身の周り半径5メートルほどにある、なにげない日常をささやかに見つめ直します。


by enzian
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人は変わるのか?

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取材の必要があって、卒業生の職場に行った。卒業生が大学に来ることはいつものことだけど、自分が卒業生の職場に行くというのはあまりない。ゼミにいたころはあらゆる人間に対して尖っていたのが、いまは生徒におもてなしの作法を教えている。対談もしたが、一番大切であろうことは取材陣の前では話せなくて、2メートル離れながら大切なことの周りをくるくる回るような、煮え切らないというか、出汁のきいていないおでんのような対談になってしまった。取材をしてくれた人には申し訳ないことだった。だが、話せなかったといっても、話せなかったことをやつとぼくが知っていることは、やつもぼくも知っている。

このところ考えていることがある。雑な言い方をすれば、人は変わるのかどうかということ。いや、このごろではなく、物心ついたときからずっと考えてきたことなのかもしれない。
by enzian | 2017-11-25 10:29
気づいたら、文芸関係の授業に出ていた(自分が教えていた、とは決して言わない)学生が「日本ファンタージノベル大賞」をとっていた(http://www.shinchosha.co.jp/prizes/fantasy/)。すごいな、一発でとったんじゃないか。じつはこの男は、前にブログで書いたことがあるけど、ぼくがこれまで出会った学生のなかでもっとも学生時代の自分に似ている、似すぎていると思って驚愕した男なのであった。どうりで、ただ者じゃないと思った。(ーー )ォィ
by enzian | 2017-11-24 21:53

無題

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次に行くのはいつになるか。
by enzian | 2017-11-22 22:38

ついで参り

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いつだったか、なにかを終えて空いた午後に墓参りに行きましょうか?と言って、親類から「ついで参りはよくないから」と断られたことがあった。「ついで参り」に決まった意味があるのかどうか知らないが、その人の言い方から、なにかのついでに墓参りに行くことだと理解した。世のなかには順序を超えたものがあって、それを比較対照のなかで順位づけしてはいけない、まして二の次、三の次にしてはいけない、ということだろうか。なにかと忙しいことだから、優先順位を決めて整列整理する方が合理的でスマートであるようにも思えるが、このときの親戚の言葉は身にこたえて、恥ずかしい思いをした。

思えば、毎月墓参りに行っていた祖母はついで参りをしなかった。養子に出して自営業をしていた娘(冒頭の親類)の店に週に何度も乳母車を押して40分かけて行くときも、決してついではしなかった。店にまっすぐ行って豆腐一丁買ってまっすぐ帰ってきた。あるとき、「豆腐なら別のところで買ってくるからもう買いに行くのはやめて、危ないから」と言ったら、「こおめ(子ども)の顔を見に行ってるんや」と言われて、もう二度と止めようとは思わなくなった。
by enzian | 2017-11-19 18:55

腰を据える

「それはどういうこと?」と問ったら、「腰を据えるということです」と答えた学生がいて、印象に残った。これまでこのタイプの問いには「立場」とか「立ち位置」とか、もっというと「立脚地」という答えを想定していたけど、「腰を据える」というのはイメージしたことがなかった。なるほど、立っているだけでは立ち話しかできないが、腰を置けば膝をつき合わせて話すことができる。「~に立つ」よりも「~に腰を据える」の方が、より他人との関係を志向した社会性の強い言葉なのではないか。ぼく自身、大切なことは膝をつき合わせて話しているような気がする。腰を据えるということの意味を考えてみたいと思った。

高校生ぐらいの若いひとにもときどき、ふだんから言葉の意味を考えて、それをきれいに整理された多層の引き出しに仕舞っており、ここぞというときにタイミングよく取り出してくるような印象を与えるひとがいて、老練な言葉づかいに感心させられることがある。
by enzian | 2017-11-12 16:51
退学した学生が遊びに来ることがある。彼らは在学時よりも明るくて、元気になっていることが多い(もちろん遊びに来るぐらいだから、そういうことになる)。近況を聞けば、アルバイトがうまくいっていて、結婚を予定している相手もいるという。在学時代はなんら有効打を打てず、こちらとしては完全に敗北した相手である。別人のようになって喜々として話すその人の横顔をみて、ほんとうによかったと心から喜びながら、かすかに口惜しい思いもした。
by enzian | 2017-11-04 18:22