邪気
2009年 03月 20日
踏みつけられた邪鬼ばかりに目がいって
しまいます・・(^^ゞ
かなりユニークなやつを見つけたりすると、
本像そっちのけで邪鬼ばかり観ています(笑)
>(2)四天王像の足の下に踏まれている怪獣。
そうじて仏教の真理になじまないもの、
邪魔をするもの、という風に考えてよいのでしょう。
でも、仏座をささえたりしているときもありますよ。

邪鬼も1匹の場合と2匹の場合があって、図像上それも定則はありません。
私の推測では、四天王はインドでは辺境種族の軍人の大将の神格化のようです。辺境異民族を邪鬼で表現し、彼らが四天王を支えていると考えられます。辺境少数民族に対する差別意識も関連するかもしれません。
ちょっと変わっているのは、東寺の兜抜毘沙門天が、端正な地天女が両手で足を支え、地天女を2人の小人が介添えをしています。大地の女神が支えているというところが興味深いところです。謎は謎のままです
無邪気はあどけない子供のときならいざ知らず
大人になればもう相応しくはないような気がしませんか?
だとすれば人と人との関わりの中での邪気というのは案外
潤滑油のような役割も果たしているのやもしれません?
なぁんて解釈はやっぱりよこしまなのかしらん。。。。
お久しぶりです。
お元気ですか?^^
>私の推測では、四天王はインドでは辺境種族の軍人の大将の神格化のようです。辺境異民族を邪鬼で表現し、彼らが四天王を支えていると考えられます。辺境少数民族に対する差別意識も関連するかもしれません。
情報、ありがとうございます。
実はぼくは、邪鬼のなかには、
たぶんに“心理的な気の迷いの象徴化”というのが
入っていると考えていました。
が、Buddhistyosshinさんのおっしゃる通りなら、
特定の民族の象徴(神格化)としての意味が
あるということになるわけですね。
それはとても興味深いです。
しかしそれにしても、
踏まれながら幸せそうにしている邪鬼はどう
解釈すればよいのでしょうか。
軍人を支えることの喜び、でしょうか。
あるいは、時代を経るにつれて邪鬼には
いろんな民族の思想が入ったのかもしれません。
>ちょっと変わっているのは、東寺の兜抜毘沙門天が、端正な地天女が両手で足を支え、地天女を2人の小人が介添えをしています。
とても興味深いですね。
Buddhistyosshinさん、
邪鬼に表現されるものをどうぞ整理してください。
本になさったら買います。^^
ひやぁっほ~♪
>邪鬼を不憫に思うのは邪気なのだろうか。
不謹慎にも、邪気さん、ほどよく足踏み方式のマッサージ
を受けているようで、痛っ気持ちいい~・・な表情に見えるのは
私だけ?!
誰やねん・・って?!
毒きのこでした(爆)
>この記事を読んで、アンパンマンにやっつけられるバイキンマンを想いました。こどもの頃アニメを見ながら「正義の味方だったら何をしてもいいのだろうか・・・、バイキンマンだってたまにはいいことしてるのに」なんて思っていました。今だったら「正義には正義の、悪には悪の立場があり・・・そして互いの存在を支えあってうんぬん」なんて言うかも^^
えぇ共感しますとも。^^
バイキンマンにはバイキンマンの立場があって、
彼は彼なりにいいところもあるのですよね。
あるいは、毒きのこさん。
どっちがよいですか?
それにしても、love-heavenとは‥‥
恐るべし‥‥(- -;)
>気持ちいい~・・な表情に見えるのは
私だけ?!
見えんこともない。^^;
と、いうか
この名前でなければ
弾けて物が言えない・・かも^^;
桜の季節ですね
不思議とenzianさんのブログは
春=黄色っぽいイメージがあります
菜の花画像や猫ちゃんとツクシ・・の影響でしょうか??
邪気から話題はそれますが・・
どの時期の桜がお好きですか?
よかったら教えてください
咲き始め・満開・散りぎわ・・・
私はちなみに桜吹雪のトンネルをくぐり抜ける頃・・です☆
‥‥で呼ぶことにします。
(なんなら、猛毒きのこ
にグレードアップしてもいいけど‥‥^^)
>不思議とenzianさんのブログは
春=黄色っぽいイメージがあります
菜の花画像や猫ちゃんとツクシ・・の影響でしょうか??
かもしれないですね。
ぼくは青系が好きなのですが、
めずらしくここの部分などは黄色系を使ってもいます。
>どの時期の桜がお好きですか?
散り際もいいですね。
咲き始めもいいですよ。
いよいよこれからだ、と思えますからね。
散った桜の花びらが小川を流れるのを見るもの
よいでしょう。
にグレードアップしてもいいけど‥‥^^
!!!!
ん、もう
enzianさんの意地悪~
悪い子は邪気の画像みたいに
〆切や論文が
頭上に覆いかぶさってきますからね~ダ
くぷぷ^^

紀元前2世紀のヤクシー女神の踏む邪鬼から考えると、踏むというより支えると理解したいと思います。やはり当時の流行の神格であったヤクシャ(夜叉)は、仏塔の尊格を両手で支えています。兜抜毘沙門天は地母神が支えているとすると、地母神が毘沙門天を支え、毘沙門天が仏教を護ると解釈できます。
繰り返して申し訳ありませんが、仏教美術も異民族差別の歴史を背負っており、そういうことが複合して日本の四天王の邪鬼となったと考えます。あくまで仮説で、謎ですから、本にするなんてとんでもない。でも、謎解きと言うのは面白いですね。
無邪気にいろいろ想像をめぐらせましょう。
>造形表現(美術)にはそういう要素も多分にあります。「あまんじゃく」(天の邪鬼)はそういうところからの造語かもしれません。
ありがとうございます。
>紀元前2世紀のヤクシー女神の踏む邪鬼から考えると、踏むというより支えると理解したいと思います。
邪鬼というのは踏まれているものである
というのが一般的な理解だと思いますので、
とても興味深いです。
>無邪気にいろいろ想像をめぐらせましょう。
お見事なまとめですね。^^
謎を残してくれたいにしえの人々に感謝です。

おせっかいな部下が泥がつかないように苦笑しながら支えてるんですよ!
・・・と、ええと、がんばって想像してみたんですが・・・
社会人風味です。いかがかな。
邪鬼さんはいつも一人で支えてますよね。
二、三人仲間を呼んだらもっと楽そうなのですが、
一人でがんばっているところを見せたいんだ。きっとそうだ。
>社会人風味です。
むしろ低年齢化しているような‥‥
>邪鬼さんはいつも一人で支えてますよね。
二、三人仲間を呼んだらもっと楽そうなのですが、
一人でがんばっているところを見せたいんだ。
いつも一人というのは意味があるのかもしれませんね。