになれるし、やっぱり人間っていいなぁと思えたりする。そんなことにナンクセをつけるほど、バカじゃない。

でも。だからといって、なんの役にも立たないことだからやっちゃいけない、なんてことにはならない。自分がすごくおもしろいと思ってやっていることをふと考えてみたら世の中の役には立ちそうにないから‥‥、なんて変に自信をなくしたり、まして、それを理由にしてやめてしまう必要なんかない。大きな目的があるのはいいことだし、目的に向かっていちばんいい手段を考えるのは大切なことだ。だけど、そういう目的と手段のつながりから外れたものだから捨てないといけない、理由づけがうまくいかないから控えなくちゃいけない、なんて思わない。

ある本のキャッチフレーズにはこう書かれていた。「受験の役には立ちませんが、人生の役には必ず立ちます――」。この先の受験の役に立たなくても、ひょっとすると人生の役に立たなくても‥‥要はなにか別の大いなる未来の目的のためにはからっきし役立ちそうになくても、それが今 “おもしろい” と思えるならやっていい。ただし、その結果として人を悲しませることがなるべく少なくて済むような工夫はいる。そういう意味で、先の見通しは必要なのだと思う。

by enzian | 2007-03-18 11:54 | ※その他 | Trackback | Comments(22)

“小さな孤独” のススメ

ひとりでいることにもそれなりの意味があると思っています。
引きこもりやニートが社会問題になっていることは痛いほど知っていますが、
だからといって、ひとりになってはいけない、ということにはなりません。

生涯を通じてひとりというのはさすがに極端かと思いますが、ときにひとりになること、
“小さな孤独(プチ孤独?)” は必要だと思っているのです。

どんどん複雑になる社会で生きてゆくのはくたびれる作業です。
さまざまな情報を受け取り、それを処理しながら取捨選択を行ってゆかねばなりません。

情報を受け取るアンテナには、個人差があります。
テレビやラジオのアンテナはたくさんの情報を受信できるものがよいに決まっています。
でも人間のアンテナの場合、あまり性能がよすぎるのも考えものです。
情報が多すぎると、処理できずにCPUがパンクしてしまうからです。
そういう意味では、ちょっと鈍なアンテナをもっている方が生きるには楽なのでしょう。

運悪く(?)性能のよいアンテナをもってしまった人はどうしたらいいのでしょうか?
処理能力を高めようとするのもひとつの手ですが、容易なことではありません。
手っ取り早い方法は、新しい情報を受け取ることをときにしばらく休んで、
処理作業に没頭できるひとりの時間を作ることでしょう。

ひとりでいることを蛇蝎(だかつ)のように嫌う人がいます。
グループ活動や団体行動が人間への至上命令であるかのように迫ってくる人がいます。
いつも誰かといることを強迫観念のように感じている人さえいます。
寂しさを恐れているからでしょうか?
それとも、非生産的であることを恐れているからでしょうか?

もしそうだとしたら、そういう恐れは、“小さな孤独” には必ずしもあてはまらないでしょう。
自分自身との対話にこのうえない豊かさを感じる人がいて、
新しい情報をいったん遮断することが、
社会で生活してゆくためにどうしても必要であると感じている人がいるからです。

「ときどき、人間が誰もいないような場所に行きたいという衝動に駆られる」
「誰も自分を知らない土地に行きたくなる」と言う人は、ひとりやふたりではありません。
いずれも、すぐれたアンテナをもった人たちです。
小さな孤独を利用してうまく乗り切ってくれれば、といつも思います。

by enzian | 2005-10-07 21:02 | ※キャンパスで | Trackback(2) | Comments(37)