「手当たり次第」の恐怖

問題をできるだけ細かく分け、分けた部分に順番をつけてひとつひとつ、ひとつの残りもなかったと確信できるぐらいに全体に目を通す。ある哲学者は、こういうのは当たり前のことのように思えて、しっかりできている人は意外に少ないと言っている。自分もできていないだろう。自分はそうだろうけど、自分のことは棚に上げて、これと反対のことをしている人をみるとぞっとする。反対のこととは「手当たり次第」ということ。

手当たり次第な人にとっては問題の本質がなんであるかとか、相手がどういう価値をもっているかということはどうでもよくて、問題が生じる度に、それこそ手当たり次第、順序も相手のなんたるかも考えないで道具として使って解決しようとする。それでまったく解決しなければなにかを考えるきっかけになるのかもしれないが、周囲の善良な人たちが全力で尽力するものだからそこそこ解決してしまう。だが、解決してもなぜ解決したかをわかっていないものだから、新しく問題が起こっても相変わらずどう解決したらよいかわからない。手当たり次第の範囲を広げることでその後の問題に対応していくしかない。傍迷惑な話だが、それで人生を生き切る人もいる。

以前はこういうタイプのある程度の年齢の人をみても我慢したり、おせっかいにも注意しようとしたこともあったが、いまではこういうのは生き方に根づいた性質で外からどうこうできるものでもないと気づいて、「逃げる」のコマンドを選択して(古いなぁ)、早々に逃走するのがよいと思うに至った。
by enzian | 2018-02-11 22:43

身の周り半径5メートルほどにある、なにげない日常をささやかに見つめ直します。


by enzian
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