身の周り半径5メートルほどにある、なにげない日常をささやかに見つめ直します。


by enzian
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見ず知らずの少女

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京都府の中央部、丹波高地に囲まれた地にかつて下山村という村があった。下山は古くから街道沿いにある宿場町として栄えてきたが、大正末には山陰線に下山駅が開設され、周辺地域の要衝となったという。そのころの話しであろうか、山深い里から下りてきた子どもが一人、下山の賑わいに驚いて「ここは京かい?」と大人に尋ねたという。大人は「ここは京やない。京はここの三倍や」と答えたという。

私はこの子どものことも、下山や周辺の土地のことも知らない。この子がその後この短いやりとりを覚えていたのかどうかも知らない。この子自身、もう存命ではないだろう。この話をひとを通じて私に伝えた方もすでにこの世にない。しかし私はときどき、この会ったことも見たこともないこの子のことを思う。この子は私のなかではなぜかもんぺを着た少女の姿となって、京の三分の一の街並みを見つめているのだ。その後、本当の京に行くことはあったのだろうか。楽しいことや悲しいことがあったのだろうか。

私のなかには、こういう見ず知らずのひとが何人か住んでいる。そしてあるとき、そのひとのことを誰かに話したくなる。

# by enzian | 2021-11-21 11:02 | ※その他

氷のような無関心

熱心になにかを批判(批難の意味)するひとがいる。事細かに批判する。いつでも批判している。なにかを目の敵にしている。そういうひとは苦手なのだが、考えさせられることがある。たいてい、執拗に攻撃するポイントとは対照的に、決して批判しない真っ白な聖地をあわせもっているからだ。ぼくは長く、個人的にこういうひとが苦手なのは、執拗になにかを批判する際の表立った熱量の暑苦しさによるものだと思っていたが、そうではない気がしてきた。むしろ、まったく無批判に受け入れている空白をあわせもっていること、空白を歯牙にもかけないという、特定の方向への氷のような無関心さとの温度差のアンバランスが解せないのだ。ひとをみるには取り巻きの人間をみればよいというのはよく言われることだが、こういう意味では、けっして周りに居ないひとが誰かをみれば、そのひとのなにかがみえてくるのかもしれない。
# by enzian | 2021-10-24 10:49
学習欲望の場としての学校_b0037269_10311550.jpg
三大欲求という言葉がある。ヒトとして生きていくうえで最も重要な欲求といった意味なのだろう。学生と三大欲求について話すことはあまりないが、彼らをみていると、成績が思わしくないような人であっても「学びたい」という欲求はかなりはっきりもっている場合が多くて、その強さはときに他の欲求を抑え込むぐらいになっている。

だから、そういう学習意欲もった人がなにかの理由で学ぶことのできない場合の苦悩は、「修了できなくても命にかかわることはない」などと軽口をいえるようなものではない。「学習意欲」を超えて、これはほとんど自己の生存にかかわる「学習欲望」や「学習執念」といったものではないかと思える場合もある。学校といえば、ややもすると、子どもが学ぼうとする気持ちを受け入れる麗しい場所といった印象があるかもしれないが、こういう意味では、欲望や執念の渦巻く場所だということになる。

# by enzian | 2021-10-10 20:51

コメント欄

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# by enzian | 2021-10-05 22:42 | Comments(20)

自分的には奇跡

自分的には奇跡_b0037269_09505519.jpg
庭にリンドウが生えはじめて驚いていたら、先日、アミガサタケが一本、生えているのを見つけた。こんなことがありうるとは。自分的にはこれはどうどうの奇跡なのである。GWはどこにも行けそうにないが、ちょっと近所の里山を見て回ろう。遅めのアミガサタケが生えているかもしれない。
# by enzian | 2021-04-30 10:04 | ※自然のなかで