身の周り半径5メートルほどにある、なにげない日常をささやかに見つめ直します。


by enzian
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『釣れなくてもよかったのに日記』(福島昌山人)

b0037269_21343447.jpg「追悼 福島先生」。突然の文字に、パソコンの前でしばらく固まってしまった。まだ大丈夫だろうと思っていた自分の甘さを悔いた。

小学生から中学生にかけて、『釣の友』という月刊誌を定期購読していた。釣りが好きだったこともあるが、二つの連載を読みたかったからだ。福島昌山人さんの「釣れなくてもよかったのに日記」(以下、「日記」)と、山本素石さんの「釣山河」だった。

ひたすら純文学を避け、物心ついたときからへんてこりんな本ばかり読んできたぼくには、この人の文章にこそ影響を受けた、と言える人がほとんどない。福島さんと山本さんはその例外なのだ。「釣山河」からは情景描写を、「日記」からは遊び心を学んだ。

「日記」を読み返してみて、しかし、その認識には誤りがあると気づいた。情景を描く際にも、知らず知らずのうちに「日記」からの影響を受けていたのだ。その人の一生についてまわる景色を原風景と呼ぶように、その人に根強くついてまわる文章を「原文章」と呼ぶことが許されるなら、ぼくの原文章はまちがいなく二人の文章なのだ。

「命」という言葉はあまり使いたくない。より曖昧な「いのち」であれば、なおさらのことだ。それを継承性(世代を超えて伝えてゆくこと)とつなげる考え方にも一抹の抵抗がある。もしそれが尊いものなら、過去や未来を抜きにして、一瞬一瞬に存在するということだけですでに十分に尊いと考えたいのだ。もちろん、過去も未来もない現在の瞬間がないこと、他者なしの自分がないことは、わかっている。そのように命をほとんど使わないぼくだが、この度は禁を破って使いたい。福島さんや山本さんの文章の命はぼくの文章のなかにも生きている、と。

福島さんには、その気にさえなれば、いつでもお会いできるものだと信じていた。会いたいと思う人には会わねばならない。会えるチャンスを逃してはならない。
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by enzian | 2008-04-19 23:20 | ※好きな本 | Trackback | Comments(0)